会員卓話

2017.1.19

年男放談

23,24,25代

通園亮太郎

今年で6回目の回り年となりました。

前回の回り年の時は孫は一人もいなかったのですが今は男の子が4歳と一歳半の2人の内孫、特に4歳の孫は今日が誕生日です。そして女の子が11歳と8歳の2人の外孫に恵まれています。

私は、昭和20年の11月生まれで林さんと同じ生まれ年ですが林さんの戦中派と違って私はかろうじて戦後派となります。

私が生まれた昭和20年は、両親が一緒に暮らしていたから生まれた年代で20年生まれは非常に人数が少ない年代でして小学校でも他の学年は7ラスとか6クラスもあるのに私の学年は3クラスしかありませんでした。

担任の先生からは「お前らの学年は頭の出来の悪い年代やといつも言われていました。

そんなことで中学は 菟道小学校、菟道第2小学校、槇島小学校の校区から宇治中学校に通っていましたが1年の一学期の成績がクラスによってあまりにもアンバランスだったので2学期に組がえがあったほどでした。

そんな出来の悪い学年なので同志社香里中学では新2年生に欠員が生じ編入試験が実施されることになりました。

1年の3学期に試験があることを知り、その時の試験問題が宇治中で習ったことがほとんどだったのでこれといった受験勉強もしなかったのに入れました。

高校も推薦で入学でき、大学も推薦で経済学部に入ることが出来ました。

3年になるとゼミを選ばなければならず、当時住んでいた隣の家がロータリーの卓話でもスピーカーとしてお越しいただいた服部利宏さんでして服部さんのお口添えで経済学部の有名ゼミである黒松ゼミに入ることが出来ました。

ちなみに黒松ゼミの先輩には、この前マスコミをにぎわした大久保昇パストガバナーや最近お亡くなりになったスピーカーで来られたことのある伏見の清和荘の竹中清二さん。後輩には同志社大学の元学長で高野連の会長の八田英二さん、一年先輩で京都産業大学理事長の柿野欣吾さんなど蒼蒼たるメンバーが先輩、後輩に名を連ねているゼミでした。

服部さんにはいろいろお世話になっていまして私が病気で激やせしていた時に「亮太郎さんモットシャキッとしなあかんやん」と手を握り激励して下さったのですが、あんな元気な服部さんが去年の秋に食道がんでなくなられたのは、木村としおくんに続いてのショックでした。

昨年11月に同志社香里高校の同窓会をしたのですが私と一緒に幹事をしてくれていた元伏見ロータリーのメンバーの友達が9月の末になくなったのも大変なショックでした。

その友達は肝臓がんでしたがお酒が好きで奥さんに内緒で隠れて飲んでいたようです.

同窓会に来ていた友達は前立腺がんや肝臓が悪い友達が多くどうせ肝臓がんで死ぬんやったらお酒をやめて長生きするより好きなお酒を飲んで死んだ方がましやと言って飲んでいました。

元鳳凰ロータリーのメンバーの山本伸治君も前立腺がんで全摘して袋を下げていて

それでも元気で中書島のプールへ泳ぎに行っていると言っていました。

私の生まれた宇治橋のたもとの家は昭和20年の8月15日に強制疎開の運命にあり戦争が続いていれば橋は戦略上の重要な拠点であって橋の周辺には建物があってはいけないということで取り壊しの運命にありました。

父親は戦争中は内地勤務で終戦当時は東京の板橋に所帯を構えておりました。

父親は京都第一工業機械科を卒業し

日立製作所に勤務し運転免許証を持っていたので東京の軍事工場を回る勤務になり戦場に行かなくてすんだようです。

8月15日に我家が取り壊しの運命にあった時 母のおなかには私がいて、母、祖母、曽祖母と女手3人でとても家財道具や

店の物を疎開先に運べません。

槇島のお百姓さんに頼んで運んでもらい

家の建物は、柱にロープをくくりつけ今にも引っ張ったら家は壊れるようになっていました。8月15日の朝を迎えた時、今日のお昼に重要な放送があるのでそれを聞いてから建物は取り壊してくださいというおふれが出ました。そしたら日本は戦争に負けてしまったということでした。

負けてしまったので家は取り壊しの必要がないということで手伝いに来ていた人は全部帰ってしまいました。

後に残された女手3人で道具を元に戻すのは大変だったと聞いています。

もし戦争が続いていれば、その当時785年続いていた通圓の茶屋は、途絶えてしまい父親は引き続き日立製作所に勤めており私も今日このように年男放談としてこの場に立てていなかったと思います。

この取り壊しの運命にあった通圓の茶屋の物語が直木賞作家の高橋治さんの短編小説「宇治橋の藤」というタイトルで書いておられます。

通圓が取り壊されずに残ったのはご先祖さんのお加護のお蔭だと思っております。

今年で857年目を迎えた通圓は24代目に5年前に社長を譲り25代目も本日4歳を迎えました。

今年は「お茶の京都」で京都府も力を入れてお茶を大々的に取り上げていただいています。次の900年に向かって古き良き伝統を受け伝えて行きたいと思っております。

ご清聴ありがとうございました。

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