分ける思考とつなぐ思考—分類と系統をめぐる文化論

2017.3.2

東京大学大学院農学生命科学研究科教授

国立研究開発法人農研機構農業環境変動研究センターユニット長

三中信宏


皆さんおはようございます。今日はお呼びいただきましてありがとうございます。いろんなところでお話をさせていただく機会をいただいておりますけれど、まさか自分の故郷に呼ばれるとは思いませんでしたので、大変喜んでおります。久しぶりに宇治川を渡りまして、ああ、こういうところやったやな、私が通ったのは城南高校でしたのでいつも渡っていました。それで、今日、皆さんにお話する内容はお手元にハンドアウト配布してあるんですが、ざっと見て絵が沢山あります。で、もちろん話はさせていただくんですけれど、その前にいろんな絵をお見せして、そして、今日皆さんに話をするテーマですけれど、「分ける思考、つなぐ思考」、要するに私たちが分類をするときに一体どういうふうに、分類というのはいつ私たちは分類学者とか、何か科学の世界のことを考えてしまいがちな、そうじゃないんですね、私たち自身、日常生活の中でいつも分類していまして.そんなふうなことを例に挙げまして、それで、話をさせていただこうと思います。

まずは、ここにいろんな生物がいるという絵があります。この中で皆さんに分かっていただきたいのは確かに沢山の生物がいたら、動物でも植物でも、これはどういうふうな生き物なのか、どれと似ているか、つい、私達は考えます。これは別に分類学者というそういうふうな職業として分類をしている人だけではありません。では、分離というのは我々にとってどういうふうなことなのかということを少しお話します。

 まず最初に昔はやはり文化的に豊かだったんですね。これは18世紀に出ましたビュフォンという博物学者がいまして荒俣宏さんという非常に有名な方が翻訳されました。世界中にさまざまな生き物がいた。必ず私たちはそれを分類したい。で、へんな生き物がいればいるほど”一体これは何なのか”と好奇心をかき立てられる。そういうふうなことというのは子供でも、大人でも、一般の素人でもあっても、必ずそういうふうなことを考えるわけです。   ところが、分類をすること、そのものはこれは別に生き物だけに限らない。例えば、醤油鯛、最近は減りました。醤油の入った袋になってしまいましたが一昔前だと例えば醤油の入った鯛、これは弁当に必ずついていました。駅弁もそうですね。あれは醤油鯛といいます。これを分類している者がいまして、私の大学院時代からの知り合いなんですが兵庫県立博物館にいました昆虫分類をやっていた人なんです。これの面白いのは醤油鯛を学生時代から集め続けているんです。何がすごいかというとそれぞれの外の「から」だけなんですけれど、見ていただくと綺麗でしょう。つまり重要なのは写すときにピンで留めた穴があります。

 これは標本箱にちゃんと針で差してあるんです。要するにカブトムシや昆虫の標本と同じノリですね。こういうものを皆さん見たら何の役に立つんですかとたいてい訊きます。でも,何の役にも立ちません。しかし、こんなふうにたくさんいろんな形の醤油鯛がいたらつい私たちは無意識のうち、分類したがるんですよ。で、この沢田さんのすごいところは,彼は昆虫分類学者ですから、分類するためにちゃんと解剖をするんです。醤油鯛の解剖図を作るんです。魚の解剖と全く同じで尾びれの形がどうのこうの、うろこの形がどうのこうの、全部、調べます。これはやり分類学者なんです。で、こういうふうなことをやっているのは何の役にたつんですかと言われてももちろん何の役にも立たないんですけれど、こうやって見ていけば、例えば醤油鯛の検索表がつくれるわけです。ヒレがこんな形であればどこそこの鯛と決まっているんです。面白いのはこういうふうなことを醤油鯛に限らず、実はいろんなところでやっているんです。

例えばこれです。皆さんいろんなところで見ますね。スーパーとか、コンビニへ行けば食パンの袋にピッと止めてあるでしょう。私は勝手にパン袋クリップと呼んでいます。これは製品名はバッグクロージャーというらしいです。日本では埼玉県にただ一つ工場があります。これがすごいのはこのパン袋に留めてあるのですが、学名がついています。ラテン語でオカルパニドという学名です。さらにすごいのは国際オカルパニド学会があることです。嘘と違います。ここにちゃんとURLが書いてあります。見てください。パンブクロクリップを調べる国際学会があります。ちゃんと英語の論文が出ています。アホかいなと思うでしょう。何の役にも立ちません。けれど、やはり分類したがるんです。例えば、新種のクリップが出てきたら、どんなふうに変わっているのか、形態がどうか、全部調べてちゃんとラテン語の名前をつけます。で、しかも、こういうふうなことを調べれば、どこそこの形状がどんなふうな名前、要するに部分、部分のパーツの名前をつけて、しかもそれで系統図まで書いてしまうんです。あんたはアホですかと言われても、醤油鯛であろうが、こういうパン袋クリップであろうが、全然何の役にたつかどうか、わからない。もう、ぜんぜん役に立ちません。たたないんだけれど.こういうふうなことを調べている人がこの世の中にいる。そういうことからいいますと分類は学者だけがやっているて慰みでは決してなくて、我々が身の回りにある様々なものをこれを分類するというのは誰でもどこでもやっていることなんじゃないかと言う話です。

そうすると、一つ問題になるのは、どこでも誰でも分類をしているのであれば、私たち人間というのはどんなふうに分類をしたがっているのだろうかという、そんな問題が出てきます。つまり我々人間、生身の動物ですから世界の見方、自然の見方はこれは東西いろいろ特徴があります。機械ではありません。人工知能ではありませんから生身の人間として世界の見方というのがあります。で、そうした場合にまず一つ考えておかないといけないのは我々は昔から原始人の頃からいろんなものを分類しないわけにはいかないという点です。 

例えば、林にいって果物がぶら下がっていたとしましょう。この果物食べられるか、それとも毒があるのか知っておかないと生き死にに関わりますね。或いは向こうからやってくる獣が我々を襲う危険なものなのか、それとも捕まえて食べたらお肉がおいしいのか、知ってなければわからない。そうすると自然界の様々なものは分類しないことには自分に役立つのか、害になるのか、わからへんわけです。そういうふうなことを考えますと私たち人間というのは分類する能力はかなり厳しく自然淘汰されてきたはずなんです。文化人類学の中で民族分類学という研究分野があります。世界中のいろんな部族が動植物をどういうふうに分けているのかを調べる、そういう研究分野があります。これまた、何の役に立つのか、役にたたへんのかもしれませんがただ一つ重要なことは世界中、南アメリカだろうが、フイリピンだろうが、オーストラリアだろうが、いろんなところの部族の物の分け方には共通点があります。それは必ず階層的に分けて、しかもあまり深い階層にはしないという点です。そうするとひょっとしたら世界中、どこででも人間が物を分ける時には共通点があるのではないか。このとき,分類をする人と目の前にいる動植物は分類されるものなんですけれども、この分類するもの、分類されるものの間の関係は一体何だろうかと考えます。

一方の見方は,分類をすると言うことは自然界の側にそういうふうな”群”がちゃんとあって、私たちはそれを見つければいいんですよと言う立場です。これは実在論という言い方をします。ところが他方には、いやいや分類というのは我々の頭の中に先入観があって、色眼鏡で自然を見ているんじゃないかという立場があります。これを観念論といいます。つまり分類する、されるというのはその分類したものが果たしてその向こう側、自然界の側にあるのか、それとも単に我々の頭、脳の中にあるだけなのか、そういう論争があって、これって実は解決されていないのです。つまり、我々が分類するときに分類したものが本当にあるのかどうかという疑問をめぐっては長年の論争があります。そういう意味で言いますと分類というのはわりに簡単そうで奥が深い、これは間違いないんですね。

もう一つキーワードがあります。それは系統です。系統というのはこれは例えば、私たちが自分の親、おじいさんやおばあさんと家系をたどるのは、これは典型的な系統の考え方なんです。模式図で示しますと私たちの目の前には子孫がいます。そうした場合、当然、子孫というからには親御さん、或いはおじいさん、おばあさんいらっしゃるかもしれません。そうしたときに私たちが今、子孫としてここに存在しているんだけれども、その子孫達はどういう祖先からやってきたんでしょう。もちろん、自分の親御さんのことはわかります。おじいさんのこともわかるかもしれません。ただ、それよりもさらにさかのぼって曾おじいさん、おばあさんがどんな人だったか、途端にかすみの中にぼやけてきます。つまり、子孫というのは目の前にいる私達ですから、いろんなことがわかるんです。どんな身長か、体重か、顔、形というか、血液型、全部わかるわけです。ところが祖先になればなるほどわからなくなります。そうしたときにどうやれば祖先をたどれるかというのが系統樹なんですね。ですから分類は分けることが仕事であるとするならば、系統図の方は血筋を確認するというのが一番大きな仕事ということになります。例えば最近、時々新聞に載ることがありますが昔から分類されてきた動物、或いは植物の遺伝子を調べたら実は分け方が違って来た、そういうことが時々新聞に載ります。そうしたときによく使われるのが遺伝子の本体、 DNA 塩基配列があります。例えば霊長類の遺伝子配列ですが、これは我々の細胞の中にあるミトコンドリアというところの遺伝子なんです。これを調べれば今、A G C T という塩基を赤、黄、緑、紫の四色に分けていますが,同じ遺伝子であったとしても、生き物によって違いがあるんです。

例えばホモサピエンス、霊長類、こういう生き物たちというのは同じ遺伝子なのにちょっとずつ塩基配列が違うんです。そうすると私たちはどれぐらい違っているのかを見れば、このような系統樹を日常的に作ることができます。こうやって遺伝子を調べて系統樹なんて、これは科学の話と思われるかもしれませんが、実は、実は、これと同じようなことを全然違うところでやっています。中世文学です。もう全然、畑が違いますがカンタベリー物語というのは15世紀、16世紀に、イギリスですごく流行った文学作品です。この中で面白いのは印刷技術が開発される前ですから、例えば文学作品があれば、それをどうやって世の中へ広めていくか、手で描くんですね、写本といいます。写経と同じです。で、手でかきますから書いているのはコピー機ではありません。人間です。そうすると書き間違いがどうしてもあるんですね。で、一旦、書き間違えられても、じゃあ、その書き間違えられたその写本を手本にしてさらに孫写本を作っていくとその間違いがどんどん伝わっていくんですね。で、例えばカンタベリー物語が実際にブリティッシュライブラリとかクライストチャーチなどこの写本を持っているところの同じ文章を見ると実は少しずつ違うんですよ。それぞれ同じ文章なんですが違いがあるのがわかります。例えば、固有名詞の固有名詞のつづり方の違い、或いは前置詞の略し方が写本によって違います。つまり同じ文章であるのに違いがありますから、これを調べると、どの写本とどの写本が近縁か遠縁かを調べることができます。これは20年ぐらい前にネイチャーという非常に権威のある自然科学の雑誌に載ったカンタベリー物語の系統派生という論文がありまして、文学作品ですから自然科学とはなんの関係もないんですが、祖先をたどるという点では全く同じことをやっているわけですね。ですから、つい私たちは自然科学は自然科学、人文科学は人文科学で違うものと思いがちですが、あまり、こう垣根を作ってしまうと同じ物が見えなくなるという点があると思います。

もう一つ、ここにいらっしゃるみなさんの年代を拝見しますと今から30年ぐらい前に不幸の手紙というのが社会現象としてはやったことを覚えていらっしゃる方もおられると思います。自分がやったという人はいないと思いますがあれはどういう物語であったかと言いますと、あるとき、自分のところに届いた不幸の手紙を同じ文面で複数の人に出せ。今みたいにスマホでメールをするわけではありません。手書きで書くわけです。そうすると、届いた文面と同じもので、手紙を書いて出さないと不幸がやってきますから困る。どんどん広がる。これが不幸の手紙ですね。

 その一つの例として棒の手紙というのがあります。この手書きの文章を読みます。28人の棒をお返しします。これは棒の手紙で私の知らないところから私のところへ来たシンガリです。あなたのところで止めると必ず棒が訪れます。怖いですね。棒って何でしょう。この種明かしをしますと手書きであるというところから、あるところで下手な字の人がいて、本当は不幸と描くはずのところを不と幸がくっついて棒になった、わかりますか。要するにそういうことなんです。そうすると、先程言いましたように不幸の手紙というのは全く同じ文面で複数の人に出さないと夕方、棒が来て怖いですから、書いている本人も棒の手紙って何だろうと思いながら棒と書いているんだろうと思います。それがどんどん広まっていく。これを調べた方がいらっしゃいまして、どこの誰が不幸を棒と書き間違えたのかということですね、調べた人がいます。これも要するに棒の手紙の系統樹を書きまして、一番祖先のところにどこそこの市のこの人が不幸を棒と書いたというのがわかってしまいまして、それで初めて棒の手紙の系統樹ができたということです。これも何の役にも立つものではありません。でも、そんな具合にして、分類とか、系統というのは全然役に立たないと言いながらも、やはりつい分けてしまったり系図を考えてしまったりするわけです。これが分類とか系統の面白いところです。

5年ほど前に系統樹曼荼羅という本を書きまして,古今東西の系統樹或いは分類のいろんな図表にどんなものがあるかを調べたことがあります。

一昨年、同じようなことを考えているのは日本だけではなくて、アメリカにもいまして、マニエルリマさんという方がコンピューターグラフィックスの専門家なんですが系統樹大全を出しました。これは歴史をたどりますと系統樹というのは古いんです。もともと系統樹の祖先に当たるのは一直線上に森羅万象を並べるという存在の連鎖というものがあります。これは1745年、18世紀、スイスのシャルル・ボネという人が自然物というのはすべて一直線に並べられるということで、このようにはしごのようなものを書きまして一番上に L’hommeと描いてあるのはフランス語で人間ということです。人間が一番高等で、その下に霊長類がいて、で、四足類が続いてという具合にしまして、動物、植物、コケ類、鉱物などなどというふうにいろんなものを一直線上に並べました.直線というのはすごくわかりやすいですから、このような上下関係が当時は流行したわけですね。

 12世紀のキリスト教美術の中にはエッサイの樹という非常に有名な図像がありまして、これは旧約聖書で、例えばアダムの息子のなんとかの家系図を絵にするというそういう建築、これはステンドグラスなんですけれど12世紀に出まして、こんなことが調べられています。また14世紀にデカメロンを書いたボッカッチオがギリシャローマ神話の神々の系譜を写本で描きました。こういう彩色図は多々あります。

19世紀の末、フォーロングという宗教学者が世界中の宗教のルーツをたどるというとんでもないことを考えまして、一番古いところで10000年前の太陽崇拝とか、樹木崇拝とか、もっと原始的な宗教を、これをルーツにしましてどういう具合に流れて流れて合流して,で,一番新しいのはキリスト教とか,ユダヤ教とか、ヒンズーとか、全部入っています。仏教ももちろん入っています。このように系統樹、系統ネットワークでもって系譜を調べるということ。ですから、系統樹というと、つい私たちは生物のという枕詞を付けがちなんですが違うんですね。いろんなところで系統樹というのがあります。 

例えば、日本人というのは系譜は実は大好きでして、これは戦前に出版された本が講談社から復活されたものですが、ありとあらゆる系譜を一段、たとえば、もちろん天皇家の系図があります。忍者の系図もあります。いろんな系図があるんですけども芸事の系図もあるんです。こういったものがあるんですが面白いのはですね、ネットを見ますといろんな系図が実は公開されておりまして、皆さんもネットが繋がっている状態で見てもらったらいいと思います。東西の落語家系統樹というのがあります。誰が一体、誰の師匠で弟子か、こういうふうなことを書きますと当然、系統樹のように末広がりのように広がっていくわけですね。

さらに言いますとこんなのもあります。皆さんも若かりし頃、少年ジャンプを読まれたことがあると思いますけれど、少年ジャンプの漫画家アシスタント系統樹、どの漫画家が誰のアシスタントをしていたか。これも非常に複雑で全部調べれば芸風が伝わっていきますからどういうふうな漫画の描き方が現在までたどれるのか調べることができます。これは非常に頻繁に更新されているので今でも読んでる人がいるんだと思います。

オジギビトというのはご存知だと思います。街角の工事現場で道々お辞儀をしているアレです。あれは1950年代に大成建設庶務課長さんがつくったのが祖先なんです。ところが今日本全国津々浦々にオジギビトが立っています。皆さん、気が付いたら見て欲しいんですけども、どっち向きにお辞儀をしているか、何を持っているか、目つきがどうか、それらを調べると系譜が書けるんですね。そういうふうなことを考えますと、こんなトンデモナイものまで分類や系統を考えることができます。これも役に立つんですかと訊かれたら全然立たないと思います。たたないけれど,でも,そうなのかと納得するじゃないですか。こんなふうなことは多々あります。例えば、ポケモンの系統樹ってあるんですね。これは筑波大の私の知り合いがちゃんと各ポケモンの特徴、どんな技を使うのかを調べて分子系統推定ソフトウェアでちゃんと推定してくれます。

チキンラーメンの系統樹があります。皆さん昔からチキンラーメン、ご存知かと思いますがすごいのはですね、チキンラーメンというのは1958年にもともとのチキンラーメン、この柄に見覚えがある方いらっしゃると思います。私の生まれた年です。もちろん、このような商品というのは売れればどんどん姉妹品が出てきます。売れなければその場で切れますから淘汰圧が強いんです。この系統樹がすごいのは1971年にカップヌードルが登場します。それまでは要するにお鍋がなければインスタントラーメンは食べられなかったんですがカップ麺が出てお湯をそそげば食べられる。これは画期的なことです。そのあとカップ麺の系統樹がバッと広がるわけです。だから、そんなふうなことを考えますと身の回りの商品もやはり系統樹を持っているんだと言うことがわかっていただけると思います。

J R 九州の列車のデザインの系統樹。皆さん、ご存知かと思いますがJR九州の超豪華な、ななつ星というもの、あれを作った水戸岡さんというデザイナーの方がいらっしゃって、彼がじゃあ、そのJR九州ってどういうふうに車両デザインが変成してきたんだろうかということをですね、これを調べまして、5年ぐらい前のもの、2年ぐらいの前のも、やはり水戸岡さん自信があるんだなというところが見えてきます。言われてみればそうかもしれない。気が付くか、気がつかないかですね。やはり発想の転換てあるんですね。ななつ星があります。すごいのはいろんなところに枝葉があって、それぞれの古い列車のデザインが書いてあるんですが、みんな葉っぱばっかしなんですね。ところがななつ星のところだけ花が咲いています。水戸岡さん,ななつ星自信があるなと思って見ていたんです。こんなふうなことも系統樹で書いてみればデザインがどうやって変わってきたのかということもたどることができる。だから分類とか、系統というのは必ずしも生き物の話だけではないんですね。もっともっと身近なところにこういうふうなものがある。というわけでそろそろまとめに入っていきたいと思います。

分類をする、或いは系統樹を描くというのはこれはある意味、考え方の両面です。だから分けて理解することもできれば、繋いで系統樹として結びつけて理解することもできます。ですから、考え方としてはですね、同じような対象があったとして、例えば、醤油鯛であったり、或いは JR九州のデザインであったりしたときに、似ているか、似ていないかで分類をする。これは割と直感的です。あともう一つは同じ対象を見ていても結びつけることによって家系図を書く。そうするとこれまた、バラバラなものを一つにまとめて理解することができます。こういうふうなものを見ていきますと、面白いのは分類と系統が一致してくれれば非常にありがたい。つまり、似ているものが縁が近かった。ところがですね、得てしてあるのが他人の空似というやつで、確かに同じように近いように見えるんだけども実際に血統を調べてみたら違うところに持っていく。要するに、血筋は違うんだけども同じような形、そうした場合どうしようかというところですね。これはまた分類学者が昔から悩んでいました。

一つの考え方は、これも130年ぐらい前ですね、マックス・フュルブリンガーというドイツの鳥類学者がいます。彼がですね、分類体系というのは系統樹を切ったその切り口を見てやればいいだろう。つまり系統樹があればバツっと切ってやれば枝の断面が出ます。盆栽を選定するようなもんですよ。切り口がどういうふうな分類になっているか、これを見ていってやれば、時代時代ごとに違う分類体系ができるんじゃないですかというそういう話があります。ただこの分類と系統の対立軋轢、結構むずかしい問題があります。3年ぐらい前に私が翻訳した『自然を名づける』という本があります。これはまた今でもおそらく未解決だろうと思います。

さて、このようにして私たちが分類と系統を考える時に、人間として普遍的にどういうふうに分類するのか、系統を考えるのかということがあるんですけども日本人である我々、これはちょっと面白いに文化的な制約がありまして、例えば1個、1個のものが一体どんなふうな特徴があるのか。この醤油鯛、どんな特徴があるのか、調べることはできます。それに対してもう一つには、ここで原理と書きましたけども、そういったものをどういうふうにまとめ上げればいいんですかと言う、そういう問題があるんです。日本人は1個、1個のものを1個1個のもの、これを記載してチクチク書くのが大好きなんです。これはもう20年ぐらい前からそんなふうな文化があるんじゃないかと言われてきまして、このような一連の本があるんです。日本人というのは普遍的な原理ではなくて、個物を崇拝してしまう、そういう傾向が日本並びに東アジアにはあるということです。そんなふうな特徴があります。例えば西村三郎はこういう事を言っています。我々日本人というのは個々の事物に対する関心や好奇心はあるんだけれど全体を統括するような理論や体系を出さないという特徴があると。つまり各論が大好き、一般論は嫌いということ。これが日本の分類の特徴なんです。じゃあ、一般論は嫌いと言って、なしで済ますんですか。なしで済まされないですよ。ドーンと天から降ってくる超越的思弁というのが日本人の場合の体系の考え方で、  

例えば、江戸時代の三浦梅安、彼は陰陽五行説に基づいて森羅万象を分ける絵を描きました。あるいは皆さんがよくご存知だとするならば、例えば、南方熊楠、彼は南方曼荼羅というごちゃごちゃとネットワークみたいなものが書いてあって、これでもって世界を理解しようとしました。或いは我々の早田文蔵という東京帝国大学の植物の先生がいましたが、ある絵の中に糸がより固まったような、こういった絵を書きまして、これは多次元ネットワークだ。これによって森羅万象は理解できるんだと彼は言うんです。

昨年、早田文蔵の伝記が台湾で出版されまして、その中で面白いことを言われていたのは早田には宗教的な背景があるんですね。これは彼の一番最初に出ました台湾の植物藻のモノグラフなんですが、その中に、これは植物のモノグラムですから当然植物の絵があるんです。ところが先程皆さんにちらっとお見せしましたこれがいきなり出てくるんです、論文の中に。しかもすごいのは英文の論文なんですが脚注を見るとさっきお見せしました比喩的な図は天台宗華厳経のグイズであるインドラの網にヒントを得たものである。これはすごいです。普通、自然科学の論文で天台宗華厳経の教えによるとは書きません。彼は書いてしまう。で、すごいのはインドラの網ってなんですか。これなんですね。宮沢賢治はこんなやり方をしています。要するに華厳経で帝釈天の宮殿から網が張られていて、その中に森羅万象が映り込む。具体的にはこういうふうになものです。つまり蜘蛛の糸に水滴がついたら各水滴には周りの風景が全部写し出されます。こんなふうなものがインドラの網で、それを先程の早田は生物の分類に当てはめようとした。ものすごく日本を含めて東アジアにこういう宗教的、文化的な制約があるんです。このようにまとめておきたいと思います。時間の制約もありますのでこの辺で終わります。ありがとうございました。

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