「松下政経塾で学んだこと」

税理士 松下政経塾一期生 

上西左大信

皆さんこんにちは、ご紹介いただきました上西です。

【松下政経塾の創設】

今日は松下政経塾の紹介をさせていただきたいと思います。松下政経塾は昭和55年4月開塾いたしました。学校法人ではなくて財団法人です。現在は、公益財団法人になっています。財団としての設立はその前年でして、昭和55年3月には大学を卒業する人を対象に塾生を募集したのです。実際には22歳から25歳までの者が入塾することとなりました。性別や学歴などは不問でしたので、大卒でない人や社会人経験者もいました。自分で言うのもなんですが、松下幸之助さんは人材を集めたかったのですね。それでどのような人材かと言いますと、次の時代の日本を担うリーダーを育てたいというものです。当時から言われていたことですが、本音は保守系の政治家を作りたかったという意識は強かったと思います。

当時の社会状況を復習しますと、私が大学に在学していた昭和51年から55年頃までは、世界の地図を広げますと面積にすれば半分ぐらいの地域が社会主義国でした。西側の国でも、そうした政策に近い綱領を掲げるところが議席数を伸ばしていた時代でした。わが国でも保革逆転がありました。そうした時代において、日本の文化を愛する企業人として、自由主義経済を尊重し、日本の伝統文化を重んじる政治家を育てたいというのが松下幸之助の真の願いであったと私は理解しています。

【松下政経塾に】

松下政経塾が創設されていなかったら、私は大学院に進んで教授職を目指す予定でして、指導教官に「申し訳ございません。大学院へ進まないで政治家になります。」と言ったらびっくりしておられました。自由主義的な経済をより拡大して活力のある社会を作りたいとか、日本の伝統文化を守りたいという気持ちからの政治家志望だったのです。

当時の京都大学には、産経新聞の「正論」の執筆陣であった高坂正堯先生、勝田吉太郎先生、市村真一先生がおられ、授業以外の勉強会で指導を受ける機会もあり、市村先生からは大学1年生の秋から東南アジア研究センターで私設ゼミを開講していただいていました。雑誌の懸賞論文などにもときどき投稿をしておりまして「元号法制化論」が掲載されました。また、翻訳が出ていないときに、フリードマンなどの自由主義経済のテキストを読んだりもしていました。政治を目指すに際しての、気持ちの面での下地はあったのかと思います。

【講義の特色】

松下政経塾に入塾した当初、カリキュラムはありませんでした。基本的な講座はあるのですが、どのテーマを掘り下げるのか、どんな講師をお呼びするのかは、その都度決定するのです。自分一人のテーマであれば、訪ねてゆけばよい。ですから、専任講師はいません。著名な講師の方のお名前が挙がっていますが、レギュラーで来ていただく先生は一人もいません。現在も、基本的には同じであると思います。

全員が参加する集合研修もあります。「道もの(どうもの)」と言っているものですが、剣道と書道と茶道です。2年間みっちりやります。いずれも一流の方から指導を受けます。剣道は体育館で、茶道は茶室で行われます。

松下政経塾での講義のアーカイブは、最近はどのように保存しているのかは分かりませんが、当時は、映像や音声の記録を残さないものも多かったです。「松下電器産業の創業者がつくったのに、音声や映像の記録が残っていないものもあるのですね。」と言われたことがあります。政治家、経営者、官僚などから、ここでしか言えないような話を聴く場合などは、記録を残さなかったのですね。経済界の方からは、日本経済新聞の「私の履歴書」には書けないような興味深い話も披露していただきました。なぜ自分がここまで勝ち上がったのかとか、ライバル企業との場外戦での叩き合いといったような話ですね。官僚からは、政策の企画立案の過程や他国との交渉の経緯など、リアルな現場を教えていただきました。有力な政治家の影響で成立した法案であるとか、二国間交渉であるにもかかわらず、他の国からの要請があってある条項が変更されたといったような生の話です。そのような話ができる当事者から直接聴くことができるのは、実に面白かったです。もちろん、そのような話ばかりが講義ではありませんが、これからの日本をどのように企画立案していくかということを考える機会と場所を提供してもらったと思っています。

【政経塾での生活】

松下政経塾は、神奈川県茅ケ崎市にあります。風光明媚ないい所でして、そこにいるだけで「湘南ボーイ」でした。

全寮制でして、毎朝6時に起きて、寮にいる限りは必ず起きてきて、全員で掃除をします。掃除をし終わった後、当時は、だいたい30分ぐらい海岸を走っていました。

研修の方針は、自修自得ですので、自分のカリキュラムは自分で作成することになります。地元の選挙区を隈なく歩いてもよいし、候補者の選挙を手伝ってもよい。議員の事務所で現場を学ばせてもらってもよい。私は、政策の面では学習院大学の教授であり、自民党のブレーンをされていた香山健一先生の下で学び、政治の面では、北海道の中川一郎先生の事務所の出入りしていました。

【卒塾生の進路】

現在、263名の卒塾生がいます。実際に政治家ばかりを育てているわけではありませんが、政治家や政治家志望の人が多いことは事実です。マスメディアなどでは、松下政経塾が政治家となるためのルートの一つになっているとの指摘もあります。

現在、国会議員は、衆議院議員が24名、参議院議員が10名で、合計34名です。地方議員は22名でして、内訳は都道府県議会議員が9名、市区町村議会議員が13名です。知事は2名です。滋賀県知事の三日月大造さんと宮城県知事で被災地の復興で頑張っている村井嘉浩さんです。市長は6名です。私のように税理士などの専門職になった者は8名で、少数派ですね。

私の同期である一期生は、当時23名でスタートし、19名が卒塾しました。その中に野田佳彦君もおりました。第95代内閣総理大臣です。彼は、議論がぶれない人で、頭の中のファイルを差し替えるような勉強の仕方をするのではなく、何が重要かと言うことを一生懸命に探究するようなタイプの人間でしたね。根っこを押さえるような勉強方法だったかと記憶します。光り輝くタイプではなく、いぶし銀のようなイメージでした。

【現在の松下政経塾】

塾生の募集は現在も続いています。応募資格の年齢は、満22歳から35歳までと幅広になっています。求める人材は、「松下幸之助の求めた建塾の趣意を深く理解し、自らの手で理想の日本と世界を創り出す強い信念と高い志を有する人材」です。最近の入塾者数は、毎年5名前後となっていますが、数の多さではなく、志の高さが重要と考えています。私たちのときは、5年間の研修期間でしたが、現在は、4年間となっています。全寮制の生活のもと、塾生たちは寝食をともにしながら研修を行います。前半の2年間は、塾生同士が切磋琢磨しながら一緒に活動を進め、後半2年間の個別研修では、各自の研修テーマに基づいて、自らの現場で活動を展開します。在塾中は、松下幸之助塾主の方針に基づいて、活動資金が提供されることとなっています。

【松下幸之助から学んだこと】

入塾して間もないころ、私は21歳、松下幸之助塾長が85歳のときに、「人間はいつまで修行しなくてはならないのですか」と聞きましたところ、「上西君、私は今でも修行している。人間一生修行せなあかん」と即答されました。また、別の塾生が、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康とホトトギスの話を持ち出して、「塾長であれば、『鳴かずんば』の後にどのように続けられますか」と質問したところ、「鳴かずんばそれもなおよしホトトギス」と即答でした。いずれもすごいなと思いました。

塾長から、具体的な知識は学んだ記憶はありません。非常にお元気でして、茶室に宿泊されることもありました。塾生が二人ずつ組みとなって、身の回りの世話をします。布団を敷くところからお風呂の世話などです。声がかかったら背中を流しに行くこともありました。朝は地元紙も含めて新聞を何紙かお届けすると「上西君、新聞を読んでくれ。そして、今日伝えなあかんことを二つくらい言うてみ」と、急にそんな変化球で飛んでくるのです。あるいは、「最近勉強したことの中で何が問題やと思う、ひとつだけ言うてみ」と言われ、返答をすると、「君やったらどのようにして解決するんや」と、続くのです。具体的な返事を求めておられることのほか、世の中の動きを的確に把握し、問題意識を常に持ち続けておきなさいという教えであったと思います。

松下政経塾のお話を卓話の時間をいただいて、お話しさせていただきました。

ご清聴いただきまして、どうもありがとうございました。

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