20世紀最大のロングセラー作家とともに半世紀

立命館大学名誉教授・文学博士

辻井 栄滋


皆さんこんにちは、今、林さんからご紹介がありました通りなんですけども、こんな高いところからお話をさせていただく、ちょっと久しぶりで、で、もうこんな歳になるとあんまり緊張はしないんですが、ちょっとだけ緊張しております。さて、今日は「20世紀最大のロングセラー作家とともに半世紀」もう50年も経ったっけ。もう私は72歳で、6月が来ると73歳になります。林さんも同じです。で、とにかく、30分ということですので、普段、講演はだいたい1時間半、少なくとも1時間、講義は90分です。ですから大学の教員というのはだらだら、ずるずるというしゃべり方をきっとされてる方が多いんじゃないかと思います。今日は30分ですので、少し駆け足になりますけど、お聞きいただいたら嬉しいと思います。

まずはですね、ご存知だと思いますが2015年、一昨年の9月24日に、あれは同志社大学の工学部ですか、そこでやっておられる京田辺ロータリークラブというところから呼んでいただいてお話をしに寄せていただきました。城南高校のもう50年も前の同窓生と巡り合うことになりまして、出したばかりの「翻訳こぼれ話」をしました。今日は林さんからのご依頼がありまして寄せていただきました。

この道に入りましたのはまあ、皆さんそうなんでしょうけれど、大学の英文科の時にやはり授業は原書ばかりなんです。もうヒーヒー言わなくてはならないぐらい英米文学を専攻しているといじめられる訳です、先生たちに。こんなんばっかりやってたら大変やな、それで試験を受けて単位を取っていくわけですから。もっと他に読むものがあらへんのかなということで、私は、その当時は皆さんご記憶やと思います。今もありますけども、岩波文庫、新潮文庫、この二つぐらいしかなかったと思います。今は沢山、私のも入っていますけど、ちくま文庫もあるし、沢山出てますけども、その二つ、よしやこれで、ということで英米文学やけども、私はなぜかイギリスにはなじみがなくて、アメリカのほうに憧れが、どこかあったんでしょうね。そしたら、もう岩波文庫、それから新潮文庫にあるのを、アメリカの作家の一番最初の頃からザーッと坂下って、もう徹底的に読んでやろうという気持ちになりました。アメリカ文学で一番古いのは例のフランクリン自叙伝です。彼、今から考えたらマルチタレントなんですよね。すごい人でした。アメリカで初めて郵便局を作ったやら、消防団作ったやら、もう本当にすごいこと、才能をいっぱい発揮した人です。小さい時は貧乏で、お父さんだったかの印刷工場で一生懸命働いて、丁稚奉公みたいなことしとった。それでも、あないなりよるんですね。ううん。だから一冊の本というのは、やっぱり我々凡人の人生をも変えてくれると思います。だからもう遅いなんて言わないで、ぜひ、本を沢山読むというふうになさると、また、道が開けてくる可能性ができてくると思いますよ。で、今日のお話で、それが何かの皆さんのプラスになれば私は嬉しいと思います。だもんですからフランクリンからずっと坂下って行きました。読んでおられる方は知っておられると思います。私3回生になるか、ならへんかというぐらいのところまで下ってきたら、19世紀末か、20世紀初頭ですけども、ジャック・ロンドンという作家と出会ったんです。1876年に生まれて、1916年11月22日に亡くなっています。もうちょっとしたら41歳というところやから満40歳で亡くなっているんですね。これも調べてみたらその当時、どれぐらいの平均年齢だったかと言うと、男子は45、6才なんです。せやからめちゃめちゃ早死だというわけではないんですけど、まあ、しかしあれほどの才能を持った人ですから惜しかったかなという気はしないではありません。

『野性の呼び声』、犬が主人公です。そしてもう一つ、姉妹物語としての『白い牙』なんて私は変えまして、『白牙』と訳して文庫に入れました。あれは犬の名前なんです。「おおい、白い牙、白い牙」なんて言いませんよね。元はホワイト・ファングと言いまして白い牙なんですけども、だから呼ぶんだったらクロだとか、ポチだとか、言っているんだから白牙、或いはホワイト・ファングと呼ぶのが正しいのではないかなと思います。なぜかしら岩波やら、白牙の一番最初に入れよった人が『白い牙』と訳しましから、そのままずっと『白い牙』で来たんです。面白いですね。?をいつも打つということの大事さということを申し上げているわけです。

それでその2冊を読みましたら、もうショックを受けました。別の言葉で言えば、掛矢で頭をぶん殴られたようなショックを受けたんです。今、よう言われるカルチャーショックというのですね。なぜかと言うと、こんな文明の世界の中で、のほほんと暮らしているような人たちの生活ばかりに浸っていると特に今の若者なんかもそうだろうと思うんですけど、あのアラスカのほうの零下40度、50度、60度、いやもしかしたら-70度かもしれんというような言葉が入ってくるような世界、そういう世界を人間じゃなくて、犬を、狼を主人公に仕立てたあたりがグーなんですよ。あれが人間やったらめちゃめちゃ、生々しすぎるじゃないですか。それを犬にした、狼にしたというあたりがやっぱり大ヒットになった。いまだに世界でロングセラーを続けているわけです。もう脱線ばかりしますが、聞いたところではいまだにヨーロッパの子供たちは寝物語にお母さんに聞かされて、野性の呼び声や、白牙の話を聞いて大きくなるんだと言って、私の友達の友達がオランダ人で、それで、そんな話を聞いたと言っておりました。そうなんや、と思いました。以来50年経っちゃって、とにかくこの犬の話だけかなと思いきや、他にもいっぱい書いているんですよね。ですので、それを自分で原書を求めて一生懸命、読んでいきました。そしたら、まあ、単なる動物作家、日本で知られているような動物作家の定着イメージが強かったんですが、別の、ものスゴくすぐれた作品がいっぱい出てくるんです。よっしゃ、力はあらへんけれど、いっぺん頑張ってこれを翻訳したろと思って、以後ずっとこれで来たわけです。大学の先生は原文を読んで、そのまま論文にします。しかし私はいつも?マーク打ってるんです。彼らはちゃんと読めて、きちっと読んで訳せてるんかいなという?マークです。僕はとにかく、自分で翻訳してみる。それを出版社が買ってくれる。本にしてくれる。それで初めて僕はその人が原文を理解したということになるというふうに判断します。なかなかしんどいですよ。ヒーヒー言いながらやります。でも次、次。僕は大阪や京都の出版社で出したことはありません。すべて東京です。手紙を書くところから始めていきます。アホちゃうかいなと思いますけどね。うん、高々、城南高校の先生でしたからね。そんなこと言ったら怒られるけど、これは冗談ですよ。いや、この辺ではよく知られてて、僕も名門だというふうに自負していますけども、そこに勤めている先生がそんなもん出してやね、これ、出してんか、なんて言ったって誰も相手にしません。けども、とにかく、しっかり、我慢をして、やって行こうという感じでやってきました。そして、単行本とか、文庫に入ったりすると、今度はそれをまた丁寧に読んで、それをまた論文に書くわけです。で、学会ですから、いくらでも発表するところがあります。もう、今日まで30本ぐらい論文は書きました。で、2005年に新聞に載りました。カラーです。10年余り前です。びっくりしました。京都駅、なんか会議に行った帰りしな、駅のホームの売店、そこに新聞を売っていて、別の女の子が見つけて来てくれて、先生載ってますよ、なんて言って、カラーやからね、それで喜んで5部ぐらい買って持って帰ったんをいまだに覚えています。もう今まで5、60回も載ってるから、もう新聞に言うのも、もう好きでなくなりましたけどね。何の話しているかわかりませんな。それで、私の訳した全集、それを全6巻、ハードカバーですよ。これは2万5000円程するんです。一冊6000円です。出してくれたんですね。何回、東京へ足を運んだか、覚えてません。そして以後も同じような調子で沢山頑張って本を出してきました。これが二つ目ですね。

それから三つ目なんですけども、「ジャック・ロンドン」とは、ということで、それならどんな人やねんというお話を少し聞いてください。

1876年、どれぐらいの時代かと言いますと、日本では明治9年です。いつ死んだかというと、1916年で大正5年です。僕の親父は大正3年の寅年生まれでしたから、昨年で没後100年になるわけです。それでもこれだけ世界にいっぱいフアンを持っているということですから、やはり大した作家なんでしょう。本当にそう思います。

たった40年の生涯、作家生活17年間でしたけども、何と驚く事なかれ、53冊もの著書を残したんです。53冊ですよ。17年間で53冊です。アメリカの牧師さん、神学者のドワイトという方がおられます。この人がこんなことを言いました。「天才とは努力する力である」と。僕はこれに感動しましてね、物覚えは悪いけど覚えとこと思って。わかります? 私も凡人ですのでね、天才とは努力する力である。そう言えば天才なんておらんのですよ。指折り数えるぐらいしかおらんのです。やはり持って生まれた資質というのはあるでしょうけれど、努力しなかったら何も残せんじゃないですか。どんな人も。だから、このドワイトさんの言葉が大好きで、天才とは努力する力のことである。とんでもない異才だったと思います。だから天才という言葉は使いたくないですね。異才、或いは偉いという字でもいい。そういうふうに思いました。

じゃ具体的にはどんな事をやったんでしょうね。僕は今日は「20世紀最大のロングセラー作家」というふうに銘を打ちましたけども、別の翻訳でこんなタイトルを打ったんですよ。僕のアメリカのオヤジと呼ばれていた人がロンドンの伝記を書きました。

そのタイトルがA pictorial life of Jack London。「写真で見るジャック・ロンドンの生涯」です、まあ、忠実に訳せば。でも、こんな訳ではつまらんと思ったんです。全体を俯瞰してみれば、僕はやはり「地球を駆けぬけたカリフォルニア作家」というタイトルにして本になって出ています。多分500ページぐらいある厚い本ですけどもね、それも東京の出版社が作ってくれました。ちょっと考えられないですけども、そんな人なんですね。地球を駆けぬけた、つまり40年ぐらいの生涯、駆けぬけたとはどういうことだということはこれからお話します。

初めての外国、これが17歳の時です。1月の23日にサンフランシスコを出てですね、アザラシラ狩りの船に乗って太平洋を横断しているんです。信じられないでしょう。17歳であんな荒海を乗り越えてやってきて、それからまた、千島列島の辺りまで。それでアザラシ狩り、すぐぶち殺して、はらわた出してという、あんなことを17歳でもうすでに経験しているわけです。18歳の時にはアメリカ全土をなんと、貨物列車なんかを無賃乗車しながら放浪したんです。ナイアガラの辺まで行ったら放浪罪でひと月間、豚箱へ放り込まれました。だけどそれを今度はまた、アメリカ浮浪記、と私は訳しましたけどもThe Road と言います。道なんですけどもね、道だって言ったってさ、男の道もあるし、女の道もあるじゃないですか。わからへん、それでは。で、私は『アメリカ浮浪記』というタイトルで本にしたんです。そういうことをやってのけている。これが18歳。21歳の時には今度はゴールドラッシュが、先程申しましたアラスカのほうですね、のすぐ東側に、ちょうど国が分かれますけども、カナダのほうなんですけどもね。クロンダイクなんて聞かれたことはあるでしょうか。クロンダイク地方、そこに金が発見されたんです。そしたら彼も一攫千金を夢見て、まだ21歳ですからね、行こかーと言って行ったわけです。そしてひと冬をそのクロンダイク地方で過ごしているんですね。みんなで建てて過ごした小屋がオークランドのジャック・ロンドン・スクエアという広場の一角に置かれています。世界がいくらでも広がっていくんですよね。やっていると面白くって。もう20年か30年ほど時間が欲しいなと思います。ちょっと心臓をやられておりますので先が見えてきましたけど、自分のね。まあ、普通に生きても80ですからね、男は。ということは私はもう7,8年しかないということです、普通に生きても。でも、もっと早いと思います。僕の親父も77で逝きましたから。やはりいろんなことを読み取って行くんですよね。別に自慢しているわけじゃないんです。情けないなと思っています。

それで、ひと冬、そのクロンダイクで過ごしています。その経験がまた、『野生の呼び声』になっているし、『白牙』になっているわけです。だから体験というか、経験というのをそのまま記憶力のいい人だったから、メモをいっぱいとって全部作品にしていくんですよね。皆さん毎日の日常生活の中に活かされるといいと思うようなことばかりです。

1902年、今度はイギリスの首都ロンドン、そこの貧民街イースト・エンドと言うんですけども、金持ちの方はウエスト・エンドなんです。その貧民街に潜入しまして、ボロボロの服を着て、みんなと同じ生活をするんです。かっこつけて、カメラ持って、どうたらこうたらという、そういうリポーターみたいな立場じゃなくて、自分もそういう人たちの1人だという感じ。そして何んと何んと、今や当たり前になりましたけども、ルポルタージュ。ルポの先駆けになりました『どん底の人々』というルポを残しているんです。これも私、訳しました。もう超人的という言葉を使ってもいいと思うんですけども、ようこんなことできたな、地球を駆けぬけた………です。まだまだありますよ。

1904年です。日露戦争の取材にも来てるんですね。みんな世界の記者たちは東京で足止めされて。で、美味いものばかり食わされていたわけです。ロンドンは全然それに満足せず、抜け出して汽車に乗って門司、下関まで行きます。そこからは今度は小さい、小さい舟を、その寒い時に、雇って朝鮮に渡るんです。そして朝鮮から歩いてずっと日露戦争をやっている近くまで、今で言うと鴨緑江(おおりょっこう)あの川べりまで行っているんです。そして何10編ものリポートを送っているんです、アメリカの新聞社に。それはそれでまた評価されているわけです。ちょっと考えられないでしょう。

1907年から8年、この時には自分で船を作って、ハワイまで行って、ハワイから南太平洋、もう細かい事言いませんけども、最後にはオーストラリアのシドニーで終えてるんです。本当は世界一周しようと7年かけて。言っていたんですけども、白人だから皮膚が弱い。水ぶくれになったり、いろんな病気をもらうわけです。それでまあ、断念をしてまた帰っていくんです。

かと思うと、今度は陸に上がると、1911年にはサンフランシスコのあたりからオレゴンまで、計算すると約2400kmに及ぶ3ヶ月間の四頭立ての馬車に乗って旅をするんです。今だったら車で ピュッと行ったら終いだけども、2400キロを4頭立ての馬車で行ったら、それぐらいの時間かかったんでしょうね。考えられないですね、ずっと追っていくと。で、先程申しましたように1916年に40歳で死去しています。

ポイントは現地へ赴き、その目と肌で実感し、読み、書く、という強さ。これがロンドンのすごさなんです。それは当然、行って、見て来てるから、迫力あるから、読んだ人は説得力を得ますよね。読んだ人に対して説得力を持つということなんです。

こんな言葉も私大好きで、要するに旺盛な好奇心と冒険心があったということですね。今でもちゃんと通じますけどもWhen a man stops being curious, He stops growing. 「人間は好奇心を持つことをやめたときに成長が止まる」これは ロンドンの言葉ではありません。一般的に今でも誰でも知っている表現ですが人は好奇心を持つことをやめたときに、俺はもう何の興味もなーいというふうになった人は、これは若者であろうがどうであろうがもう成長は期待できない、ということなんだろうと思います。

ロンドンにはとても及びませんけども去年9月に出した仕事でトータルで32冊になりました。全然その才能が違いますから、話にならないんですけども読んでみてください。

『20世紀最大のロングセラー作家』なんてタイトルを打って、彼の生涯を書いておきました。カリフォルニアを歩いたときの様子を神戸のお酒のグルメの雑誌に連載をしまして、それをまとめて本に出しました。この3冊だけですけども、32冊なんてとても持ってこられないんで、これを戸山さんにお渡しして、事務局の方に本棚があるとおっしゃるので入れておいてもらったらいいんじゃないかな。また、引き出してお読みになればいいんじゃないかと思い、お持ちしました。

サンフランシスコの街があります。空港があります。そしてここにゴールデンゲートブリッジ、有名な。ジャック・ロンドンは晩年、この奥のほうのソノーマというところ、あまりにも有名なカリフォルニアワインの名産地です。ナパ谷は数えると大体400件ぐらいワイナリーがあります。ソノーマ谷でも何10件というワイナリーがあります。ですので、そのところで最後は大農園を、土地を買い足していって、作った人なんです。だから別名、「馬に乗った水夫」なんて言われています。もともと海ばかりでしたが最終的には大農園。綺麗な、綺麗なソノーマ谷の一角の農園を買ったわけです。今度、5月にまた行こうと思いっています。だからサンフランシスコにご縁のない人はぜひ、出かけてください。ここがベイ・エリア、サンフランシスコは長いので飛行機でもそうですが空港では S FOとなっています。これが略字です。サンフランシスコ市内で、10も15も丘があるものですから、それを切り開いたもので、なんだ坂、こんな坂みたいな、だからケーブルカーが未だに走っているわけです。ぜひ、いらしてください。私はもう、トータルで、今度行ったら24回目になります。別に遊びにばかりと違いますよ。留学ももちろんしているわけですけども。そんなところですね。いや他にももっとええとこあるぞ、ナポリはええやないか、どこがええやないかっておっしゃる方も、出てくるとは思うんですけども、しかし、アメリカではナンバーワンの景勝地、いろんな意味を含めてね。それから気候がいいんです。冬でももうあったかいし、夏でも涼しいというね、もうしゃべりだしたらキリがないのですけども、そういうことであります。

このサンフランシスコのベイ・エリア、このあたりがジャック・ロンドンの故郷です。対岸までベイブリッジという橋があります。渡ったらそこがオークランドです。アスレチックスの本拠地です。その隣が世界に冠たる大学、UCBですね、University of California, Berkleyバークレー本校です。ロンドンはこの大学に自分で独学で入学しているんですけどもね、授業が面白くない、つまらない、先生が紹介する話なんてアベレージだから、もうそんなもん全部読んだ、すごい読書家だった。で、ワン・セメスターで、もう1学期で退学しているんです。家族が貧しかったので、一生懸命働いて金稼ぎをしなくちゃいけないという状況があったんですね。その二つの理由で。いつも大学校内を案内しながら皆さんにそんなふうな話をしながら、歩いているわけですね。

今度の5月にまた8日間程かけて、「第13回ジャック・ロンドンへの旅」をしてきたいと思っています。全国から集まってくるんですよ。それからまたレピーターが多いんですね、今度は行かないけども名古屋のある人なんか、名古屋大学の大学院の博士課程出ている人だけども、もう7回も参加されている。僕は13回目やけど、もう7回も行ってる。おかしいんじゃない、あんたって、言ってるんですが、さすがに今度も行かへんかと聞いたら、おかあちゃんに「もう止めとき」と言われたとか。

さて、最後になりますが、このオークランドの海辺寄りのところにファースト・アンド・ラスト・チャンスという酒場があります。1883年の6月1日創業ですから、もう130年以上経っています。創業者のジョニー・ハイノルドは非常に面倒見のいい人で、我がジャック・ロンドンにもいろんなサポートの手を差し伸べられたようです。そしてなんと2000年ちょうどの9月1日に国の史跡として登録をされました。ちゃんと入口のところに銘板が貼ってあります。関空からですと、いつもそうなんですけども、UA というアメリカの飛行機会社が飛ばしている飛行機が直でサンフランシスコまで飛んでくれます。行きはだいたい10時間ぐらい、帰りはだいたい10時間半から11時間ぐらいです。もちろんエコノミーですけどもね。皆さんみたいにお金持ちじゃありませんのでエコノミーばっかりですけどもね。いらしていただいたら嬉しいなと思います。もうちょっとしゃべりたかったですけども、これでちょうど30分経ちました。終わらせていただきます。どうもご清聴ありがとうございました。

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