~週末ライフワーク~

2017.9.7

~週末ライフワーク~

菊地勝彦

菊地です。今日は私がすごくハマっているというか、素晴らしい世界やなと思っている自転車について皆さんの貴重な卓話の時間をいただいて発表させていただきます。

この機会を通じて自転車を皆さんに知っていただいて、息子さんやお孫さん、もちろんここにいらっしゃる皆さん方にも、ちょっと興味が湧いたらある程度の知識を持って自転車を購入したり、走ったりできるようになっていただけたらありがたいなと思っています。

まず、宇治川上流でツーリングをした動画を見てください。(動画上映)

では私が今まで自転車と言う乗り物にどういうふうに接してきたかということからお話します。

初めて自転車に乗ったのは小学2年の頃で普通よりはちょっと遅かったんですが、それ以来すごく自転車でどこかへ行きたい、遠い所へ行きたいという思いがありました。ある日、宇治まで行ってみたいなと思いました。住んでいるのは黄檗なのでその年代の子供にとって宇治とは結構遠い場所やったんですが、それでも道順が大体わかっていたので友達に声をかけました「宇治まで行こうやないか」と。で、当日がきました。誰も来ないのです。後で訳を聞くとお母さんが危ないし行ったらあかんって言わはった、ということでした。私の母はその辺寛大なのか、鈍いのか、好きなとこへ行っていいよと言ってくれてたんで1人で宇治を回って帰ってきたんがまあ、ちょっと自転車で遠いところへ行く一番最初のきっかけになりました。その後、小学4年になると親戚が大阪の牧野にありまして、そこまでもだいたい自分で道順がわかってきたんで1人で牧野まで走って行ったりしていました。

それから中学に上がるとランドナーと言うタイプの自転車を手に入れることができました。ランドナーとは長距離の旅をするための自転車なので、これで日本一周したりできるぞ!とよく考えたりはしていたんですが、実際はそういう夢もかなわず悶々とした中学時代を過ごすことになりました。高校に入りまして山岳部に入ったんです。その中で、部員の同級生の中で、同じタイプの自転車に乗っているものが2人もいまして、3バカトリオと言われるぐらいにいつも3人で山岳部の装備を持ち出しては丹後半島一周やら琵琶湖一周のロングツーリングに出かけることができるようになりました。

その中で丹後半島一周の時にあったアクシデントなんですが、クランクの所に付いている大きいギアの中心にベアリングが入っています。それがどうも自分で組んだ時に組み付け方が悪かったみたいで、走っている最中に中でギヤが砕けてしまったんです。当時、あの部品はフランス製の、もう、小遣いをはたいて買ったようなものでしたので、修理に専門工具がいるんです。でもそれは持っていくのを忘れていて、地元のおっちゃんになんとか修理をお願いしたんですが、専用の工具は無いし、傷がつくのは惜しいけれど、これ以上ここに滞在していても迷惑をかけるからということで、まあ、荒い作業で泣く泣くベヤリングを直してもらったという経験がありました。

また、大晦日の日にも走っていて、かなり暗くなってからテントを張らなければならなくなってしまって設営地を探していました。ある民家の横が広く空き地になっていたので、ちょっとこの民家の方にテントを張りたいんやけどと聞いてみますと、まあ張ってもいいよということで快く承諾していただいたのでテントを張ることができました。ところが、なにか朝起きるとどうも顔が水につかっている。耳の中に水が入っている状態で、爆睡していてふっと起きたらそこら辺、一面水たまりになってまして。えー!と思って外へ出てみるとそこが田んぼやったんです。明け方に降った雨ですっかり水が溜まっていまして、そら、水はけが悪いはずや、と。そういうハプニングもありました。

自転車は学生時代はそういうことで親しんでいたのですが、その後仕事やいろいろありまして自転車からはちょっと離れておりました。そんな中で25歳のときに足首を骨折しまして、2ヶ月ほどギブスを巻くことになりました。ギブスを取るとすごくふくらはぎがもう細くなって歩けないような状態になってました。それで、慌てて近くのアスレチックスジムに通うことにしました。そこで自転車とは関係がないのですが、水泳に興味を持ちました。とにかく泳ぎたい。当時100m のクロールが泳げなかったんでとりあえず長く泳げるようになりたいということで練習をしていたところ、ジムの方から水泳大会の参加を誘われます。それで、その大会に出させてもらったところ、いきなり入賞してしまって、なにか自分ってすごいっていう気持ちになったのと、初めてそういう、表彰をされるという経験をして、競技というのは面白いもんなんやと気づいたんです。

その当時トライアスロン競技が結構流行っていました。琵琶湖でアイアンマン(鉄人レース)というのがありまして、これにすごく憧れるようになりました。トライアスロンというのはご存知の通り水泳、自転車、最後にランニングの3種類の競技を一つのレースとして連続してする過酷な競技なんですね。もともと自転車が大好きだった私はすぐに挑戦してみたくなりました。そうは思っていましたが、すぐに出られるかと言えば、トライアスロンの大会は前もってこれまでの競技実績等を記入しまして申し込みをして抽選をして、その抽選で選ばれるとやっと出場 OK という流れをふまないと出られません。なので、そんなにすぐには出られないなと思っていたところ、たまたま友達がある理由で出られない大会があるからそれに出てみないかという話になったのです。地方の初心者対象の大会で、スイムが1キロ、バイクは20キロ、ランニングが5キロというちょっと短い大会に出させてもらえることになりました。それもいきなり3位に入賞してしまって。代わりに出てくれと言った本人が結構慌てていて、ワシよりなんでという雰囲気でした。

そんな経緯があって、どんどんトライアスロン競技にはまっていくわけです。

で、25歳から始めて5年くらいした頃、どうしても長いレースに出たくなりました。最終的にはアイアンマンレースに出場したい。当時、琵琶湖のアイアンマンというのも、もうなくなっていて、国内で長いレースというと皆生温泉でのロングタイプのレースと、佐渡島のコースが一番長いものでバイクだけで190キロと、かなり長い過酷なレースです。あと宮古島というところでストロングマンレースがあります。南の島で泳げて綺麗でいいよと言う話を聞いていたので宮古島にすごく憧れていました。宮古島に出たい想いは募りましたが、やはり長いレースを踏まえて挑まなくては、そもそも抽選に参加できないので、まず最初は佐渡島のレースに参加することにしました。

水泳は3.9km 、沖に小さな船があり、そこでターンするのでどんどん沖まで泳いで行くんですが、たどり着くとその小さい船はじつはすごくでっかいフェリーでした。それを折り返して帰ってきて、次に佐渡島一周の自転車です。島というのはすごく起伏の激しい外周でして、登ったり下ったりを繰り返して190km。とりあえず自転車で帰ってこれたんですがもうその時点で体力を使い果たしていまして、もう放心状態なんです。次のランニングをする気力というか、頭がそういう方向に向かなくてただ、ぼーっと呆然としていると応援に来ていたかみさん(奥さん)が「お父さんこっちこっち!」と言ってランニングのグッズのあるほうを指すんです。「ああ、声かけて欲しくなかったな、休んでたいのに」というのが正直な気持ちでした。なんとかランニングを走り出したところ、2キロ走ると足がつってくるんです。はぁと思って、補給地点に向かいます。そこにたどり着いて水を飲みたいのですけれど、もうその手前で足がつって伸ばして、という状態で。普通ランニングというのは5時間ぐらいで完走ですがその時は7時間ぐらいかかってしまって。今から思えば人間使ってはいけない力を振り絞らないとあかん時があって、その時それをすごく振り絞って帰ってきた結果、もう20歳ぐらい老けたような状態でゴールすることになりました。でもそれで頑張った結果、ついに宮古島の大会に出られるようになりました。

宮古島の水泳のスタートですが、参加人数が1500名います。ヨーイドンで第1ターンに向かって泳いでいきます。それで第一ターンというのは幅が制限されていまして、10m ぐらいしかありません。そこへ向かってヨーイドンですから。そこまで500m ぐらいあるんですが一番全力で行って苦しい時にその第一ターンを迎えますので、もうここでとにかく辞めたいとか、もう溺れるとか、そんな感覚がすごく頭の中によぎって、もう逃げてしまいたい自分の気持ちを必死で抑えつつ泳いで、まあ何とか耐えて帰ってきます。前の選手がいきなり平泳ぎをして、かかとがゴーグルにめり込んだこともありますし、もう蹴られたり殴られたり格闘技みたいな競技です。それから帰ってくると次は自転車です。浜から上がっていってバイクトランディションという自分のバイクを置いてある場所でウエットスーツを脱いで、ウエットスーツの中にある程度自転車の服を着ているのでそのまま走り出すことができます。5回連続出場したんですけども、3回目の時にあるはずのものがなかったんですね。自転車には専用のバイクシューズがいるんですが、それをどうも忘れて来てたみたいで靴が無い。ウワーどうしょうと思って。まあ、とにかく裸足で乗らなしゃあないなということで、裸足で150キロ走りきるわと思って走り出したんですけど、もう5キロも走ってないうちに足の裏が攣って来まして、これはとてもやないけどあかんとなって、マーシャルという監視しているバイクの人がおって、その人に、ちょっと宿までシューズを取りに行っていいですか、コースアウトしてもいいですか、と問うたところ、大丈夫や行ってきなさいということで、宿に駆け上がって靴を履いてまたコースに戻ったという、そういう経験があります。後に、他のクラブの会報で、何かはだしで走っている変な人がおったというのをきっちり載せられた、という。

ハプニングというと他にも、この宮古島トライアスロンではないんですけども、当時加賀、福井ですね。そこで石油が流失してすごく海岸が汚れたという事故がありました。その時にちょっとでも加賀という場所を注目してもらうためにトライアスロンが開催されて私も参加しました。その時に自転車のパートで直線を走ってたんです、一本道で。ところがなぜか気が付いたら目の前に田んぼがあって。そのまま田んぼの中に自転車ごと突っ込んだんです。泥だらけになるわ、田んぼは一坪ほど稲をなぎ倒すわ、フレームは変形するわでもう最悪です。その後もレースを続けてランニングに移りまして走ってたところ、みんなが振り返るんですね。この泥だらけの人間はなんやということで。それでまたテンションが下がってすごくまた辛いレースになりました。

トライアスロンの自転車はちょっと特殊なものでして、ポジション的にはDHバーという二本の棒状の持ち手がハンドルの真ん中のところに付いています。DH ポジションというまあ言えばタイムトライアルでちょっとでも空気抵抗を減らすために上半身を前に深く倒して両腕を伸ばすような姿勢で乗ります。それで車みたいに時速40km近くで走り続けたりできるわけです。

ランニングについてはこれもすごく勝負どころになります。水泳が終わってバイクで走って、そこまでをいかに体力を温存して進めるかで、力を残して最後のランニングに賭ける方もおられるし、できるだけ自転車で頑張って逃げて、あとはランニングはもう我慢大会という形で勝負をする人もいます。僕は後者の方なんで得意の自転車で稼いでおいてランニングは抜かれっ放しです。抜かれるとなにかエネルギーを吸い取られるようなすごく不思議ないやーな感じになってくるんです。そんな感じでランニングは私の一番苦手とする種目でした。

ちょっと話が逸れましたが、それで、自転車から42.195kmのランニングをして、宮古島のゴールを迎えるわけです。順位が決まって表彰をもらうんですが、5回連続参加させてもらって一番最初は1500人中で200位という順位をもらいました。この大会の一番の特徴は完走Tシャツという、完走した人だけがもらえるTシャツがありました。その当時、PAPASというアパレルメーカーが協賛しておりまして、そのPAPASの格好良いポロシャツの袖口にその順位が入っている物がもらえるんですね。速い人はガツンとその数字を見せて、弱い人は袖口を折ったりして、ちょっとでもコレクションとして順位の高い表彰というか完走Tシャツの、より小さい数字のを、できれば2ケタなんかやったらめちゃくちゃカッコイイ、そういうのをもらいたいと思ってました。

で、次の年が体調を崩していたこともありまして順位がちょっと落ちました。それでももっと何とか順位を上げたいということでだんだん練習量も増やして、ちょっと順位が上がってきました。それで4回目になりますと103位、大幅にジャンプアップです。宮古島は毎年応募するんですけども非常に申し込み者数が多いんで、いつ外されるかわからないという危機感がすごくありました。来年も出たいなと思えば100位以内に入ることでシード選手扱いになるんで確実に出られるようになります。その時はもう必死やったんで、頑張って100位以内に入りたいと思っていまして次の年、挑んだところついに65位という順位をいただきました。なぜか9時間がきれなかったというジンクスがあるんですけども、最後のランニングが3時間29分ということで普通のランニング単品で出たときよりもいい、ベストタイムがこの大会で出せて、いかに体調とか、モチベーションとか、いろんな要素が絡み合ってすごくいい状態でレースができたかがわかります。この時のランニングは、いつもはエネルギーを吸い取られる方だったのに、エネルギーを吸い取った側に回りましてすごく楽しいというか、軽快な走りができました。

それで帰りまして、かみさんに「シード選手とったから来年もバッチリ出れるわ」と言ったら「いやいやいや、もうこの辺でやめといたほうがええ。もうこれ以上の順位は望めへんやろ」と言われまして、そういうたらそうやなと思いました。まあ有終の美というか、一番上で辞めるというのもあるな、潮時かな、ということですんなり納得しました。

実際この頃になると週に17時間確保という感じでトレーニングに時間を割いていました。朝は5時に起きて10キロランニングして。仕事を終わって1時間自転車に乗って1時間走るとか、そういう生活がずっとやったんで体も多分、免疫とかも落ちてたのか顔は水泳のプールの塩素にやられて肌がカサカサになっていたり、後、一番びっくりしたのが、息子が二人いるんですが、長男と次男が六つ年が離れています。なかなか次男ができなかった。トライアスロンをやめた途端に次男が生まれたということで、そういうこともあるんかなと、いかに体力を使い果たしていたかということがありましたね。

そんな中、次に何かやりたいなとは思っていたんですけどもなかなか新しくスポーツとか、そういうのが見つけられなくて、ちょっと悶々としていました。そんな時、仕事で一般のお施主さんから家をこうしたいんやとご相談を受けてその家にお伺いしました。すると玄関口に明らかにシリアスなランナーが履くようなシューズが転がっていました。ウーン、何か走らはんのかなと気になって、商談が済んでから「すみません、玄関に転がっている靴はご主人のですか?」と聞くと「いや、わっしゃウルトラやってんねん」と。「ウルトラって何なんですか?」と聞くと「ウルトラマラソンや」。「ウルトラマラソンって?え?」と言ったら、「100キロ以上走るのがウルトラマラソンと言うんや」と教えてくれました。100キロかぁと思って、今までフルマラソンしか走ったことがなかったので、100キロの世界というのはまたすごい世界なんだろうなと興味が湧きました。それで、それからその方にお世話になっていろいろ練習とかつき合っていただいて、1年後に和歌山県の那智の滝のあるところで開催される「奥熊野いだ天ウルトラマラソン」というのに初めて参加しました。那智の滝というのはかなり山の方にあるんですね。そこがスタートで、さらに山の中に駆け行くマラソン大会で、ふと周りを見ると電信柱もないし、何にもないし、もう文明を示すようなものが一つもないような場面もありまして、すごく高低差の激しいタフなレースでした。

藤森プログラム委員長:(時間ですよ!)

もう30分も経ったんですか。せっかく皆さんの前で自転車を披露しようと持ってきたんですが、その説明はおいといて、この前、乗鞍岳に行ってきました。その動画を映させていただいていいでしょうかね。そのシーンだけ見てくださいませ。(動画上映) 

ご視聴ありがとうございました。

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