ランドスケープから庭園まで

2017.12.14 

宇治市植物公園園長・造園家・農学博士

曽和 治好

どうも皆さん初めまして、宇治市植物公園の園長の曽和と申します。よろしくお願いいたします。今日は大分寒い中で、雨まじりの中で、寒いなと思って来させていただいたんですがこちらの会場に来させていただいたら、すごい暖かい雰囲気で、すごくお誕生日のお祝いであるとか、奥様の誕生日までお祝いされているということで非常にあったかい雰囲気の中でお話させていただくこと、大変光栄に思います。よろしくお願いいたします。

私の名前は曽和治好と申します。現在、宇治市植物公園の園長をさしていただいておりまして、いろいろな活動をさしていただいております。先程紹介いただいた通り積水ハウスで働いておりまして造園ランドスケープの仕事をさしていただいていました。スカイビルがかなり一番その当時では大きな仕事になりまして、私自身が設計をしたわけではありませんが吉村元男さんという造園家とそれから原広司先生、京都駅を設計した先生で、建築家でそのチームの中で造園の担当をさせていただいて街の中に緑の空間を作り出す。そういう仕事もさせていただきました。現在は植物公園というところで園長をさせていただいておりまして、皆さんよくご存知だと思います、温室があって、タペストリーがあって、秋のゾーン、春のゾーン、駐車場、レストラン、そのような植物園をいかに面白い場所にして行くのかということで活動しています。フラワーブリッジであるとか、うちの一番メインの樹はシダレザクラ、春咲いている様子です。このように春は本当には華やかな様子でありまして、それから温室ですね、温室の中には熱帯植物がありまして、今ちょうどあったかい時期になっております。それからフラワタペストリー、日本最大の花と水のタペストリー、それからこれは碧生と真ん中のカスケールの空間ですけども、こういうふうな成形式の、ヨーロッパ風の庭園の。こちらにハウチワカエデなんですけども、これは春に撮った写真です。ちょうど今、紅葉をいたしましてまあ、新たな宇治市の紅葉の名称を作れたらいいなと思って今は頑張っております。今日はそういう中でまず庭園についてのお話をさせていただきます。それから庭園からランドスケープへと繋がっていく話を少しします。

まず、庭園と言いますと先程お茶をいただきながらお話させていただきましたが我が国は西暦600年頃、650年とか670年ぐらいの飛鳥時代に庭園ができておりまして、これは説明会の時に樫原考古学研究所が作った、その当時の飛鳥京跡苑池と言う庭なんです。飛鳥時代にもすでに池が合って、それから蓮の花を植えて中に島があったり、それから噴水まで作っていたという例があります。これは別の人が描いた絵なんですけども、ここに酒舟石という石がありまして、そこから水が飛び出していたという例があります。そこらへんが日本庭園のルーツになるだろうと言われています。遺跡なんですが外交舞台というか、やはり昔から政治的な部分にはこういう庭がありまして、庭というのは外交の場所になっていくというふうなことがいわれています。平安時代、この辺一帯、平等院なんかもこの時代になってきます。寝殿造り庭園という豪華な庭が平安時代の雅の庭が作られました。池の中に中島があって橋があって、それを渡っていく。前にせんだい(前栽)そういうものがありまして、そういう雅やかな庭というのが平安時代に発展していきます。これは福井県にある紫式部公園、平安時代を再現しようとしたものです。こういう絵巻物みたいなものを表現している庭と考えていいんじゃないかと思います。この時代にはすでにハウツーメイキングカーデン、作庭期ですね、庭のハウツーものがこの時すでにできているということで、世界でもかなり早い時期にこうやって庭を作るのだと出ているんです。この中で10種類の滝の落とし方が出ていまして、もう、平安時代にすでに10種類の滝の落とし方に名前をつけて出たという、そういう意味では世界の日本が先進国であるといえるのではないか。さらに自然式庭園が鎌倉時代になりますと皆さんご存知の、外国人が一番喜ぶ庭の一つがこの金閣寺の庭だと思います。こういう別荘庭園ができたり、もう一つが禅宗の庭ということで竜安寺の石庭ですね。これは何に見えるか、いろいろ議論がありますが海があって、島があるというふうなものなのか、ある一つのバランス、美しさを象徴的に表したものであるとか、いろんな考え方があります。ある意味、哲学的なというか、宗教的なこういう庭ができていく。水戸黄門が贈ったと言われるような手水鉢もあったりして、これはどうも枯山水というのは水墨画のような、こういう世界感を表している。抽象絵画に近づいてくる豪華絢爛な庭がどんどん日本では一般化していく中で.こういうどんどん局地に行くと、そうするとだんだん省略が始まって、より本質的なものを求めていく中国の山水画のような水墨画みたいなものが色彩をまずなくしていって、それから質感をなくしていくとこう言う一つの世界観ができてくる。そういうものが多分、枯山水と言うものを作り出す、まあ、一つのきっかけになっているんじゃないかと思います。

で、次に江戸時代になりますと代表的なところで江戸城の庭園ですけども大名庭園というものができてきます。大規模でそれから堀があり、池があり、そこをめぐっていくというふうな庭の形式ですね。例えばこれは金沢の兼六園、今、雪つりがされていますけども巨大な池がある。これが実は面白いのは高台の一番高いところにこんな大きな池を作ってあるというのは金沢の街の中で一番高いところにこういった大きな池を作って、何Kmもの先の川から水を引いて来ているというところにまあ、当時の大名の権力の大きさというのがわかってもらえるんじゃないかと思います。もちろん京都と言いますとこの桂離宮ですね、世界的にも有名な公家の庭なんですけど、池を作ってその周りをまわってという庭園構成になっています。これは例えば、雪舟の天橋立図のような、不思議な絵と言われていますが空から飛んで見下ろしているような視点になっているというのがまあ、この当時、飛行機で空を飛べへんのに何で見下ろしたような絵が描けたんだろうと不思議さがあります。大名庭園にもこういう大きな池を見下ろして、海なんかを見下ろして、そこの名勝をめぐっていく。そういう空間構成になっている。これは近江八景の瀬田夕映、広重の絵なんですけれど、こういうふうなものに大名庭園は繋がっているのではないかといわれています。それが次に、これはだいぶん近くなって来まして、明治時代になりますと自然風景式庭園という、一つ有名なので行きますと山形有朋の無鄰菴というものがありまして、ちょうど紅葉の時、東山の中にこういう流れがありますが、これは田舎の村の、実際どこにでもあるような風景を作って行こうというふな、空から見下ろした広い海の風景ではなく、本当に身近な風景を作ろうとしたということで、例えばこの西洋の風景画の影響.こういう身近な村の中にきれいに流れている小川みたいなもの、実寸大であらわそうとしているのではないか、まあ、写実的な風景への回帰というのが言えると思います。さらに昭和になりますと先程の有隣の庭には、友禅会館にあったものを岡山へ動かしたものなんです。このような西洋の抽象絵画みたいなもの、こういう絵画を日本庭園に結びつけて、それから現代的な日本庭園を作ったという、その時代時代の技術、そういうものがまあ、自然の表現であると言われているような庭に非常に今、影響を受けているのではないか。こういう庭をヨーロッパとか、中国とか、いろんな所へ行きますとアメリカでもそうなんですけれど、日本の庭はすごいと言われます。それはなぜかなと言いますと例えばヨーロッパですとイタリアというのがやはりルーツの国になります。ギリシャとかローマとかがあった国、ああいう国でもせいぜい庭園形式はルネッサンスぐらいからなんです。ですから、飛鳥時代からずっと庭園の系図がこうやって繋がって発展して、その時代時代に合わせて新しい形式の庭を生み出してきたという日本の世界の歴史の冷蔵庫といいますか、正倉院からずっと引き継がれていますけれど、それに対して私は中国庭園の研究家といろいろ共同研究する機会があります。向こうはやはり支配民族が変わると全部破壊しちゃうので中国は確かに素晴らしい庭園形式を持っていましたがそれが全部破壊されてしまっているということで、今、その古い庭がどうあるかというのを発掘しようとすると大変らしいです。そういう意味で日本が庭園文化が世界一だと言われるのはそういう継続性という1000年を超える継続できる民族である、その凄さが多分、今、アメリカやヨーロッパに世界全国の中で評価されているというのはそういう部分があるのではないかと思っています。こういう庭もですね、今みたいに庭園式的な、歴史的な見方というのが一つあります。私が今、着目していますのはそういう庭が何であんな綺麗なのかな、京都の庭は世界一きれいと言います。平等院の庭も今、本当に綺麗に手入れされています。フランスのベルサイユ宮殿に行ってもあんな綺麗じゃないんです、実際回ってみると。その綺麗な原因は何なんだろうと考えるときにやはり管理をしていく技術というか、庭というのは何百年も引き継がれていきます。その間に毎日掃除をしている人、剪定している人がいます。それはビジネス用語ではランニングとか、ランニングコストとか言われますけども、そういう意味で言うと庭園というのはランニングコストの集積代というふうに言える。そのランニングコストに今までどれだけエネルギーを積み重ねてきたのか、その庭の美しさになって表現されている。その表現するものの一つとしてこういう掃除の道具というのがあります。これは手ぼうきという道具なんです。私は大学時代にですね.この京都の庭を勉強して一番びっくりしたのはこの手ぼうきという道具だったんです。日本全国で普通の庭ぼうきはあるんですけども、こんな小さなほうきなんて見たことがなかったんです。長野の植木屋で私ずっと5歳ぐらいから造園に関わってきました。その辺のことは京都新聞、随想 「山城に植木屋の息子に生まれて」という記事があります。それ庭掃除は芸術」もありますので見てください。掃除が芸術的レベルまで高まっているというのが京都のこの地域の特徴ではないかと思っています。手ぼうきは京都の庭師の掃除道具で一番仕上げに使うほうきなんです。竹でできた小さなほうきで、これを最近使う人がだんだん若い人なんか減ってきました。皆さんご存知かと思いますが最近落ち葉を掃除するときにブーと言わせて掃除機の逆の、リーフブロワーと言いますがそれでばーっとお掃除している風景をよく見ると思います。あれが京都の庭でやると観光客が何が起こっているんだと驚かれます。わざわざ飛行機で飛んできて京都の綺麗な庭を見に来たのに何でこんな騒がしい音がするのかといいます。やはり、こういう道具は大切な道具だなと私思いまして、自分でこの竹箒の作り方を再現してみようということで竹の穂づくりからこのような一つ一つ竹の穂を束ねてほうきをつくるという活動を始めました。ちょうど久世橋の南側のところにそういうほうきを作る業者さんがいたはりまして、昔は14件ぐらい竹箒業者さんがいらっしゃったらしいです。もしかしたら、今日、ここにいらっしゃる方の中でそういう竹ぼうき屋さんをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。今はもう2件ぐらいに減ってしまってもう80何歳になって、もう、あと何年京都産のものがつくれるかという状況らしいです。そういうものがある意味、絶滅器具種になりつつあるんです。ですからこういうものを我々の世代の人間が引き継いで行くことを考えないといけないだろうということで、My手ぼうきを作ろうということで、自分らでつくれるんじゃないかというふうな活動を始めまして、手ぼうきの作り方、教材を作っていろんな人に訴えかける活動をしています。このように若い人に手ぼうきを作って掃除をして、体験してもらうということもやっています。手ぼうきの音とか、ハサミの音なんですけれど、先程のブーという音が本当に京都の音に似合うか、それとも、竹でシャシャシャと掃いている音が似合うかというとやはり竹の音が似合う。庭というのは実は見る目だけじゃなくて、そういうこと、そこに聞こえてくる風の音であるとか、庭師が掃除していることとか、ハサミでカチンカチンとやっている事とか、そういうところまで楽しむような感性に、日本人の感性というのは高いところまで行ってたんじゃないかなと私は考えております。こういうことを無鄰菴の庭園で手ぼうきづくりのワークショップを展開したり、いろんな、まあ、日本全国を飛び回り、若い人、小学生からいろんな人に「手ぼうきって面白いよ」という作る活動をずっと展開しております。

あと、造形大学の授業でも造園の仕事に就く人は多いので手ぼうきを必ず全員作るようになりましょうということで竹を使ってみんなで手ぼうきを作るという授業を展開しています。で、先程の新聞で庭掃除は芸術というのを書いておりますのでこれでまた私の意見を読んでいただいたらと思います。京都の庭師は掃除ができてこそと言います。川崎幸次郎さんという松下真々庵の手いれをずっとやっておられる造園会社の宣託されるものは、庭師は掃除ができてこそ京都の庭師になれるんやとおっしゃってまして、そういう掃除は技術かというのを和というふうに考えるんですけども、やはりこれは技術レベルまで行っているのと違うかというのが私の持論であります。そのような掃除まで素晴らしいレベルにある庭園というものがヨーロッパではそういう日本の庭園文化ってすごいなというところに今評価が高まっています。なんでこんな掃除が

芸術やてことを、今までの造園学会というのがありまして、大正時代からずっと続いていますが、誰もそういうことを今まで指摘がないのです。長い学会の歴史の中でも。なぜかというと多分私が思いますには学者の先生方が実は実際掃除したことないんちゃうんかなと、みなさんホワイトカラーの方が多くて、だから掃除を研究しようという人が出なかったんじゃないかなということがありまして、そういう意味で私は植木屋の息子として造園に関わっておりますのでやはり植木屋の視点で見ると、現場の視点で見ていくと、その素晴らしさというのが見えてくる側面もあるんじゃないかと思っています。こういう活動度を京都で財務省というところから京都新聞社賞というのをいただいたり、まあ、数々の7年間の連続受賞というのをさしていただいて、そういう活動で庭をテーマにしたもので受賞というのも沢山さしていただきました。こういうものをベースに竹のほうきを作っているだけではだめだろうということで実は、なぜ竹というのは大事な素材だと言いますと山であるとか、環境であるとかというところに実は繋がっているんです。現在のプラスチック製品などどんどん使われるようになって竹製品、例えば竹ぼうきとか、竹のザルであるとか、竹のいろんな生活の用具があったと思います。それがどんどん使われなくなって来ている。それで竹林が荒れて山が荒れる。山が荒れると鹿が出てきて、イノシシが出てきてえらいことなってますというのが日本の今の山の自然環境の問題点であると思うんですけども、まあそういうところにちょっと竹を使ってですね、竹林も綺麗にしていくという、まあ、要するに植木屋が自然素材を使って掃除して綺麗にしていくと山も綺麗になっていく。そういう自分たちの仕事の仕方をちょっと変えるだけで実は自然というものに繋がっているということで天橋立で有名な宮津市と一緒に協力しまして竹の学校というのをやったんですね。これは外国人の方も来ていただいてワークショップをやりまして、これが放置竹林と言われているものなんですけども、竹林が荒れまくっているわけです。宇治市の中にもたぶん竹林をみんなきら切らなくなって倒れて荒れてる竹林があると思います。これを見て、これは何とかしなくてはいけないねというようなことで、研究者とアーチストとデザイナーとかが集まってその竹を考えようという国際ワークショップを造園的な視点からやって行こうということでインターナショナルワークショップバンブーアートというアイバード(IBART)と名付けた活動なんかをやっております。イタリア人に来てもらって、西京区の洛西にある竹の料理店で、竹を割ったところに豆腐を入れて、食べれるという料理屋さんなんですけども、そういうところの味覚とか、そういうものを体験しながら竹の現状を見て、それからみんなでいろいろ現状をどう考えるのか、ディスカッションしながら竹をテーマにこういう作品を作っていく。アフリカ人も来ていたんですけども、アフリカにはアフリカの丈があるんですけども、まあ、そういうようなことで日本の庭師さんとアフリカ人イタリア人が一緒になって作品を作るというような事をやっております。竹で椅子を作って日本の現在を竹の椅子に座って見つめてみよと言う作品ができたり、もちろん、これは若い庭師なんですけども、竹を使って手ぼうきを秘一緒に作ろうというような活動をやったり、で、そういう成果を地元の宮津の方たちに来ていただいて、研究発表として京大の学生さんなんかが来てもらって発表したり、地元に行ってデモンストレーションしたり、それから地元の小学生に竹でほうきを作ってみようという活動をしたり、さらに天橋立を自分らで作った手ぼうきで掃除してみようというような活動に繋げていって、天橋立は日本三景と言われてまして、日本の三つの一番きれいな景色の一つやと言われてます。そういうところを我々が掃除をするということで綺麗にできないかということで小学生と一緒に集まって掃除大会をやって、みんなで天橋立を綺麗にしていく。しかも宮津で採れた竹を使って掃除して行こうというような、そんな活動をさしていただいております。

竹の国際化とワークショップの活動をずっとこの植物園園長になる前の活動として造形大学の教員としてやってきた活動なんです。このときに集まってくれたいろんなアーティストであるとか、研究者であるとか、そういうメンバーが集まってくれたり、京都市内でやったワークショップでみんなで一緒に竹箒を作ってその時の記念写真なんですけども面白いのが竹ぼうきを作ると出来上がったらみんな試しに使いたくなるんです。お掃除をしたくなるんですね。小学生も作ったらこれで掃除してみようと掃除してくれるんですね。家に帰って玄関を掃いたり、ベランダを掃いてお母さんの掃除を手伝ってみてはと話したり、小さい竹の枝が余ってしまってその小さな竹で作って.それで何をするのと聞いたら消しゴムの掃除に使うねんと言ってミニ竹箒を作ってくれたり、そういうことでこういう竹を使って掃除をするというのは単純な肉体労働的なことで考えるのではなくて実は技術的なものであったり、遊びであったり、生活のシーンの一つを一つ変えたり、環境を解決する一つのものとして植木屋の技という道具が実は環境づくりに繋がっているのではないかというような活動をやっています。

こういう活動をしている中で、私は植物園の園長としてさせていただいておりまして、今一番考えないといけないキーワードは一つは新しい公共、公共というのは明治時代から始まってきまして、この公というのはもしかしたらお公家さんというのも公かなと言う研究者もいたんですけども、まあ、御かみが何かやってくれるのが公共というふうにずっと受けとめられていた側面があると思います。それが実は今の新しい公共というのは自治体だけが公共じゃなくて、例えば NPO であったり、市民であったり、企業の方であったり、いろんな人がいわゆるステークホルダーと言われているような方々が集まって一つの目標に向かって活動していくのが新しい公共であるというふない言い方がされています。そういうことでは例えば梅小路公園に水族館ができたり、鉄道博物館ができたりとかいうふうな、そういう新しい公共事業が京都だと、京都市の博物館がロームの美術館に変わったとか、企業と公共が協力し合いながら作っていく公共なんかもできています。で、もう一つ、これは企業活動をされている方なんかは CSR から CSV 言う話でいろんな議論を日常的にされていると思います。企業の側からの考えとしては CSV ということで、その企業の新しい商品とか、利益を追求していく活動が実はその地域の活動、一緒に地域の新しいまちづくりを一緒になって企業の活動を回転して行こう、地域と企業活動が実は一体化して、どちらも win-win の関係に育てて行こうというのが CSV という概念です。こういう全然別々の方向なんですけども、実はものすごく似た話じゃないかと私は感じております。要はその公共も企業も一緒になって地域と言うものと一緒になって何らかの目標を一つにしながら地域を活性化して行こうと考えるのはこの二つのキーワードじゃないかなと思っています。そしてそういう中に私がやってきました地域の、例えば竹林をどうしようという話であったり、この地域の美しさ、ランドスケープ、風景というものを美しくしていくことで観光地としての魅力を増して、それは竹ぼうきで掃除するということと多分その美しい風景を作るという所に繋がっていると思います。こういうものを共有しながら、例えば植物公園も地域の皆さんと一緒になって何とか一つの目標を公共の施設として持ちながら、未来に向かって進んでいく。そういうことを大きなキーワードとしてこれから活動させていただきたいと思っております。ぜひ今回ご参加いただいているみなさん方にもこういう地域づくりといいますか、ぜひ我々の植物公園の活動なんかにもご助言いただき、ぜひ様々な面で助けていただいたらと思います。これを機会にぜひ皆さんよろしくお願いいたします。今日はありがとうございました。

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