誘惑の経済学

2018.9.6

兵庫一也

龍谷大学の兵庫一也と申します。本日は貴重な機会をいただきましてどうもありがとうございます。それでは誘惑の経済学ということでちょっとお話をさせていただければと思っております。林さんに今、紹介していただきましたが、あらためて簡単な自己紹介をさせてください。

京都で生まれました。岩倉という左京区の山のふもとで育ちました。そこから中学から奈良にあります東大寺学園に通いまして、今日も来るときに近鉄電車に乗って来ましたが、あの電車に毎日乗ってたなと懐かしい気持ちになりました。うちの母は美容室を経営していました。そんな中で、毎朝毎朝、僕を京都駅まで送ってくれまして、フッとそんなことも思い出しまして、ちょっと母にご飯でも御馳走しようかなと懐かしい気持ちになっていたところです。そして、阪大のほうに行きました。東大寺学園についてですがここでも、林さんとご縁を感じました。今度、9月20日北河原先生が卓話されるということですが、ちょうど私も北河原先生に、昨年にお目にかかりました。インドに日本の仏教界が協力して建てた日本寺というお寺で北河原先生が竺主をされています。林さんもそちらに一緒に行かれたようです。林さんにそのときの写真を見せていいただいて何かすごくご縁を感じました。また北河原先生がお話されるここに同じく私が立っていることに、今日はすごく緊張しております。2007年、ロチェスター大学を卒業してそこで博士号を取りました。本当はハーバード大学とでも紹介したかったんですが。ロチェスター大学には日本人の有名な卒業生としてはノーベル賞を取られた小柴博士がおられます。小柴博士が博士号を、物理学だったと思いますが、取られた大学です。僕自身は意思決定モデルの分析、数学みたいなことをやっています。とはいえ、今日は数式は全然使わずに話をさせていただきます。

この方は昨年話題になったロチェスター大学の卒業生でリチャードセーラさんという方です。シカゴ大学、世界でも10本の指に入る大学の教授ですが2017年にノーベル経済学賞を行動経済学という分野での貢献を認められて受賞されました。

行動経済学というのはどんなものか。今まで経済学は心理学の研究には見向きもしなかったんですが心理学も同じように人間の行動を研究していますので心理学で実際に観測されているような事実を経済学に取り込んで経済学をもっと豊かにしていこうということで行動経済学が話題になって、2017年にそれでノーベル経済学賞を取られました。多分また10月くらいには新しいノーベル経済学賞が発表されると思います。今日、お話させていただく「誘惑の経済学」というのは行動経済学の一つのトピックになっています。なので今日の話を通じて皆さんにちょっとでも昨年ノーベル賞が出た行動経済学という最新の分野についてお伝えできればなと思っております。

では、お話させていただくことを簡単にまとめますとまず最初に何といっても誘惑の経済学なので「誘惑を経済学で考えるというのはどういうことなのか」。なぜ、またなんでそんなことをしたいのかなどをお伝えできればなと思っています。それを通じて行動経済学と呼ばれる新しい経済学の分野について知っていただけるとありがたいなと思っております。そして、その誘惑の経済学からどのような知見が得られるのかをお話します。しかし、だいたい学者のやっていることは、現実に、日々頭を使って考えている皆さんの後追いでして、話を聞いた時にはそんなもの当たり前やんかと思われるかもしれませんが。経済学者がどんなことを考えているのかというのをこの話を通じて知っていただければと思います。メインのメッセージは「選べないことが幸せなこともあるんだよ」ということです。

では、誘惑を経済学で考えたい。「経済学って何だろうか」ということをまず最初にお話します。経済学というと高校生の出張講義等で話すことも多いんです。経済学のイメージを語ってくださいというと大体高校生はお金ですか?お金儲けですか、といいます。それは否定はしませんし、実際に経済学の重要な一部ではありますが経済学はもうちょっと僕にとってはロマンのあるものです。

お金の流れを理解するのは一部ではあるが全部ではない。やはり大切なのは経世済民、世を経め、民を救うための学問です。経世済民というところから英語のエコノミーを経済という日本語に翻訳しているのは福沢諭吉先生です。福沢諭吉先生は、すごいなと思うんですがその後、第2次世界大戦あたりで経済学とは何だと言う話がやはり学者の間で起こります。やはり、ものの配分を、人々にどんなふうに物を配れば、このものが足りない世の中でどんなふうにものを配れば人々は幸せになるんだろうかというところから経済を定義されました。福沢諭吉さんはその前の前から経済というのに世のため民を救うという言葉を使って、いやすごいな。昔の人はすごいなと思いました。

で、経済学の目的なんですが、ですので経済の仕組みをまず理解しないことにはそこから人々を救うことはできない。なので、大事な経済の仕組みを解明して、それからこの世の中をよりよくするためにはどうしたらいいんだ。改善案を提案する。これが経済学の目的だと言っていいだろうと思います。

そこで経済学の基本的な考え方について次にお話しします。一個だけ専門用語が入っています。選好という言葉です。簡単に言うと好き嫌いのことです。人それぞれ好みがあります。僕はチョコレートが苦手なんです。苦手な僕にチョコレートをおいしいから食べろと押し付けるのはそれは全然筋違いの話です。人の好き嫌いに優劣なんていうのはこの世の中には多分ないと思います。ひょっとしたらあるのかもしれませんが。人の価値観に優劣はないよというのが経済学の基本的なスタンスです。いろんな人がいて、いろんな好みの人がいて、いろんな価値感の人がいる。その人たちが集まって一つの社会ができている。で、それぞれの人の好み、選好ベースに一人一人の人を見て世界的な状態を判断しましょう。その状態がいいんですか、悪いんですか。一人一人の好みを見て社会的状態を判断しましょうというのが現在の主流派の経済学の基本的な考え方になっています。社会的な価値感、社会的に望ましい、社会的にはこうすべきだなんていうことは考えずにいろんな価値感の人が世の中にいるということを認めて経済を運営していこう。

そうすると誘惑ってなんだという話になるんです。ある人は何か誘惑というとすごくネガティブな悪いイメージがあるんです。社会的価値感に反している行動をとる。そういうことが何かに誘惑されているいう話し方は一般ではよく使われるかもしれませんが、経済学ではそうは考えません。誘惑っていうもの人をそれぞれの選好、好みに基づいて考えなくっちゃいけないですよ。ここで最初の壁ができます。それで、タバコを例にとってちょっと考えてみましょう。

健康に悪いのに喫っているからタバコは誘惑的、経済学ではこんな考え方はしません。なぜならすべてのリスクを受け入れて、人に迷惑をかけないようにしているならいいでしょう。ちなみに僕は愛煙家ではございませんし、どちらかというと嫌煙家です。タバコ大嫌いなんです。卒園支援ブースというのが本学にあります。ガラス張りになっていて、すごく目立ったところにあります。そこでタバコを喫っているのをみんなに見られながらさらし者にされて卒園支援しようというのがうちの大学の方針らしいです。僕が嫌いなものを端っこのほうで作っていただいて、それで自分もリスクを受けながらいいんじゃないか。それを健康に悪いからタバコなんて喫ったらあかんというのはちょっと違うんじゃないかという話です。でも、一方では同じ喫っている行動を見ても誘惑に苦しみながら喫っている人もいるかもしれません。

タバコは皆さんいろんな感情をお持ちかもしれないので、くどいですが僕に引き寄せて考えたいもの、それはから揚げです。僕は9月頃に健康診断があるんです。毎年、お医者さんに怒られます。見ていただいた女医さんもちょっとふくよかな先生だったのでそれで何も言われなかった時もあったりして。妻からはやせなさい、やせなさいと言われています。僕はから揚げが大好きなんです。小倉の駅前を歩いていくと中津からあげいうのが売っていて、ちょっと引かれながらお昼前だったのでお腹減ってきたなと思いながら我慢して歩いてきました。からあげに会った瞬間にそれはもうますます食べたくなりますね。健康に悪い。それはそうでしょう。僕はメタボです。そんな僕が毎日から揚げを食べている姿を想像してください。皆さんきっと止めたくなるに違いありません。健康に悪いのに食べているから唐揚げは誘惑だ。誘惑に負けるなんて、たかだか唐揚げぐらい食べさせてくれよという話です。で、唐揚げなんかだと好きで食べている人、僕みたいに一生懸命あそこに美味しそうな中津からあげのお店があると思って苦しみながら歩いている人間と、2種類いるわけです。これはやはり見分けたいわけです。好きですべて受け入れて食べる人に唐揚げやめろと言えるかというとそれはそんなことをする社会は良くないです。だけどももし僕が苦しみながらも「いやいや食べたくない」、「ああ、ほしい」と悩みながら唐揚げを食べたら、そしたら何とかやめさせてやるという手段を見つけるのは社会として望ましいかもしれません。

ちょっともうだいたい、実はメインのメッセージは伝わりつつあるかもしれませんが、誘惑があるとき、誘惑って何だろうと考えてみてください。今、友達とランチのお店、明日ランチ食べに行こう、どの店、予約しようという場合を考えましょう。で、僕はから揚げに誘惑されています。一つのお店はサラダ専門店です。もうサラダしかございません。もう一つなんとから揚げとサラダの店、から揚げ定食も選べるし、サラダも選ぶことができる。サラダVS サラダ&から揚げの店です。オプション、選択肢が多いのはから揚げの店、もう一つはサラダしか食べられないわけです。誘惑に苦しんでいて何とか誘惑をコントロールしようとしている人間なら、どちらのお店を選ぶでしょうか。何とかコントロールしているんです。ずるずると誘惑に引きずられているのではなく、あったら食べる。何とかコントロールしよう。会長にお伺いします。誘惑に僕は苦しんで、何とか誘惑と戦おうとしています。その時、僕はサラダ専門店を選ぶでしょうか。それともひょっとしたら誘惑に負けてしまう。或いはサラダと空揚げの店、どっちの方を選びたいと思いますか。

会長:本音ではやっぱりサラダとから揚げですよね。でも誘惑に駆られないと思えばサラダを選びます。

ありがとうございます。そうです、まさに今、仰っていただいたのが実はこの誘惑の話の非常にキーになる部分で、さあ、本音の実際に行動を選ぶ、実行者の自分ともうちょっとクールに冷えた頭で、でも、ほんまは誘惑に負けたらアカン、僕はやせなきゃいけないという、そういう、こうしたいと言う自分と実際にやってしまう自分と二人いるわけです。その2人の自分との争い、これが誘惑があるときなんです。で、お店を予約する時にはまだから揚げのあの美味しそうな油のにおいも嗅いでおりません。若干頭は冷えています。そんな時はどちらを選ぶだろうかと考えると、いや僕はできたらから揚げを食べたくないからサラダ専門店に行く。サラダ専門店を選ぶだろうというのが一つの経済学者の仮定です。こんなふうにして誘惑を考えたらいいんじゃないだろうか。多分たばこで戦われていた人はもっと話が早いかもしれません。禁煙したてで自分はタバコを喫いたくない。でも、うっかりお酒を飲んでしまった。たばこを吸ってしまうかもしれない。そんな時にどうせ行くなら同じお酒を飲むんでも完全禁煙の店にしてくれ。完全禁煙の店に行ってしまえばタバコを喫いたい、喫いたい、けど我慢する。喫いたいという心の葛藤のコストを負わなくていいので、すっきりとより狭いオプションのほうを選ぶかもしれません。こんなふうに経済学者は誘惑はコストとして働くんだと考えました。この内容の論文は2000年に、ちょっと前になりますが、発表された論文です。で、僕自身も勉強していることをかいつまんでお話しました。

誘惑的な選択肢って何だろうか。社会的な価値感に基づかない。そんなものはないとして、個人の好き嫌いの範囲で個人として誘惑に苦しんでいるかどうか。それを考える時にこんなふうに考えましょうというのが提案されました。

二つの選択肢があるとしてください。AとBです。通常はですね、僕たちは生きている限りできるだけ多くの選択肢の物を望むはずです。選択肢が大きければ大きいほどいいですね。だから僕たち一生懸命お金を数えて豊かな暮らしというのはいろいろなものが選べる中から選ぶ。それが豊かな生活なんでしょうか。誘惑の経済学ではちょっと違います。Aが誘惑がある。そうじゃない選択肢だけしか選べない。そんな選択の機会が少ないほうがより選択の幅が大きいより、より好ましい。そんな人を並べたらああこの人は何か葛藤しはるんだな。この人は何か誘惑で悩んでいるんだな。そんなふうに判断しましょうと現在は考えられています、経済学では。で、誘惑ってどんなふうにとらえるのかと言う話をさせていただいたのであと残りの時間でどんな知見が得られるのかということをまとめさせていただきます。

通常のこれまでの経済学では豊かになるというのは選択肢をひたすら広げることでした。いろいろ便利になって、いろいろな、ぱっと起きたらそれこそコンビニエンスストアへ行ってバッと好きなものを買って食べる、豊かな生活。で、どんどんGDP を上げて選択肢の幅を広げて行こう。これは豊かな生活。というのは通常の経済学の範囲ですね。選択肢が増えると嬉しい。通常の経済学から導き出される考え方ですが、誘惑の経済学、人間の心理、弱い自分というのを考えた時には完璧なスーパーマンじゃなくって、なんか誘惑に負けてしまうかもしれない、そんな人がこの社会にいるということを考える誘惑の経済学では違います。選択肢が増えると必ず嬉しいわけではありません。嬉しい時ももちろんありますがたまに選択肢が増えるとしんどいことがあるんですね。先程のサラダ専門店か、サラダとからあげを売ってくれるか、そういう違い。こういう人間の心の真理、完璧ではない人間、弱さを持っている人間、或いは間違いを犯してしまうという人間を経済理論に組み込んで行こうというのが行動経済学のメインの目的です。で、誘惑というものを考えたときにどんなふうに経済を考えていけばいいか。誘惑に苦しむ人に対しては選択肢を事前に捨ててしまえるようなそんな自分をコントロールするような自制の手段を用意してあげるのがいいですよね。今まではそんなことは伝統的な経済学では全く考えてきませんでした。選択肢を絞った方がいいことがある。オプションを減らした方がいいことがある。そんなことは今までの経済学では見向きもされてなかったですがこの誘惑の経済学以来盛んに議論されるようになりました。実際2000年に入ってからは一世を風靡する話題です。

具体例を、先程も言いましたが学者というのは皆さんの後追いです。世の中にはこれをうまい具合に利用して、実際は当たり前の話です。我慢するのを手助けする。それでお金儲けをされている方々、いっぱいおられます。僕も例を考えて見つけてみました。

フライング・アラーム・クロック。アマゾンに売っていました。私は朝起きられない人間で目覚まし時計が大変なんです。二度寝を許さない。二度寝するオプションを削るすてきな道具です。こんな感じで時間になったらピューっと羽がどっかに飛んでいってしまうそうです。起きて羽を挿さないとこれ、目が覚めないのです。ただし Amazon のレビューを見るとさしても止まらないとか、何か評判が悪かったので買う価値があるかどうかはわかりませんが、こんなものが沢山ありますね。昔の作家さんが小説書かせるためにホテルに缶詰にするなんていうのも一つの手段やったかもしれないです。もうちょっとシリアスに日本としてどうするか考えて欲しいものとして国民年金というのがあります。現行の国民年金というのはおそらく現行のままではいろいろ議論があるでしょう。ここにおられる方々はそうじゃないと思うんですが、現実にはですね、弱い自分に負けてしまって夏休みの宿題をぎりぎり期限でやってしまう。そんな人たちも沢山いると思います。そんな感じで、いつか老後の資産形成はいつかやればいいと思って気が付いたら先延ばししてしまう。そういう人が現実には多いわけですね。僕は非常に現状が残念なのは国民年金なかなか活用されていないのですが、もうちょっと真面目に制度設計をし直して、国がふたの開かない貯金箱というのをしっかり作るというのは、一つこれは意味があるのかなとことなのかな。仮に利率が低くてもですね、誘惑に打ち勝つための一つの手段として強制的な貯蓄、あるいは他の積み立てなんかもそうですが、というのが役に立つんじゃないかというのが誘惑の経済学から言えることです。

卒煙支援ブースについてですが、卒園支援ブースということで、もし大学の目的が分煙ではなくて、単純な分煙ではなくて、学生のことを考えてタバコで苦しんでいる学生を何とかタバコをやめさせるのを手助けしたい、それがもし大学の目的だった時に卒園支援ブースというのはどれぐらい役に立つんでしょうね。実際、これは大学の非常に目立つところにあります。ここに入ってしまえば簡単にタバコが吸えるんです。タバコを吸うというオプションはある意味大学が用意してしまっているんです。これは目的が卒園支援であれば僕は却って苦しめるんじゃないかなと思います。

というわけで今日お話させていただいたことを簡単にまとめます。経済学ってどんなふうに考えているのかなというのをお話させていただきました。そこを通じて去年ノーベル賞が出た行動経済学と呼ばれる新しい分野について少しでもお伝えできればと思って話させていただきました。あと、どのような知見が得られるのかということですが誘惑の経済学を考えた時には選択肢の幅を広げるんじゃなくてむしろ選べないということが幸せなこともあるんですよ。そういうのを政府なり或いは企業なりが一つ誘惑に悩む人を手助けするような手段というもの提供するということが意味があることではないかなと言うことです。もし行動経済学に興味を持っていただいた方がおられましたらリチャード・セーラーさんが書かれた実践行動経済学という本は読みやすく勉強にもなるかなと思いますのでぜひ参考にされてください。ありがとうございました。

0コメント

  • 1000 / 1000