印度山 日本寺について

2018、9、20、

東大寺長老 奈良大宮ロータリークラブ会員 

パストガバナー 北河原公敬

皆さんこんにちは。紹介いただきました北河原でございます。こちらのクラブに寄せていただきますのは私がガバナーをいたしておりました年以来でございまして、その年はちょうどこちらのクラブの25年という節目の年であったかというふうに思っております。確か平等院さんのほうで記念式典例会をされたことをよく覚えております。また、こちらのクラブさんには存じ上げている方も何人かいらっしゃいますし、地区の方に出向していただいていろんなところでサポートしていただいております。特に私今、地区の職業奉仕委員会の諮問委員をしておりますが中島さんには職業奉仕委員長をしていただいてお世話になっております。

今日は日本寺のお話をさせていただくということになっているんですが先程来、希望の風奨学金の話が出ておりまして、いろいろとご協力をいただいておりますことをありがたく思っております,と申しますのも私は日本のロータリーの希望の風奨学金の委員の1人に入っておりまして、この地区ばかりじゃなくて他の地区からも支援をしていただくということに対しては感謝を申し上げなくてはならない立場におるものですから、たまたまこの地区からは栗田パストガバナーと私がその委員として出向いたしております。

前置きは兎も角といたしまして、皆様に今日お配りをさせていただきました資料が三つほどございます。二つは日本寺の関係、一つは私どものPR ではないんですがちょっと後でお話をさしていただこうと思って一緒に入れさせていただきました。林さんの方から紹介がございましたけども私、日本寺の竺主をいたしております。実は昨年11月にインドへ行きました時には日本寺を訪ねる旅に林さんもご一緒いただきまして、たまたまお声をかけさせていただいて一緒に行ってくださったんですけども、この日本寺と申しますのは実は戦後、第2次大戦以降にインドにはネール首相という首相が出られたんですね。この方が首相在任中にインドは実は今はほとんど仏教はございませんでヒンズー教なんです。せっかくお釈迦様が出られて仏教の発祥の地であるインドに、その仏教というもののカケラもないと言えば言い過ぎかもしれませんがそのような状況をネール首相はやはり気にしておられた。仏教の穏やかな精神性というものに非常に注目をしておられたんだと思うんですね。と申しますのはネール首相は在任中に仏教国に呼びかけてお釈迦様が悟りを開かれた聖地、仏教で言うといくつも聖地がありますがその中でも一番重要な悟りを開かれた場所。そこがブッダガヤというところなんですがその悟りを開かれた聖地にぜひお寺を建てませんかと呼びかけたんですね。

それはなぜ呼びかけたか。

先程も申しましたようにお釈迦様が出られて仏教が発生して発祥したインドでもあるということ。もう一つは仏教の穏やかな精神性、そういうなものでもってお寺を建ててもらって、そこからその仏教の精神というものを元に国際融和だったり、或いは世界の平和だったりが発信できる。そういうような所にしたいとネール首相は考えたようなんですね。それで仏教国に呼びかけた。もちろん仏教国はみんなそれに賛同してお寺を、例えばタイですとか、台湾だとか、ベトナムだとか、沢山ありますが建てたんですね。ところが日本は2回、日本の国に言ってこられたんですけども返事をしなかった。それはなぜか。政教分離なので、日本としては、国としてお寺を建てるということはできない。それで全日本の仏教界にそのお話が来まして、それで仏教界として、それじゃ宗派を超えてこの日本寺というお寺を建てようと言うことになったんですね。で、いきなり建てられたわけじゃなくて最初はですね、国際仏教興隆協会という組織を作りまして、これは仏教の各宗派が参加をしている組織なんですけども、そこで計画を立てまして、最初は実は宝篋印塔という塔を向こうに建てまして、で、後に昭和48年に日本寺の本堂ができるわけでございます。で、たまたま、その日本寺の本堂ができまして今年はちょうど45年という節目の年になるんです。私、実はその45年前の日本寺の本堂の落慶法要にも出仕(しゅっし)をしております。年が経つのが早いなと感じているんですが当時はですね、日本寺の本堂ができました時はお釈迦様が悟りを開かれたというのが12月8日ということになっているんです。その8日を中心にして毎日、我々は落慶と言いますが世間では落成と言ったり、落成式といったり、本堂ができた法要が盛大に行われました。大きな教団宗派でしたら一日一座、法要されました。で、毎日それが順番に、例えば今日は天台宗さんであったり、次は真言宗、次の日はとかになってたんですが奈良はなかなかそんな大きな教団がありませんもんですから奈良の6大寺でもって中心に1日法要をさしてもらったんですね。私は、その時、東大寺の4名の一員として4名出たんです。参加をしました。その時はまだまだ若かったもんですから今、実はこの4名で生き残っているのは私だけで後の3名はもうすでに亡くなっております。いずれにしましても、そうやって盛大に法要がされました。その時に私は初めてインドへ行きましたのでそれはそれは日本と大きな違いというか、隔たりがあるということを実感したわけです。

法要期間中、日本寺では施しというか施食(せじき)というか、布施行と言いましょうか、地元の人たちに法要が終わった後にお菓子を差しあげるんですね。いっぱい人がそのお菓子を目当てに集まってくるわけです。本当にどこから湧いてくるのかという感じで境内に入ってくるわけです。それをまたかわいそうに係りの人が棒を持って、というのはみんなワッと来てしまいますから並べといっても並ばないわけですよ、きちんと。だから棒でたたいて、その現地の人たちを並ばせるわけです。そして座らせて、そして順番に1人ずつ前に出てきては渡すということをやっていたんですね。混雑したり、混乱してもいけないからというんで直接私たちはその人たちにお菓子を差し上げることはできなかったんですね。係りの人がやっておられました。いずれにしてもそれをその風景を見ててですね、非常に辛いというか、なかにはそれを1回戻っちゃってもう1回またもらいに来ているという不届きな人もいるわけです、紛れ込んで。で、そういうなことを叩いたりなんかしてやっているわけです。なぜそういうようなことを法要のあとでお菓子を皆に配ろうとしたか。実はこのインドのお釈迦様が悟りを開かれましたブッダガヤというところはビハール州ですね。その中にガヤという街がありまして、その一角にブッダガヤというところがあります。で、お釈迦様が悟りを開かれた。今でもお釈迦様が悟りを開かれた(お釈迦様というのは菩提樹の下で悟りを拓かれたと言われています)菩提樹が今でもあります。ただしそれは2代目だったかと思います。そしてその下に金剛宝座といってお釈迦様が座られて瞑想されたというのが残っているんです。私は最初行った時は金剛宝座にもちろん手でさわることができました。あーここにお釈迦様が座っておられたのかと思って感激したものです。ところがこの間も林さんが行かれましたけども、今はもうさわるどころじゃなくて、そこにも近づけないです。もう少し前に私も何回か行っていますが何回目からかそうなってしまいました。もう、囲われてしまいまして、そしてその金剛宝座をほんとに横からかいま見えるという感じになってしまいました。さわるどころじゃないんですね。で、なんでこんなことになったんだと私は聞いたんです。そしたらですね、日本人が悪いんだと言うんですね。日本人が悪いって一体どういうことかと聞いてみました。そしたら例の麻原彰晃というのがいましたですね。彼がこともあろうに金剛宝座の上に乗っかって座ったらしいんですね。それでも海外のお坊さんたちもすごく怒るし、地元の人たちも不埒なことをしたということで、それ以来そこは囲われちゃってですね、近づけなくなったんですね。とんでもないことをしてくれたんだなと思ったんですけどもとにかく日本人が悪いんだと言われびっくりしたのは実はそうだったんです。ですからそれ以来、そこには近づけない。もちろん手にさわることもできない。ですから私は本当に最初行った時はここにお釈迦様が座られておられたのかと思って感激したものだったんですね。いずれにしてもそのブッダガヤというところはビハール州の中に、ビハール州というのは実はインドの中では今でも日本の人口と同じぐらい1億人以上の州ですね。県なんです。で、しかも非常に貧しい州なんですね。今はもうなくなったと言われていますけどもインドでは昔からカースト制度というのがございまして、カースト制度というのは今はないと言ってもやっぱり厳然と残っているんですね。で、実はこのビハール州におられる方々というのはこのカーストにも入らない、つまりアウトカストというか、カーストにもまだ入れないという、それくらいの最下層と言ってもいいかどうかわかりませんけど、そういう人たちが多く住んでおられるところなんですね。なので、非常に貧しい地域だということなんです。まあ,そういうこともあって日本のこのお寺はですね、他の仏教国と違って、他の仏教国のお寺はどちらかというとお坊さんが中心でやっていますが日本の場合は布施行もやりましたがこのお寺ができましてからは無料で地元の子供たちの保育、養育をしています、教育を。それともう一つ診療行為をしています。これもすべて無料ですね。で、これはそういう地域であるからということで日本の仏教界としてはそういう方々に手を差し伸べようということでこのお寺ができて以来ずっと続けているんです。実は先程日本寺の本堂ができて45年と言いましたが子供たちの教育保育をしております名前を菩提樹学園と行っています。お釈迦様が悟りを開かれた菩提樹から取って。それができまして今年で40年なんですね。それと我々は光明施療院と言っていますが診療行為をしております。それができまして35年なんです。いずれも5年ごとにできていったものですから今年は節目になっているんです。いずれにしましても日本の場合はもちろん日本から宗派を超えてお坊さんが駐在をしてくれています。ですから日夜、お寺のお勤めですとか、維持管理もしてくれていますが、とともに地域の人々のために日本寺は手を差し伸べているということなんです。現地人のスタッフも約30名ほどがこの日本寺に勤めてくれております。で、今申し上げたこういうような福祉事業と言いますか、これはすべて仏教界、それから一般の方々のご寄付で実は賄っております。

まぁ、正直申し上げまして、なかなかこれは大変なことなんです。それでも今までずっとそういうご協力、ご支援をいただいた方々のおかげで続いてきております。実は今、言いましたように駐在しているお坊さんがいます、宗派を超えて。昨日ぐらいに2人が向こうから帰ってきました。で、1人は臨済宗、妙心寺派の人でした。もう1人は尼僧の方でした。奈良に中宮寺さんというお寺があるんですがそこの尼僧の方が行ってくれまして帰ってこられました。ちょうど私もメールをいただいたんですけども、元気に帰って来てくれました。それでまた交代で2人駐在の方が向こうへ行かれるということになっています。私はその日本寺の竺主ということに、実は一昨年の7月からなっています。やはりせっかくそうやって駐在して頑張っていただいていますし、また、地域のために活動してもらっていますので、立場上1年に1回ぐらいは様子を見に行かないといけないのかなと思って、それで昨年11月にも行きました。今年も11月に様子を見に行く予定にしております。私、実はこの竺主になりましたのが一昨年と申しましたが私で第6代目になります。今まで五代竺主を務めていただいた方々がいらっしゃいますが皆様お亡くなりになっております。すべて、大きな教団のトップの方がされておりまして、天台宗であったり、比叡山の。或いは高野山の金剛峯寺の真言宗、或いは知恩院さんとこの浄土宗ですね。また臨済宗、それぞれのトップの方々がされています。私どもは華厳宗と言って宗派としては本当にちっぽけな宗派、華厳宗なんて宗派があるんですかと言われるくらいご存知ない方もあるという宗派なんです。どういうわけか推戴をされまして、勤めていますが正直、今までの方々はやはり高名な方ですし、また私も年は行きましたがまだご高齢の方ですので中々何度もインドへ行っていただいてというわけにも行かなくて晋山式で行かれた後はもうほとんどお名前だけという感じのところもあったようなんですが。私も晋山式にはもちろん向こうへ行きましたがこういう立場になったからには皆さんに日本寺のこと、或いは日本寺がしていることを知っていただきたい思いであちこちでお話をさせていただいております。残念ながら仏教界においてもこれだけ年数が経ちますともちろん大方の方々は理解をされていますけども、末端まで行きますと宗仏界が宗派を超えてインドにお寺を建てまた、そういう活動をしているということをご存知ない方が結構いらっしゃるんですね。ですので、できるだけ、皆さんに知って頂こうということで私は日々精進をしているわけです。

実は昨日の読売新聞の文化面、全国版なんですけど、日本寺のことを取り上げてもらっています。ちょっと私はインタビューを受けましたので話をしていますが昨日の朝刊です。実は私、この日本寺の竺主をしておりますがお受けする時にもう少し確認しておけばよかったんですが任期というのがはっきりしなかったものですから普通なら何年とか言うことになるんですけれど、今までの方々の話を聞いていますと、例えば私のすぐ前は比叡山延暦寺の半田光淳座主がされておりました。あの方は比叡山延暦寺座主になられたのが90歳だったんです。それで日本寺の竺主になれたのは93歳です。そしてお亡くなりになったのが99歳でした。お亡くなりになるまでされました。国際仏教興隆協会にちょっと任期の事を言いましたら.今までの方々はお亡くなりになるまでしていただきましたとこう言われてしまいまして、いやちょっと待ってくださいよ。それは幾ら何でも、皆さんご高齢だからそれはそれでいいか知らないけれど、私も高齢者には今年から入りましたけれど、まだ、幾ら何でもそう言われても困るからちょっと考えて欲しいと申しました。晋山式を向こうで昨年やりましたがその時はせめて10年ぐらいはとこう言われたんです。それから日本へ戻ってきましたら何とか最後までお願いできませんかとこう言われまして、私はそれはちょっと困る。最近、良く言われましたが生前退位を考えてもらえないかとちょっと言っていますが、ま、どうなるやらわからないです。いずれにしましても協会が地元の地域の人たちに手を差し伸べる。菩薩行をするという意味合いもこの日本人にはあるということでご理解いただきたい。

もう一つは日本寺に駐在しているお坊さんがいてくれています。やはりお寺ですから日本から仏跡を巡拝されたりする方々が来られて、日本寺にもお参りに来られます。そういう人たちに対しての対応もいたします。それから日本人ばかりではなくて外国の人が日本寺に立ち寄られる場合もあります。それと外国の方というのは日本の仏教というとどちらかというと、禅と思われる方がいます。座禅。なので、日本寺で座禅をしたいと言ってこられる方もいます。しかし禅宗の方が駐在しているとは限りませんのでその時、その年でいろんな宗派の方に行ってもらっていますので。しかし禅宗の方に駐在していただいた時にはマニュアルを作っていただいているものですから別に禅宗の方が駐在していなくても、その座禅に対応はできるようになっています。

それともう一つは日本寺は旅行困難者、例えばパスポートを落としてしまったとか、お金を取られたとか、そういう旅行困難者が駆け込み寺ではないですけれども、日本寺にやってくる。で、日本寺はインドにある日本の駐在大使館がありますが、そこと連絡を取るようになっています。そういう人が来た時には日本寺が連絡をとって必要な方法を取って、或いは適当なところまで送り届ける。そんなことも日本寺はやっております。

一つ最近、残念なのは仏教のお寺さんがお釈迦様が悟りを開かれたところまで来てお参りされて。ところが日本寺に立ち寄らずに帰られるというのが結構あるんです。せっかくそこまで来てるのだったら日本寺まで立ち寄って欲しいのだけれど、帰ってしまうという。そうゆうことがございます。ぜひ、そういうことがないようにと私は最近ちょっと各宗派の方にはお願いをしています。もちろん毎年定期的にこられるところもございます。教団もあります。もしも機会がありましたらインドへ行かれた暁には日本寺にも立ち寄っていただきたいなと思っとります。

今日はもう一つ、日本寺のことで古本募金と言うお話をします。これは皆さん古本が沢山あって処分に困っておられるという場合はぜひ、その古本募金にご協力いただきますとそれがお金に換算されて日本寺の、例えば子供たちの給食代になったり、或いは診療行為の一助になったりしますのでぜひご支援、ご協力をお願いします。何も古本ばかりではありません。 CD や DVD で、或いは切手だったり、またブランド品、もう汚れて使わないものだったり、かけちゃった宝石でも、そんなものでも構わないのでお願いできたらなと思っています。但し、本は雑誌のようなものはだめなんです。本の裏に ISBN コードでしょうか、それが入ってないとだめなんです。大抵の本は普通は入っております。この頃、古本を処分するにもお金がいるという方もいらっしゃるようですので、これですと有効にそれが寄付に回りますので、もしご支援いただけたらと思っています。

それともう一つは私ども、お写経をしていただいております栞なんですが実はその写経いうのは我々のほうでは華厳唯心偈(けごんゆいしんげ)と言いまして、このお経は非常に今の時代、大切なものだろうと私は思ってわざわざそれを持ってきたんですけども、そのお経は100文字ありまして、心のことを説いておりますので100字心経とも我々はいっていますがそのお経の最初のところに心如工画師という言葉が出て参ります。これは心は巧みなる画師のごとし。つまり心というのは上手な画家の様なんだと言うんですね。私は絵心はありませんが心の中ではどんな絵も描くことが.例えば東山魁夷さん、平山郁夫さんなんかに負けないぐらい、いくらでも心の中では絵を描くことができます。描けます。だけど描き方を間違えると私は仏にもなるけども鬼にもなります。悪魔にもなります。心は巧みなる画師のごとくなり。つまり心というのは何でも描くことができるわけです。それは具象画であろうが抽象画であろうが何でもいい、上手に描けます。で、最後のくだりのところに心造諸如来とあります。心はもろもろの如来を造る。つまり私たちの心は仏様、如来様を造ることができ、心の中でそれを描くことができるという。これは、私たちはすべて皆、仏様になれる種を持っているんです。それは仏の種、仏種(ぶっしゅ)というんですけども、種を持っています。で、この種というのは丹精込めて育てれば我々はお釈迦様と同じになれるんです。植物に水をやったり、太陽に当てたり、肥料をやったりします。そのように丹精込めて育てます。そうしたら実がなったり花が咲いたりしてくれます。それと同じで我々が持っている種というのは丹精を込めないと育ちません。なかなか難しいです。その丹精はどうやって育てるか。つまり我々が持っている欲望とか、むさぼりとか、或いは邪悪な心とか、そういうな物を取り除く丹精さが必要なんです。そういう丹精さがなかったらこの種は育たないわけです。とてもじゃないですけども私なんかもう無理です。もし、そうやって丹精を込めて育てたとしたならばお釈迦様と同じになれるんですね、私たちは。みんなそういう種を持っているんです。それが育てられるか、育てられないかの違いであります。そして、そのような心持ちというというものを世の中のために生かしていく。そういうことが大切だと思います。そういう心持ちというものを持っていくならば他者に対しての慮る気持ち、或いは他者に対しての手を差し伸べる気持ちそういうようなものが養われてくるんじゃないかなと私は思います。これはある意味ロータリーの奉仕に通じるんじゃないかと思っております。時間が来ましたのでこの辺で終わります。ご清聴ありがとうございました。

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