幼保連携型認定こども園の職員の立場から

2019.11.28


会員 桶屋保徳

皆さん、お忙しい時間なのに私の話にお付き合いいただきありがとうございます。スピーカーを頼まれ、子どもたちの現状についてお話をして欲しいと要請があり、正直難しいなと思ました。なぜかというと100人いれば100通り、子どもは全員性格が違います。それを一つの今の子どもというカテゴリーで語るというのはちょっと無理があるなと。とりあえず、今の子どもたちの現状の話ということで、幼児教育全般の流れの話をします。そういったものというのは当然、今の子どもたちの置かれている環境に対して、改善をしようと、色々な研究を行っています。今の教育の方針とか、あり方、こういうふうにして欲しいという事を語ることで、今の子どもの現状を知ることに繋がるのかなと思います。

今の子どもを取り巻く環境なんですけども、全てが悪い環境ではないですが、ちょっと悪い部分の話をさせていただきます。全般的な環境としてよく言われるのが、核家族と少子化です。今は自然に子どもが子ども同士で遊ぶ環境が昔と比べると全然ありません。国民生活白書というのを見ていたら昭和37年に4人以上兄弟がいますというのが62.2%やったんです。結構そんな前ではありませんね。今は1人か2人です。4人以上というのは本当に珍しいですね。やはり子ども同士が関わる環境が自然にあるということが重要と言われてますし、コミュニケーション能力や我慢するとか、負けずに頑張るとか、そういった部分でも非常に大事なことがあるんだと思うんです。それが昔は自然にあったんです。ゲームはないし、言うたら、そこらへんに原っぱがあり、川に入って泳いだり、木に登ったりという環境が普通にあったので、もう自分らでアイディアを出して毎日毎日ゲーム感覚で遊びをするということは当たり前の環境があったんです。今は、世界中でそれが教育として、ものすごく大事だと言われています。新聞記事で、WHOがゲーム障害を、病気として認知したと載っていました。ゲーム障害は、子どもを持つ身として感じますが、もう没頭しだすと、吸い込まれるようにみんなゲームをやります。WHO がゲーム障害を認めたことによって日本がそれを検証したアンケート結果が載っていました。一日6時間以上ゲームをスマホなどでしているというのが6.5%でした。もうかなりの数になってきています。2時間以上と言ったらもう半分以上になるそうです。その6時間以上見ている6.5%の内の60%が引きこもりなんです。1年近くの引きこもりを経験している。それぐらい依存します。それをさせないのが幼児教育と思います。便利なことで使うことは良いですけども、それに依存してしまうという状態は非常に危険です。そういう時代の空気感みたいなものは確実にあると思います。子どもが悪いというよりは子どもを取り巻く環境が悪い部分があるねという話です。

逆に、多くのの習い事を習って、親の過度な期待であったりとか、過干渉というのが一方であります。要は子どもが塾通いやスポーツをすることに重圧ストレス、過度な親の期待による作業のようになっているということ、スポーツや勉強の本来持っている良さみたいなものが、どんどん失われていって、親が自分自身の経験や過去の失敗を投影する訓練的なものになっていて、なんでできないのかみたいな熱くなりすぎたり、子どもができないことにイライラしてしまって勉強やスポーツを楽しめないという状況が結構増えているということに、警鐘が鳴らされています。ある部分、共感できます。ヘリコプターペアレンツみたいにならず、子ども自身でこいつは面白い、このように勝ちたい、このように上手くなりたいと思えるような環境を手助けするのが子ども時代の育成じゃないかという話が言われています。

僕は日本バスケット協会のC級コーチライセンスを持っていますが、その中で育成コーチングヒロソフィーというものがあります。その中から昔であったら考えられない事が書いてあり、何個かを抜粋したんですけども。一つ目は「体罰の禁止」です。僕の時代は体罰、バリバリありました。四国の1位と試合したときは、ビンタをバシンとやってました。勝ったらあかんのと違うかと、こっちが心配になるぐらい。そういうのがまだ当たり前の時代でした。今は、子どもの人格、人権、恐怖心を煽る、身体的特徴などの試合中のコーチの暴力的行為および暴言といった振る舞いに対しては、テクニカルファウルとなり、テクニカルファウルが2度になれば失格退場となります。

二つ目は「バスケットボールバカを育ててはいけない」いろんなことに関心を持てるものの中にバスケットボールを入れなさいという事です。

三つめは「練習時間を短くする」練習回数を減らした方が良い。

四つ目は「創造的な選手、人格形成」だからスポーツは特にそうなんですけども試合に出ないと意味がないのでコーチの言うことを聞いてしまうんですね。ある部分良い事だと思うのですが、一歩進んで何のためのスポーツですかというふうなことになっています。当然、結果を求めるのですが、競争する過程自体が重要だと。主体性を持たせて、対話しなさいと。子どもに対してこうやってやるんやと指導するのではなくて、こういう場合どうどういうふうにしたらいいと思う?というふうな問いかけをして、その意見がちょっと的外れだったとしても、ああなるほどそれもいいなというような指導をしなさいという時代に変わってきています。その子が能動的にスポーツを楽しめるようにしなさいというふうに言われています。

幼児教育も実は同じ流れになっています。平成29年に幼稚園教育要領と保育所保育指針、認定こども園教育・保育要領が全部同時に改定になりました。何が一番変わったかと言いますと、日々の学びが子どもたちの非認知能力を育成することにつながるよう主体的・対話的で深い学び、いわゆるアクティブ・ラーニングを重要視しています。この非認知的能力なんですが大学の入試改革も同じ流れだと思います。IQからEQへ、認知能力から非認知能力へという流れで、要は記憶したものを、はき出すのではなくて、ゼロから何かを生み出すように変えていきましょうというふうに言われています。それのスタートが幼児教育ですよと言われているのが今の現状です。非認知能力ってなんや?という話なんですけども、要は IQ テストや学力テストで測定できるものが認知能力で、これが今まで頭の良い人とされていたんですけども、EQ(非認知能力)とはIQ (認知能力)とは関係のないねばり強さ、強調性、やり抜く力、自制心、感謝する力、といった類のものです。ノーベル経済学賞を受賞したジェームズ・ヘッグマンさんがいろんな研究、何年にもわたって子どもを追いかけた研究を実施した中で、将来的な経済的な安定が、IQ にはどうも相関性がないと言うことを提唱された事が始まりと言われています。

ただ僕はゆとり教育ではないですが、日本人のいいところでもあり悪いところでもありますけども、良いと思ったら思いっきりそっち側に振り切ろうとするんですけども、アクティブ・ラーニングを深く理解しないまま実践するのは無理だとも感じます。たとえば、スポーツの強豪チームでもすごく信頼できて愛情があって、厳しい練習をされる先生がたくさんいます。保育の中でも一定程度のやはり子どもに対してしっかりと教育とか、しつけとか、礼儀みたいなものをしないと、子どもが育ってないという事があります。アクティブラーニング的な理想的な教育をしようと思うと先生の工夫が必要になると感じます。子どもが能動的に学びながら、次のレベル、次のレベルと上げなあかんということはいろんな仕掛けを作らなあかんので大変です。ややもすれば、なんにもしないで子どもにまかそうというふうな、これを免罪符にした悪い傾向になってしまう場合もあるのかなと思います。しっかりと次のレベルに、高いレベルにいってから、やっと出てくる能動的なことというのは、やっぱりあるので、そこに引き上げるための指導、教育というの事がやはり必要なのではないかなと。その中に愛情と優しさと時には厳しさみたいな混在するような教育というのがこれから求められるし、幼児教育は子どもが楽しませさせるような仕掛けをいっぱい持っている先生がやはり今でもそうなんですが、ええ先生やなと言われるようなことになるのかなと思います。以上で終わります。ありがとうございました。

0コメント

  • 1000 / 1000