語り物のびわ  「耳なし芳一」

2019.8、22


筑前琵琶奏者 大久保雅由

皆さんこんにちは。ご紹介いただきました大久保雅由と申します。ご紹介の通り10年ほどオーストラリアに住んでいたことがありまして、そこは移民国家、もともとアボリジニがおられたんですけども、200年ぐらい前にイギリスの人たちがやってきて国を作って、白豪主義を長く取っていましたが1975年に終わることになりました。それからは国の中に欲しい人材があれば外から入れてこれる形です。現在はシドニー、メルボルンの大都会ではどこの国の人でもいるぐらいにいろんな人がいて、マルチカルチャーリズムと呼んでいます。その中で食物と音楽は(誰にでも)共通で、すぐ試せてわかりやすいです。僕はたまたま楽器をしていましたので、オーストラリアに行って音楽を学びたいと思っていました。例えばアラブ、アフリカ、ラテン音楽だとか、それぞれの国の人たちが持っている文化はなかなか面白いなと思っていて、沢山アフリカ音楽をベースで弾いていました。日本に帰ってきた時に日本の楽器もしたほうがいいのかなという思いで筑前琵琶を始めました。今は筑前琵琶、薩摩琵琶が主流となっていて、筑前琵琶(楽器)は裏が桑、表が桐になっています。薩摩琵琶は欅などのもうちょっと硬い木を使っています。ともに九州の土着楽器で、以前は多分盲目の人、目の見えないお坊さんが琵琶を弾いてお経を唱えたり、エンターテイメントという形で長く九州地方にあったものです。それが明治維新の時にたくさん九州のお侍さんたちが東京に行かれて、その頃、西洋のいろんなものが入ってきていて、日本の琵琶も西洋の人に聞いてもらえるように舞台で30分ぐらいのものに改良されたものが、今僕らがやっている古典の琵琶になります。それで以前は歴史を伝える、話を伝える目的でした。テレビもラジオもない時代ですので一晩中やるぐらい話が続く感じで、昔は悠長やったんやなと思います。今20~30分ぐらいで1曲になるんですけれど、僕らでも演奏会に行けば寝てしまいます。今はラジオでは3分に収めないと、なかなか皆さんに聞いてもらえないという時代です。そんな中で、僕が琵琶を始めるまで、全然琵琶のことを知らなくて、先生に付いて習いだして、一対一で先生の見よう見まねで始めました。一応楽譜はあるんですけど、それを見ながら聞きながら覚えるというのが基本的なスタイルになっています。今は録音するものがあるので、家に持って帰って聞きなおしたりします。1曲が20~30分なので、それを2回お稽古をしてもらっても1時間ぐらい十分にかかります。細かいことをやっていこうと思えばすごい手間のかかるものだと思います。

もう一つ始めるまで知らなかったんですが、琵琶はどちらかというとお話を「語る」、です。語り物という分野に入っていて、話の間にちょこちょこっと琵琶が入ってきます。BGM のような感じで琵琶が入ってくるのが特徴です。また、日本の習い事なので、この先生やめて他の先生に行くというのはなかなか許されない世界です。ちょうど僕が入門した頃、うちの先生の先生がご高齢で亡くなられていて、僕の先生は大阪の山崎旭萃先生に習っておられました。山崎先生は人間国宝の方で、100歳で亡くなりましたが、山崎先生は8歳の時から琵琶を続けられていました。明治時代のことで、小学校を終えたら、女学校に行くのか、それとも琵琶をするのか、といった具合で、琵琶の道を取られたそうです。戦後は琵琶が下火になったんですが、続けてこられて琵琶界では初めて人間国宝になられ、総範という誠の先生の先生ということで、高槻におられました。僕の先生に「ちょっとあんたもせっかくやし、習いに行っておいで」と言ってもらい、2005年、1年間だけ、2006年に亡くなられるまで、お稽古に行かせてもらいました。その時はもう琵琶もお弾きになられませんでしたけれど、何でもよく覚えておられるし、いろんな話もよくしてくださりました。さすが100歳まで生きられる方で、お酒も好きで、午前中のお稽が終わったら、昨日のビールの残りが冷蔵庫から出して、飲みながらまたお話を伺うといった調子でした。いろんな創作も沢山されて、その中の一つが今日、演奏する「耳なし芳一」です。赤間が関で琵琶の上手な芳一が平家の怨霊にさらわれてしまう物語です。琵琶の曲は昔の話を語るのですが、この曲は芳一の話し自体昔の話なんですけども、その中で芳一が平家物語を語るという、二重の語りになっているのが特徴的なところです。

琵琶という楽器ですが、今は5本の弦のもの、五弦琵琶が主流です。実は明治時代に改良されたもので、それまでは四弦の琵琶でした。ドソドレソ(C1, G0,C1, D1, G1)というチューニングになっています。四弦琵琶はソドソソ(G0,C1, G1, G1)、高いソの2本が復弦になっていました。五弦琵琶はメロディアスな旋律のために改良されたものです。聞いてみてください。

平家の運も悉く  底の藻屑と沈めたる

壇ノ浦近き赤間ヶ関

その赤間ヶ関に芳一という若者あり。琵琶を上手に弾じしが平家の怨霊を供養のために建立されたる阿弥陀寺の和尚、芳一の芸能を深く愛し、その貧しきを助けんとして寺の一間をあてがいて食事さえも給しけり。

蒸し暑き夜のつれづれに  手馴れの琵琶を弾じつつ

和尚の帰りを待ちいたり  夜半も過ぎて裏門より

人の足音近づきて  芳一の前にて立ち止まる

芳一、芳一と呼ぶ  ハ、ハイ。とおろおろ答えて

私は目の見えぬ者でござりまするが、どなた様がお呼びなさいますか一向にわかりませぬが。

客はやや言葉を柔らげて

わしの主人はさるやんごとなきお方であるが。この程壇ノ浦の合戦の跡をご覧になりたいとて今日はわざわざ御見物遊ばされたが かねがねお主は合戦ものが上手 と聞き及んで、一つそれを聞いてみたいとの御所望故 お主を迎えに参ったのじゃ。

その侍につれられて  お邸らしき所に着き

大広間にぞ通されける

只今これよりその琵琶に合せて平家物語を語って聞かせよとの御所望にござりまする。

老女らしきその声は  殿上の優雅なる言葉なり

平曲はなかなかもちまして手易く全曲を語り切れるものではござりまするが、してお上にはいずれの段を語れとの御所望にござりましょうや。

されば壇ノ浦の合戦の段をお語り遊ばせ。あの段は平家の中でもこよのう哀れの深いくだりじゃほどに。

芳一声をはりあげて  はげしき合戦の歌をうたう

時こそ来たれ元暦二年  源平両軍船出して

壇ノ浦にて落ち合いしが  さしもにひろき早鞆の

瀬戸も船にて覆われて  両軍 矢頃に近づけば 

戦端忽ちここに開け  一度にあぐるときの声

磯打つ浪の音もろとも  山に響きて物すごし

周囲には賞賛のささやき起こりしが。やがて御幼帝を抱き奉れる、二位の局入水の有様を語りはじめし時、すすり泣きの声さえ聞こえけぬ。

主上は今年八歳にぞ  ならせおはします

尼ぜわれをばいず地へ  具してゆかんとはするぞと

仰せければ  二位殿はらはらと涙を流して

君はまだ知し召され候はずや 

御運すでにつきさせ給ひぬ  先ず御念仏候ふべし

極楽浄土とて  目出度き処へ具し

参らせ候ふぞと  さまざまに慰め参らすれば

山鳩色の御衣に  びんづら結はせ給ひて

おん涙におぼれ  小く美しき御手を合せ

御念仏ありしかば  二位殿やがて抱き参らせて

浪の下にも都の有り候うぞと  千尋の底にぞ沈み給ふ

墓地に聞ゆる琵琶の音の  このもかのもゆらゆらと

燃ゆる鬼火の二つ三つ  雨降りしきる闇の中

無気味や芳一声はりあげ

安徳帝の御陵の前に  端座して

壇ノ浦合戦の段を  誦しいたり

ついに和尚はこれを知り、芳一の身をいたく案じ、つれ戻しつつ身体中 足の裏に至るまで般若心経を書きつけたり

さあれ不覚や只一カ所  耳に書くことを忘れしため

迎えに来りし幽鬼の眼に 宙に浮べる耳の見えしを

せめてとばかりもぎちぎり  持ち去りければそれよりは

無惨やな耳なし芳一と  呼ばるる身とは成りにけり

呼ばるる身とは成りにけり………20分。

どうもありがとうございました。

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