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会員卓話

2018年3月1日気仙沼から小金沢へ山下 茂最近よくテレビでおなじみの鉄道の旅番組をご覧になっておられますか。私は仕事を辞めるまで旅行にあまり興味がありませんでした。もし行くとしても車で行くのならまだしも、車で行くなど考えられませんでした。重たい荷物持って移動する、ましてや時刻表で切符の手配や時間通りに動くと考えられませんでした。そんな私に1年後に退職した後輩が鉄道友の会に参加しませんかと声をかけてきました。鉄道友の会とは宇治郵便局、伏見郵便局の職員で酒好きと鉄道好きの者でつくる同好会です。鉄道好きにもいろいろありまして、例えば乗るのが好きなら乗り鉄、飲むのが好きなら飲み鉄、写真を撮るのが趣味なら撮り鉄、女性なら鉄子、鉄道に関する音を録音するのが音鉄もしくは録り鉄、弁当が好きなら駅弁鉄といろんな楽しみ方があります。最初は何度も誘われましたが断っていました。ある日、一筆書きの旅に誘われました。一筆書きというのは乗った駅から降りる駅まで一筆で行くことです。例えば六地蔵から木幡までの切符を買い京都駅に行き、湖西線で近江塩津駅に行き、次に北陸線で前原駅へ、東海道線で草津駅に行きます。草津から拓植線で拓植に行き、関西線で木津駅に.そこから奈良線で木幡へ。これだけ乗っても運賃は六地蔵木幡間で済みます。この旅に参加して鉄道に興味を持ち、それからも和歌山回りや大阪回り等をやっていました。そのうちに、4泊5日の東北旅行に誘われ参加しました。この旅は青春18きっぷで普通電車か、快速電車で山形、秋田、青森、岩手、宮城の五県をめぐりました。六地蔵から関空に出て飛行機で仙台空港に行き、東北本線で福島へ、福島で止まり、次の日は奥羽本線で米沢へ、米沢では上杉神社と松岬神社を観光し、前坂線、奥羽本線を経由し、秋田へ。途中酒田で一時間ほど乗り換え時間がありましたが駅のベンチで缶ビールを飲んでいました。3日目は秋田から五能線リゾートしらかみ1号で五所川原へ、途中でマグロバーガーを食べ美味しかったこと最高でした。もちろんビールも。弘前では弘前城を見学に行きましたが工事中のため、天守閣が移動しており見えま2pせんでした。弘前駅から弘南線、花輪線を経由、盛岡で途中、岩手銀河鉄道を経由したため別料金が発生しました。盛岡では次の日、1人だけ朝6時過ぎの列車で田沢湖線、北上線を経由して北上で合流する豊田君と同室になり、夜中の3時4時5時、三回起こされ寝不足になりました。4日目は8時43分、盛岡を出発、東北線で平泉へ、中尊寺を初めて見学しました。本当に金色堂があり感激しました。ここでそばを食べたのですが全員時間間違え。次の列車に乗り遅れ一関駅で1時間以上何もすることもなく缶ビールを飲んでいました。一関から大船渡線で気仙沼へ、気仙沼からは東日本大震災の影響のため、バスで小金沢駅へ。バスは津波で流された線路の跡と国道を走り、駅に向かいます。小金沢で一泊した旅館は津波で1階が水につかったそうですで、すぐ下にある小金沢の駅はホームが半分流されありませんでした。5日目はまたバスで前谷地駅へ、このバスも前日と同じで元の線路と国道を走り約2時間かかり駅に着きました。途中、私は腹痛を起こし、偉い目にあいました。石巻線、仙石線を経由して仙台へ。途中、かの有名な日本三景の松原がチラッと見えました。帰りも仙台から飛行機で関空へ快速電車で7時半頃京都に帰り、反省会をして家に帰りました。この旅で完全に鉄道の旅にはまってしまいました。昨年も軽井沢熱海を巡る旅に行きました。飛行機や新幹線を使って効率よく名所をめぐったり、高級リゾートでのんびりする旅とは一味違った旅の楽しみを知ることができ、声をかけてくれた友達に感謝しています。私に新しい孫ができました。もうすぐ3歳になる孫が電車が好きですのでいつか孫と一緒に鉄道の旅を楽しみたいと思います。今日もこの卓話がなければ四国に二泊三日の旅に行っていたはずです。高速道路を逆走神田 豊道交法の改正で平成29年3月以降は75歳以上の運転者が免許更新時に認知機能検査が行われることになりました。「日本では2025年には、団塊の世代すべてが75歳以上となり、全人口の5人に1人を占めるようになる。65歳以上まで含めると3人に1人に近づくという。高速を逆走したり、居眠り、アクセルとブレーキの踏み間違いでコンビニに突っ込んだり、スーパーの屋上駐車場から外へはみ出たり、それらは高齢者だけではないはずと聞きましたがその煽りを食らって私も検査を受ける羽目になったんです。高齢の受験者にどうでしたかと聞いてもかーんたんというだけで自分がすんだら感心なしでした。ところが偶然、Netを検索したんです。おどろいたことに天下の警察が認検の問題内容を紹介しているんです。見つけましたね、これはかーんたんと思いました。楽勝です。64種類の絵を暗記する、時間はたっぷりある。 しかし、本間かいなと疑いの気持ちがあって、半信半疑でした。まあ、あくまでも例題であって、例えばこんなイメージを持ちなさいというのだろうと思っていました。本番の日がやってきました。受けてみるとその場で大変なことになりました。見覚えのある絵が出てくるのです。その絵は覚え込んだ半分以下の量なんです。これも楽勝。で、今、出てきた絵を覚えといてくださいねと言うんです。次に10時10分という時計の絵を描きなさい。西暦何年か、今日の日付を書きなさいというわけです。楽勝、〃。で、次に1桁の数字がずらっと並んだ表があって、これから言う数字を斜線で消しなさい。一つ探せ、二つ探せという。だんだん数字に集中せざるを得なくなります。で、最後の問題、最初に出た絵をみんな書いてください。数字を消したり、時計の絵を描くほうに集中していたためにどんな絵が出たのか全く忘れてしまっているんです。フェイント、時間差、ダマされた。ああ、これが認知症テストか。たくさん覚え込んだ絵と出題の絵がごっちゃになって往生しました。検査の結果は3段階あって49点以下(第一分類)は精密検査を受け、認知症と診断された場合は免許取り消し、又は停止。50点から76点(第2分類)までは講習時間が長くなるようです。76点以上はほんの少しの講習と実地だけでした。昨年の3月から12月統計によると172万人の受験者があり、 第一分類5万人  第2分類45万人  120万人がその恐れなしと新聞報道がありました。あと2回は挑戦するつもりです。それ以後にはペースメーカーみたいな、アンアルツメーカーなるものが開発され頭の中に埋め込む、サポカーより性能のいい部品が出てくると期待しています。

年男・年女放談

2018.2.1「心顛倒せず」船川会員年男放談ということで一番年配のようなのでトップで話することになりました。今までの来し方とこれからの行く末について少しお話しようかと思っています。生まれたのが1934年でして、昭和9年ですけれども、干支で言いますと7回目が終わることになります、84です。生まれたのは5月だったんです。私どもはお茶の製造をしておりまして、5月というとお茶の最中ですね、一番忙しい時で父親にとっては嬉しい、跡継ぎができたということで、しかも5月のお茶の時期にできたということで非常に喜んだんだろうと思います。傍から見れば迷惑ですわな、5月の一番忙しい時に生まれてきよってというようなものだろうかなと思ったりしております。小学校へ入ったのが昭和16年、12年に日中戦争が始まっておりまして3歳でしたけども、それから太平洋戦争がありましてほとんど子供の時分は戦争の時代でした。物もないし、食べ物もないし、何もない。非常に大変な時代だったと思います。小学校一年生の時はですね、ちょうど国民学校という学制改革がありました。これは国の方針で少国民も戦争の協力者ではないけども、精神的な教育もしていかなあかんということで国民学校になったんです。小倉村立小倉国民学校というところに行きました。それで4年半戦争がありまして、戦争が終わったのが5年生の8月15日、お盆の日ですね。この日は私にとって生涯で一番記憶に残る日です。何故かと言いますと終戦の日でもあったんですけども、ちょうど私の母が一番最後の5人目の子供を産んで1年を過ぎたら体調を崩しまして里の方へ養生に出かけておりました。家に母親がおらない状態でして、そんな中で一度親父と一緒に見舞いに行こかということになって8月15日のお昼前に家を出て近鉄電車に乗りまして、その当時は奈良電車ですけども、富野荘駅でおりまして、それからまっすぐ電車に沿って行きますとちょうど木津川の堤防に上がるんです。周りは8月15日ですから草がボーボーとして蒸し暑い日でしたけども、そこから歩いて母親の実家は、今は城陽市青谷というところで30分ぐらいの距離だったと思いますが2キロぐらい行きましたら、ちょうど12時から終戦の詔勅の放送があるということだったんですね。私は子供の時分ですからそんなこと知らずにまあ、親父と一緒に行って着いたらちょうど12時過ぎたところでした。リキさんとうちの親父は呼ばれていましたが“りきさん戦争終わったたで”と母親のお父さんが言っておられた。その時の気持ちというのが今も覚えておりますけども非常に子供心にやはり戦争というのは非常に頭の上に何かのしかかっているような、キリがいつもかかっているような状態でおりましたので、それを聞いたときの嬉しさというか、もうこれは生涯忘れないような気分がいたしました。たまたまそのやっぱし終戦の日でしたから普段やったら大概朝からB29が飛んでくるんですがその日は妙に何も来ないんですね。空は真っ青で綺麗な青空でそれも一つ頭の中に残っております。それと母親が病気で寝ていたということもあったとあってそれらの三つが重なって何か記憶にずっと残っている日になりました。ちょうど小学校5年の頃でした。そんなこともありまして戦争も終わり、中学の時も学制の改革があって633制の初めての年ですね。だから小学校1年の時も国民学校になったし、中学校の時も初年の1期生ということで、何かこう節目の年に学校に行きました。中学へ行くとき勉強も何もやっておりませんし、義務教育になったから自然にはいれるわけですから、考えてみれば小学校一年生に入って学校で空襲があったりしますと途中で学校から帰ってきたりというようなことがあったんです。9年間ほとんど勉強などした記憶がないぐらい勉強なんてしなくて済んでしまったようなに思います。高等学校の時もほとんど新制高校でしたから受験勉強もなくてスッスと入ってしまいました。で、どんどんと日が過ぎて行きまして、今はもうどういう生活をしているかと言いますとその日その日というような感じて生きております。だんだん年とりますとあまり欲もありませんし、その日その日が過ぎればいいなと思っています。死ぬのはもうちょっと先にしてもらいたいんですけども、うちは浄土宗なんですけども、死ぬときに心顛倒(てんどう)せず、心錯乱(しゃくらん)せず、心失念せずというのがあります。法然上人の日常勤行集というのがあって、それに載っているんですけどもそんなことを考えながら無事心失念せず錯乱せずで生きられたらいいな、なんて思っております。蓮如に明日には紅顔ありて、夕べには白骨となれる身なりというのがありますね。そのような言葉を聞きますと一日一日人間というのはいつ亡くなることになるかもからないので、できるだけ心静かにこれから何年間か過ぎていけたらいいなと思っております。長くなりましたけどもそういうことで終わらせていただきます。ありがとうございます。「12年間持った」吉田会員皆さんこんにちは。1回前の戌年にロータリーに入会しました。それでその次の正月に年男として、こうしてしゃべらなくてはならないというイメージがありました。小生はロータリー10年持ったらいいほうだろうと考えていました。ちょうど12年待ってしゃべれるようになりました。ありがとうございました。何もございませんが一回前の戌年のときは、まだ人生が長いから着実に頑張ろうと思いましたけども、これからは一つ一つ目標を決めて、例えば東京オリンピックを2回見たい、どこどこの国へ行きたいと一つ一つ目標を決めてがんばりたいと思います。商売もWin Winの関係でやっていきます。今後共よろしく御願いします。「アイボ」城島会員皆さんこんにちは。久しぶりに前の席に出させていただきました。えらい吉田さんが気を使っていただいて、いつも気を使われないのにこういう時だけ気を使わはります。ご紹介ありましたけども、この戌年のメンバーがクラブの中には多いということです。現在7名もいます。それと今までにこのクラブに在籍された方で矢野先生がそうです。ちょうど一回り上で船川さんと同い年だと思います。あと、木幡神社の木村宮司さんもそうです。それとまだおられまして、ちょうど今年還暦を迎えられますけども近畿グリンの北村君、彼も戌年です。それで全部足しますと10名になります。まあ、犬のことですので大変多産になっていますがまあそれはさておき、我が家にはダックスフンドが一匹おります。もう13年ぐらい経ちますかね。よく言うんですが外で飼っています。いやかわいそうにと皆さん言われます。私の考え方としましてはあの犬は元、猟犬やということで猟犬として改造されたということを聞いておりますので外で飼っております。13年経ちますと頭も白く、私も同じことですけども目もうとくなってきております。だんだん耳も聞こえにくくなっているようでねきまで行ってもまだ寝ております。で、ボーンと音をだすとびっくりするんです。そういう感じで犬が一匹おります。で、もう1匹に飼おうかな。今から飼って、さてどっちが長生きするやろうということでこれはちょっと考え物やなということで、えさのいらない犬が何とか飼えないものかと。と言いますのは皆さんもご存知と思いますけどもソニーから出ていますアイボというのがあります。あれをですね、ちょうど去年の11月の1日にワンワンワンの日にですね、社長がですね、発売するということで発表がありました。それを私もちょっと聞きましてインターネットを見ていたらなるほど出ていました。それで、応募したんです。インターネットのサイトの方から登録してやるんですけども、なかなかうまいこといきませんでした。しばらくしましたら10匹だけ0001から0011までナンバーのついたちょっと色の違うアイボを今度発売するということで募集しています。だいたい1匹が20万ぐらい。11匹しか発売しないということで一応応募になるんですけども金額はなんぼでもいいと最高で100何十万という金額が入っていましたけども30万からオーバーした分はソニーのほうが財団法人に寄付されて買ったものはその分は税金上の対策になるということであったんですけども、私もある程度出してきたんですけどもスカでした。なかなかうまいこといかないもので何とかそれを手に入れようと思って今苦心をしております。大阪の梅田の方でソニービルで実際にワンちゃんが三匹ほどいるということですので一度見に行ってこかなとそんなことで、何とかもう1匹、わんちゃんを増やそうかなと努力している最中でございます。失礼しました。「決心したこと」清水会員失礼いたします。放談ということを広辞苑で調べましたら思うことをはばからずに語ることというふうに書いてました。で、思うことをちょっと憚りながら語りたいと思います。私事なんですけども、昨年、下の子が女の子を出産しました。そのことを長女が喜んで、結構沢山お祝い送ってきたんです。その中に1冊の本が入っておりました。それは鮫島浩二という方の書かれた絵本なんですけども、この方は東京医大を卒業して、東京警察病院を経て現在は埼玉県でクリニックを経営しておられます。赤ちゃんがお母さんのお腹にいるときにどんなことを考えて、何を思って10ヶ月ほど過ごしているんだろうなとずっと考えておられた時に、ふと口をついて出てきた言葉をずっと書きとめて、それを絵本にされたんです。私があなたを選びましたという題がついております。もうその通り内容も非常に簡単で、お母さんお父さん私がお父さんお母さんを選んだんですよというふうな内容なんですけども、これを証明するようなことが今、東京でありまして、前世のこととか、そして神様からこういう啓示をいただいて伝達するように言われてきたよと言う事を話している女の子がいます。まだ小学生なんですけども、私はこういう理由でお父さんお母さんのところに来たんですよというような話をするんです。縁があってうちの下の子がまだ子供がいるかどうかわからないときに会う機会がありましてお腹に赤ちゃんが来てますよ。女の子みたいですよと言ってもらったんですね。で、実はちょっとその前に流産したことがあって非常に落ち込んでいた時に、女の子が来てますって前にきた子がまた来てますと言われたというんですね。何か家族全員みんなそれであーもう一度来てくれたということで非常に待ち望んで生まれたので上の子も喜んだんだと思うんです。そういうことを自分の人生に照らして考えてみますと私は自分の父、ものすごく厳格で頑固な父だったんですけども、その父とちょっと気ままな母を私は選んだのかなと疑問は残りますが、とにかくこういう状況に今あって、で、こんな環境の中で今こうしてロータリーに入れてもらって話しているということは私が選んだ宿命だったんだろうなというふうなことを思うんです。選んだということは宿命ですけども、そのあとの人生というのは自分の努力と言いますか、いろんなふうに描いていけると思うんです。で、私、今までこんな回り年が来て話をする、いやあ~結構長いこと生きてきたんですけども、そんなに努力をしたという記憶がなくて、申しわけなかったなと最近、特に思いました。で、これから私はどんな絵を描いていくのかということは私の運命を切り開いていく私の意志と努力にかかっていると思いますので厳格な父をうならせ、そしてわがままでちょっと気ままだった母を喜ばせるようなことをこれからやっていきたいなと思って、今年のお正月は非常に深く決心したんです。これだけの話なんですけども終わります。ありがとうございました。「在宅で看取ろう」大石会員失礼いたします。戌年ということで私は年回り6回目です。最初、生まれたのは私とは関係なしに戌年に生まれているという事です。12年目の1回目は私が腎臓と紫斑病によってほとんど生きるか死ぬかわからないような状態で迎えています。2回目の時は受験で苦労していたときでした。そして3回目の時は親父が亡くなった昭和57年です、その時は京都に帰って後を継いだ年で長男が生まれた年でもあります。その後4回目、5回目は医師会の理事や副会長などで大変仕事が忙しかった時です。そして今回6回目ですけども72歳になりまして、今年は何か良い出来事が待っているかなと思っているのですけどもこればかりは何とも言えません。私は昭和57年に京都に帰ってきて患者さんの最期を在宅で看取ろうと思い、往診を第一に診療を始めていました。しかしこの前あるアンケートで、本人の希望は、50%以上は自分の家で最期をむかえたいという人々がおられますが、実際結局は病院で亡くなっている方が70%以上あると言われています。というのは自分の想う意思とは関係なく亡くなる方が多いと言うことです。これは何故かと言いますと今現在の家族構成など色んな問題が多分にあると思いますが、自分の意思(考え)を明確に伝える事が出来ていないことですね。どこで、誰と、どんなふうに過ごしたいか、また、人生の最期をどのような医療を受けたいか、受けたくないかを家族と考え、話し合うことが大切です。今、医師会で事前にそういう自分の想いをどのようにしてほしいかという書類等があります。これが自分の思い、私の思い事前指示書というものがあります。これを家族等と相談していただいて実際に自分が最後になったときにどのように対応して頂けるかを決めて頂く方が良いかと思います。我々、医者は在宅で看取ろうという気持ちは十分にあります。これから先25年というのはますます高齢化になってしまいますから入院する場所も少なくなってくると思いますので、なるべく家で看取りたいという方があると思いますが、家庭環境はこの頃大家族でありませんから夫婦とか、独居の方が多くなって来ると考えます。どのような家庭環境の中でどのように対応されるかが今後の在宅介護の問題になって来ると思います。私自身もそろそろ考えておかなくてはいけないなと思いながらいつどういうふうにしてくれるかというのは子供の想いにもよると思います。実際に嫁さんと子供達が自分の想いを理解してもらえる様に話し合う事だと思います。ここ最近在宅で亡くなっていくおばあちゃんなんかを見ていますと家族に看取られ安らかに静かに亡くなる、そういう寝顔は一番いいですね、実際。わずかに涙を流しながら亡くなっていくという状態の顔は一番よろしいです。自分の家族を看取る場合にはそういう安らかな顔を見て送ってあげるというのが一番やと思います。会員の皆様は若いですが、ご両親やおじいちゃん、おばあちゃんがおられると思います。家族で一度は考え話し合う機会を作って頂きたいです。何かお尋ねがあれば相談して下さい。以上簡単ですけれど終わらせて頂きます。「この会をもっと大事にして」中島 会員取を仰せつかりましたが今の清水さんのお話を取にしたほうがしんみりと余韻を残して終われるんじゃないかと思いますがまあ一応お役目ですのでお話させていただきます。吉田さんもおっしゃっていましたけども、私も結構、かれこれ長くこのクラブにいますが今回、年男放談が初めてなんですね。というのは私が入会したのが3月なんですね。それもその12年前の3月ということでちょうど1月の誕生日が来た後だったということで今回が初めてだということになります。その時にこのクラブに導いてくださったのが橋内くんのお父さん。それから亡くなられましたけども木村登志雄さん。それから臼井さんのおじさんですね。それから宮原さんとかがいらっしゃったんですが皆さん、入会しろ、入会しろと言っていたわりには皆さん無責任に辞めていく。それは余りにもかたすかしやないかとそんなふうに感じなくもないんですがちょうど井沢京子さん、国会議員でいらっしゃったんですが井沢さんと一緒に入会式をやったのを覚えています。まだ醍醐プラザで例会やっていた頃ですね。で、入会した頃はですね、今はわりと私はロータリーを一生懸命やっているように見えますけども、不真面目であまり例会に出て来るのも結構苦痛だったんです。ただ、そうは言っても、そこからいくつかロータリーを一生懸命やろうという、そういうきっかけになるようなことがいくつかあったんですね。それはロータリーの友とか、月信とかをロータリーモーメントと呼んでおられますけども、そのロータリーモーメントになったようなことが思い起こすといくつかあります。その一発目が入った年のクリスマス例会で司会をやれという話になって、まあ、あれをやってからちょっと積極的にこのクラブに溶け込んできたのかナーと、そのあと太田壱将さんが会長をされた時に理事をやりなさいということで結構入会して間もなくだったんですけどもそういうことも経験さしてもらい、それから宮原年度に幹事をさせてもらって、そのあと地区にも出させてもらって、そして今があるということです。で.こうやって毎週、集まって、毎週ですよ.こうやってご飯を食べていろいろお話をするということはこんなんないですよね、こんな集まりって。だいたい数ヶ月にいっぺんとか、そのようなことだったらあるんですけども、だから非常にありがたいし、それによっていっぱい宇治の中でお友達もできたし、お話し相手も出来たし、いい会に入れてもらったなと言うことでこの会をもっと大事にして、これからの人生、あと何年生きられるかわかりませんけども充実させていきたいなと思います。亡くなられた方、橋内さん、木村さんにご冥福をお祈りして私のお話とさせていただきます。どうもありがとうございました。

介護施設経営の困難をやりがいに変えて

社会福祉法人マイクロ福祉会 理事長マイクロ株式会社 取締役会長伊藤 弘子皆様こんにちは。ご紹介をいただきました伊藤弘子でございます。高橋権也先生からのお話をいただき、本日、お話をさせていただきます事をとても光栄に思っています。ありがとうございます。タイトルを「介護施設経営の困難をやりがいに変えて」というタイトルにさせていただきました。高橋先生からは伊藤さん、介護施設経営の苦労話をしてというふうにおっしゃったんですが、私は経営をして苦労と思ったことはございませんので、「先生、困難をやりがいに、でよろしいですか?」ということでこういうタイトルにさせていただきました。<はじめに>私は、経営者として今年で46年目になりますが、その46年の流れをまず簡単にご説明をさせていただきます。起業は1973年に有限会社伊藤製作所として松下電子部品、今はパナソニックとなっていますが、松下電子部品のお仕事をスタートいたしました。その後、有限会社から株式会社に、そしてマイクロテスト株式会社とし、現在マイクロ株式会社に社名変更し、現在に至っております。その間、ずっと無借金経営だったんです。お正月に10年ビジョンを語る会というのがございました。その時に私は何をしようかなと思ったとき、「本社ビル建設」ということを目標に掲げました。そして、目標として10年ビジョンがおかげさまで3年半でその夢を実現することができました。順調にお仕事は推移して参りましたけども、転換期が参りまして、2001年にパナソニックさんの海外進出という時代です。中国に海外進出をされ、私どもの仕事は、「平成13年9月31日をもって取引を停止」という紙1枚で取引停止になりました。「うちの仕事を持っていく中国ってどんなところやねん!」と思い、中国に行って現状を見て参りました。すごかったんです!! 私共は、マンパワーの仕事をしているんですが中国の人口たるやすごい!!「ああ、これは私どもでは勝てない!」と腹をくくることができました。2年前に本社ビル建設をいたしまして、初めて銀行から融資を受け、月々100万円の返済、社員を20名雇用中、仕事はゼロ。本当に地獄、修羅場を味わいました。で、松下さんが「伊藤さん、中国に工場を作るし、一緒に中国へ行って、マイクロで検査の仕事をやってください」と言われました。でも、私はその時、子供が高校と大学に行って、子育て中なので、「いや、それはできません」とお断りをしました。そしたら松下さんが「え!!」とびっくりされました。仕事はゼロになり、私は途方に暮れながらも、何とか仕事を探そうと、毎日営業に明け暮れました。<介護事業へ進出>2003年、平成15年から転換期で介護の異業種進出をいたしました。私は中小企業家同友会に所属し、そこの経営委員会で経営理念成文化作成を担当し、その啓蒙活動をしていました。東京からいらっしゃったコンサルの先生が、「伊藤さん、マンパワーの仕事は衰退産業ですよ」と言われ、そうやなとマンパワーの仕事は中国に勝てへんと強く思いました。その時コンサルがおっしゃったのはこれからの成長産業は三つ、環境、教育、福祉。という事でした。そして、大阪で建設業をしている弟が「株式会社でも、介護事業ができるようになったんやで!今、介護施設を三つ作ってる」と言われて、成長産業の福祉かと思い、藁にもすがる思いで、その施設を見学に行きました。専務を連れて7月29日の、猛暑で気温40度という中です。それを見たときに私がこれからする仕事は「これや!!」、30年間経営でお世話になった皆様、世の中にお返しする仕事は「これしかない!!」と心で叫んだ瞬間でした。でも、介護事業とはお金があっても、人がいても、土地があっても、もろもろ条件が揃っても指定事業なので、国から指定認可をいただかなければなりません。まず宇治市に申請に行きました。「実績ないやん、伊藤さんあんたが作ったん見せてもろてからや!」けんもほろろに断わられ、余計、私の気持ちに火がつきました。それから長岡京市、向日市、宇治田原町、京都市、城陽市等にも行きました。そして城陽市で初めて受けていただいて、公募に参戦して落札し、2003年に一番最初の「グループホームまごころ城陽」をオープンすることができました。その時に医療連携として高橋権也先生にお世話になったわけです。それから7年間一心不乱に施設7ヶ所、サービス別の事業所といたしましては12事業所を開所させていただきました。でも、グループホームは、認知症の方々が共同で生活をお過ごしになる場であって、人生の終末期を過ごすところではありません。ある時社員が「社長、特養を作ってください」またご家族様からも「マイクロさんで最後までお世話になりたいので、ぜひ特養を作って下さい」と強くご要望をいただき、決心いたしました。しかし、特養はですね、1000坪いるんです。100人収容、100室作りますので、土地がなかなかありません。その前に特別養護老人ホームは社会福祉法人格を取らなければいけません。<社会福祉法人設立>2011年に「社会福祉法人マイクロ福祉会」を設立しました。この設立をするに当たりまして、京都府の介護福祉事業指定担当者の方から言われたことがあります。「伊藤社長、実は株式会社が社会福祉法人格を取得するというのは、京都府ではほとんど例がないんです。恐らく日本でも少ないと思います。しかしながら、設立認定審査委員の皆様方から、マイクロさんは何かやってくれそうだ!株式会社が参入することで新しい風を吹き込んで欲しい、風穴を開けてくださいと伝えて下さいと言われましたよ。」と仰っていただきました。「ああ、そうなんや、有りがたい!! 頑張ろう!!」と強く思い気を引き締めました。そして1,000坪の土地を手に入れ、諸条件を整えて公募に参戦しました。電話帳のような分厚い申請書類を作成し、何ヶ月も京都府庁まで通い、60名余りの介護職員を雇用し、融資決済に奔走し、理念や20年分の事業計画をクリアし、やっとの思いで公募で落札したわけです。竣工式には京都府知事や宇治市長にもお越しをいただき、激励していただきました。<今後の課題>今後の課題でございますが介護人材の確保は重要です。本当に介護人材は不足しています。これからもっともっと超高齢化社会が訪れます。認知症の方が増えます。独居が増えます。そういう中において、私たちはどう介護事業を展開していくかということです。困難な介護人材不足のなか、これからの2025年、団塊の世代の方がいよいよ介護が必要とされる時代が必ずやって参ります。その時は国がいつも言っているように38万人の介護スタッフが不足します。じゃあ、それに対応するべき私たちはどうしたらいいのか。私共は、外国人実習生を受け入れるべく、介護サービスの組合を設立して、外国人実習生を受け入れしようと今年1月10日からベトナムへ視察に行って参りました。しかし外国人受入れに関しては、今後の課題です。そして、今後の高齢者ですが全国で現在250万人ですが2025年、その団塊の世代の方が使われるようになったら320万人と推定されています。高齢者の世帯の7割が一人暮らしと高齢者の夫婦で占められます。中でも一人暮らしの世帯は37%、680万世帯になると言われています。その中で国はどんな政策を打っているかと言いますと新オレンジプランを制定し、安倍首相はそれを認知症対策として打ち出されました。又宇治市は認知症フォーラムで「認知症の人にやさしいまちづくり宣言」をされました。世界が日本の高齢化対策に注目しています。今、日本の60歳代の女性の方の60%が96歳まで生きる時代が来ると言われています。私は特別養護老人ホームを作るときに京都府との事前協議の中で、日本はもちろんのこと世界から見学に来ていただくような特養を作りますと公言して参りました。つまり私たちがこれから使う特養はですね、スマホも使います。パソコンも使います。そういう文化的要素を兼ね備えたところ、そういうところを作りますということで設立してきました。一昨年タイからの使節団見学者40名、通訳5名、関係者10名、計55名の方がバスで当施設をご訪問いただきました。また、韓国からの視察もありました。韓国はこれから介護保険をスタートするということで、国のその担当の方々、病院関係、又大学生のこれから伸びようとしている人などが来られましたがその大学生の中から、視察団の中で初めての質問が「高齢者を相手に黒字の経営ができますか?」という質問だったんです。「介護保険の仕組みどうなっているんですか?介護スタッフは介護技術をどう身につけるんですか?という質問等を私たちは想定していました。初めから意外な質問を受けて「ああ、他国の高齢者事情にも黒字でなければとそんなところに関心があるんだな」と思いました。私は、黒字経営は全ての経営の基本だと思っています。黒字経営だからこそワンランク上のサービスも可能だと思います。スウェーデンからも見学に来ていただきました。福祉と言えばスウェーデン、先進国です。私共は、驚きと感動の中でお迎えしました。<総括>私たちは、今後どの様にして介護事業を進めていくかと考える中で介護スタッフが魅力的な存在になること。そしてクオリティの高い人材を育てることが重要と思っています。また、多様な人材を受け入れていかなければ日本人だけではスタッフの数が間に合いません。と言いますのは法令に於いて人員配置基準が決まっているんです。この施設にこの規模ではスタッフは何人配置をしなければならないとか、その他細かく決まっています。人が足りない。それでも益々高齢化に向かう中でご利用者様に寄り添ったケアをするにはどうしたらいいか、今後も続く課題です。<地域密着>グループホーム・デイサービス・小規模多機能ホームは、地域密着型介護サービスとされ、周辺地域の方が利用される施設です。特養は広域型の介護サービスと位置づけられ、受入れ範囲が広がります。どちらのサービスも地域の福祉施設として多くの方に知っていただく事が重要で、いざ介護で困った時に「あっ、マイクロさんに相談してみよう」と利用して下さるよう、地域に愛される施設づくりを目指しています。<行政に対して>コンプライアンスの遵守、法律に基づいた規定があるのでこれに沿った介護を行います。決められた事に沿ったものをケアプランとしてチームケアをする。創意工夫をし、安心・安全を基本にお客様にご満足のいく寄り添ったケアを実践して参ります。それから施設は宇治市がその年度で事業計画を立て、現状の必要数を見合わせながら決めていかれます。それに対して各々の事業所が各々の対応をして参ります。<銀行に対して>私たちの仕事は、施設を作りご利用いただくわけなので、銀行さんの応援なくしては、仕事はできません。介護事業進出で最初の「グループホームまごころ城陽」建設のときに、銀行さんに対し本当にありがたい、一生忘れられないことがありました。と申しますのは、城陽市でのグループホーム公募にあたり、銀行からの融資が必要でした。城陽市役所さんは、事業資金計画書を見るなり、「この資金計画で絶対に融資を受けられますね?」「では、銀行さんに、必ず融資をしますという確約書を貰ってきてください」と仰いました。すぐに銀行さんにお願いしましたところ、銀行側は「そんなものを出したことはないんです。上にあげましたけどもそれは出来ません」と言われました。私は、支店長さんに「確約書がなければ、もうきっと公募でも落札出来ないと思うんです。ここが一番大事なところなんです。」と粘り強くお願いいたしました。すると「わかりました。伊藤社長、僕が行って説明します。」と言っていただいたんです。早速、同行して下さり、「このマイクロさんはずっと継続的にご利用いただいてます。きっちりとした経営をされているし、今まで間違えも1回もないし、これからも発展的に事業をされるというふうに当行は思っています。従ってこの融資は絶対間違いありません。」と言っていただきました。その結果、城陽市でのグループホーム第一号が落成しました。この支店長さんのお陰で、介護への進出ができ心より感謝し、一生忘れる事のない出来事です。<社内に対して>経営理念に基づいた経営です。経営理念・限りなき挑戦を行い地域貢献度の高い企業を目指す。・私たちは仕事を通して夢と希望と幸せを追求します。この「経営理念」に基づいて、毎年今年の戦略、事業計画を立てます。先程、ご覧いただいた事業所、18事業所は全部それぞれで事業計画を立てそれをPDCAでまわして実現に持って行きます。高い目標を掲げるをモットーにそれぞれの事業所が掲げるんです。会社から指示する事は一切ありません。介護はチームケアですのでその事業所が心一つになってケアをしていかなければお喜びいただけるようなケアは絶対できません。「チーム全体が心一つ」を大事に思っております。<事業継承>昨年5月15日に息子に事業継承いたしました。事業継承する前に3年位、彼の行動、言動等細かく観察していきました。私は息子に帝王学をということで教育したことはありません。私が出向く所、行政、銀行、会社さん、いろんなところに必ず専務を同行して私のやっていることを見て学ぶと言うことをさせました。そしていよいよ事業継承をいたしましたが売上も下がることなく今、順調に推移しております。<お客様に対して>我が社のお客様の定義は、「ご利用者様とそのご家族様をお客様とする」と位置付けております。お客様に対しては、国のオレンジプランによって寄り添ったケア、笑顔溢れるケア、常にお客様に向いた仕事をするようにし、また安心・安全を基本にチームケアを心がけています。<最後に>介護保険の仕事は全国で収入は決まっているので同じです。しかしその中でもビジネスチャンスはあると思っています。いろんなところに気配り、目配りをし、理念に基づき、社員とともに感謝の気持ちを大切に心一つで頑張っています。お客様の満足度を一番と考えております。お客様の満足以外にこの仕事は成り立たないと思っています。ところで、私は今までいろんな人に出会い、助けられてきました。製造業からの介護事業です。全然関係ない異業種の仕事です。今まで物づくりばかりを向いていた私が、今度は介護に向いていくわけです。介護進出にあたり、北海道から九州鹿児島まで研修があるたびに大きな施設を、いろんなところを見て回り勉強をしました。でもその中でいろんな人にめぐり合い困った時にはいろんな人にサポートしてもらいました。例えば先程申し上げました銀行の支店長さん、そして特養を作るときに1,000坪の土地を用意しなくてはならない。どうすんねんというときにたまたまお知り合いの社長さんが向こうから歩いて来られて、「社長、1,000坪の土地がいるんですよ。何処かありませんか?お願いします。」から始まってお話がまとまった経緯がございます。困った時に、サポートしていただきながら今の自分があります。その中でもとても大事なことの一つが家族の絆だと思っております。主人、子供たち二人、その婿とか嫁とか、家族が私の仕事を応援してくれています。そういう固い絆の中でこの事業経営ができると言うことは私にとって本当にありがたいことと心から感謝をしております。介護経営の私のコンセプトは「自分の親を入れたい施設を作る」です。ハード面もソフト面もそうです。又その中でとても大事なことは黒字経営を継続的に行っていくということです。お客様に対し、黒字経営の中でクオリティの高いサービスをご提供する、それを目標に掲げ今後も社員全員で事業運営をしていきます。介護への異業種進出をし、10年で施設9ヶ所、事業所15ヶ所、社員320名、お客様延べ580名になりました。この結果を成し得た事は、全て皆様のおかげです。感謝の気持ちでいっぱいです。今後、益々精進して参りたいと思っています。これが「私の介護施設経営の困難をやりがいに変えて」です。ご清聴ありがとうございました。

「小中一貫校 宇治黄檗学園の教育概要」

2018.2.22宇治黄檗学園 宇治市立宇治小学校・黄檗中学校校長 石田光春皆さん、改めましてこんにちは。本日はお招きをいただきまして誠にありがとうございます。昨年、金丸さんからお電話をいただきました。金丸さんから電話がある時はだいたい宴会のお誘いなので安心していましたら、宇治鳳凰ロータリークラブの例会で何かしゃべってほしいと言う話をいただきました。一応、本市の教育委員さんなので立場上断れないですし、まだまだ先の話やと思って安易に即承諾してしまいました。これほど早く時間が過ぎるとは思わなかったですし、こんな立派な会やとも思いませんでしたので少々後悔をしているところです。しかし、せっかくこのような機会をいただきましたので、本校のコマーシャルを是非させていただきたいなと思っております。ご質問、ご意見につきましては金丸教育委員がすべて引き受けていただくことになりますので私は報告の後、とっとと学校に帰らせていただきたいと思っております。どうぞよろしくお願いいたします。まず、府道・西から見た本校の校舎でございます。左側が宇治病院、右側に歩道橋があります。これが正門で、車で来られた場合、地下の駐車場に入っていただくということになっております。10数台の業務用・来客用駐車スペースがあります。小学校の敷地に中学校を作りましたので、空間をできるだけ利用するために地下を掘っています。ここから入っていただいたら、小学校の体育館があったり、あと給食調理室や茶室があったり、また、ちょっとしたトレーニングや体育ができるようなスペースも設けております。宇治病院側が1~4年生の棟で、これが体育館です。第1体育館と私達は呼んでいます。府下の中学校の中では一番大きな広さを誇る体育館です。3階建てぐらいの高さがあって屋上にテニスコートも設置しています。小中一貫校宇治黄檗学園という名前は実は愛称でございます。宇治市立宇治小学校の敷地に宇治市立黄檗中学校を新設し、施設一体型の校舎を作ったということでございます。宇治小学校は本市においては一番古い小学校でございます。学制発布の年、明治5年の6月15日の発布前に、授業を始めていて、地域の方はそれをすごく誇りに思っていらっしゃいます。菟道小学校は半年ほど遅れて開校されています。翌年の2月でしたね。菟道小学校の卒業生の皆さんは、そこが一番悔しい思いをされているというふうにも聞いています。黄檗中学校は平成24年の4月1日に開校しました。先程申しましたように空間を有効利用していますので、東側ののり面に合わせて、このように曲面校舎になっています。この3階に5、6、7年生を配置しています。本校では連続性という意味で、中学生は、1、2、3年生と呼ばずに、7、8、9年生年生と呼んでおります。この2階に8、9年生、一階が職員室等、特別教室を含む管理棟になっております。この校舎の屋上に小学校のプールがあります。本当はもっと高い校舎が建てばよかったのですが、ここは歴史風致地区で4階建て以上の建物を作ることはできなかったので、地下1階、地上3階の建物になっています。このようにデザイン性に富む校舎を作っていただいたことが小中一貫教育を進めるという点での大きな1つ目の特色ではないかと思っています。一貫教育の要は小学校と中学校をスムーズに繋ぐこと。つまり5、6年生と7年生の接続が要です。そのために同じフロアーで小・中学生が勉強しているということが2番目の特色になろうかと思っています。 普通なら、小学校の卒業式では、みんな感激して、「元気でさようなら、また会おうな」とお別れしていくんですけれど、本校は、次の年からまた同じフロアーで、制服を着て教室が隣に変わるだけで、別れるという感じは全くないですね。もちろん、転校や国・府立、私学に進学する児童も数名はいますが、ほとんどが黄檗中学校に進学するということは、一貫校への信頼を置いていただいている結果かなと思っております。これは本校の校訓でございます。学園歌にも出てくる言葉、「高く、すずしく、たくましく」です。次は、本校の基本コンセプトです。絆で育む9年間の学びということで、絆は3つありまして、児童と生徒、児童生徒と教職員、そして学校と家庭地域です。これらの3つの絆で育むことを、新しい学校のコンセプトにさせていただいたということです。次が、3つ目の特色です。本校が教育活動を進める上で最も大きな特色としていることです。小学校と中学校が同じ敷地内で生活するわけですが、小学校と中学校がそのままいるだけでは施設一体型の意味がありません。そのために、本来の6・3制だけではなくて、9年間を4・3・2という3つのステージに分けて教育活動を進めているということです。前期と呼んでいます小学校の1年生から4年生は、今まで通りの小学校の学級担任の良さを活かす丁寧な指導をします。次の中期、5~7年生は、ここが本校のまさに一貫教育の根幹になる部分なんですけれども、小学校から中学校へなだらかなスロープを作るということで、5・6年ではもちろん学級担任制ですが、この中で一部教科担当制ということで教科によって先生が変わるというカリキュラムを組んで、中学校に行ったときの教科担当制に慣らしておくということをしております。また、5~7年生が交流するような活動も取り入れております。8・9年生は希望進路をしっかり実現することをねらいにしています。2階のフロアーに行きますと、やはり中学校やなあという落ち着いた雰囲気がいたします。今までの6・3制と、この3つのステージをマッチングさせながら教育活動を進めているというわけです。その教育活動を支える4つの柱が、1つは小中学校が一体化した学校運営です。せっかく小学校と中学校の教職員が一緒にいるわけですから、できる限り一緒に会議をします。なので職員会議は80数名でします。小学校の行事提案も中学校の先生が聞いていますし、中学校の提案も小学校の先生が聞いています。お互いどういうことをしているかということを、きちっとそこで情報共有するということです。小学校は小学校だけでやった方が、中学校は中学校だけで小回りの利くように運営や会議をした方が効率的です。しかし、必ず一緒にやっている。これが小中学校が一体化した運営をしていく、大切な校是でもあります。これが4つ目の大きな特色になるのではないかと思います。2つ目が9年間の系統的な学習指導です。小学校でどんな勉強をした子どもが中学校に上がってくるのか、中学校ではどんな勉強をするから小学校でどんなことを気をつけないといけないのかということを常に小中の教員が交流し合い、学び合う。普通、小学校の教員が中学校の授業を見に行くなんて、日程調整だけで大変なことなんですけれども、本校では普通に空き時間さえあったら、いつでも互いの授業を見に行ったり、聞き合ったりすることができます。中学校は教科担当なので、その教科の専門家です。小学校の教員はオールラウンドなので、より深い専門のお話をいつも職員室で聞くことができるわけです。理科の苦手な小学校教員は、中学校の理科の先生にいつでも簡単にノウハウを聞くことができ、このような系統的な学習指導が進めやすいという利点があるということです。3つ目が継続性のある生徒指導。この生徒指導の中での児童生徒の情報交流がすごく大事で、異学年交流については後ほどお話をしたいと思います。4つ目が家庭地域社会と進める学校づくりです。本校は伝統校だけに、地域が学校をしっかり支え盛り上げて行こうというふうにしていただいています。地域や保護者としっかり関係を作って学校を作っていくということです。これらが本校の小中一貫教育を支える大きな4つの柱となっています。 児童生徒数です。平成29年度は小学生745名、これは市内の小学校では4番目ぐらいですが、立派な大規模校です。中学生は380名在籍しております。本市には中学校が10校ありますが、後から数えた方が早いかなと言う数です。だいたい3~4クラスです。合わせまして、現在1125名が在籍し、教員数は85名。校長は私が小中ともに兼務しておりますので、副校長が本校には1人、小学校の教頭、中学校の教頭という管理職の配置になっています。2校分の校長を兼務していますけれど給料は1校分です。これはよく聞かれる質問です。ぜひ2校分にしていただきたいと思っています。(冗談ですが。)先ほど申し上げた9年間の継続的な、連続性のある生徒指導を進めるということで異学年の交流をする機会を意図的に作っております。一貫校と言えども準備に時間を要します。          まずは、中期5・6・7年生の「絆科」という合同学習です。総合的な学習の時間を使って、このような学習をしております。開校当時は3学年を10人ぐらいの小グループに分けて、テーマを決めて、7年生がリードして調べ学習をして、まとめて発表するという形をとりながら2~3年続けましたが、残念ながら教員免許の関係で難しくなりました。やはり小中両方の免許を持っていないと、小中学生混合グループは指導できないということです。現在は、それぞれの学年で調べたものを発表し合うという形に変えました。7年生がリーダーシップをとって、5・6年生は自分もあんなふうになるんだと中学生の姿を自分に重ねて見る。7年生は小学生の憧れの存在でなくてはならない。普通は中学校に進学したら、上級生の8・9年生しかいなくて一番下の下級生ですが、本校では、リーダーシップをとって頑張れる学習があるということで、自尊感情を醸成することにも役立っています。 次は6・7年生交流です。これは黄檗ミーティングという名前で呼んでいます。6年生が中学校の入学を目前にする3学期に、7年生が6年生に中学校の生活について全体でオリエンテーションします。その後、小グループを作って、6年生の不安や心配ごと、例えば定期テストの勉強とか、部活動のことについて、質問して答えてもらうという取組です。同じような不安をもっていた7年生が、やがて後輩になる6年生に対して、中学の先輩怖ないしな、部活も大変やけど心配ないぞ、勉強は難しくなるけどれども英語も面白いぞとか、そういうことを答えて安心させ、中学校進学への不安を無くすための交流になっています。1、9年の交流です。黄檗Walkerと呼んでいきます。9年生が1年生と手を繋いで、校内を案内します。普通なら、6年生がするんですが、さすがに8歳違いというのはすごいですね。お姉ちゃん、お兄ちゃんを超えているような感じがします。1年生にとったら、ものすごく大きくて怖いかもと思っていたお兄ちゃん、お姉ちゃんがすごく優しいし、9年生にとったら1年生がかわいくて仕方ないのです。手を握った時に感じる1年生の手のぬくもりや小ささから、自然と優しさや守ってやらねばという感情を醸成することができます。開校準備の頃に、中学校3年生と小学校1年生が一緒に居て、ぶつかったら大怪我をしませんか?という心配をされる保護者が大勢いらっしゃいました。安全面の心配は一番多く、もっともなことですが、こういう取組によって、小さな小学生には気をつけてあげなアカンという気持ち、譲り合うという気持ちが育ち、お陰様で開校以来、小中学生が衝突して大怪我をするような事案は発生していません。それから赤ちゃんと9年生の交流。これは、市内の他の中学校でも実施しています。小さな命を抱いたり、あやしたりすることで命の大切さを学ぶことにも役立っているというところでございます。           お礼に学級毎に文化祭で発表した歌をプレゼントし、赤ちゃんの保護者から、好評をいただいています。開校して6年目がそろそろ終わるわけですが、この間の成果としましては、1つは中学生が小学生にとって身近な憧れの存在になっているということであります。普通なら、小学生が道で見る中学生というのは、ちょっとだらしなかったり、怖くて避けたいなというようなことがあると思うのですが、一緒に生活していますと一生懸命頑張っている中学生の姿を日常的に目にすることができます。例えば、朝練習をしている野球部のそばを小学生が登校してきます。ネット越しに見える中学生は、礼儀正しく一生懸命頑張っている、あー格好いいなぁ、僕も中学校へ行ったらあんなふうになるんやな、部活したいなあと、そういう憧れになっているのです。逆に中学生はいつも小学生の視線を浴びますので、目標にならなあかんなという気持ちが育ちます。この相乗効果によって本校の子ども達は大変落ち着いて、前向きに学校生活が送れているということが、一貫校になって一番よかったなと思っているところです。2つ目は、9年間の仲間意識です。幼稚園や保育園から一緒の子は10何年間も、ずっと一緒に育ちますので、9年生になっても、○○ちゃんとニックネームで呼び合って仲がいいです。それだけではなく、伝統を受け継ぐ校風ということでは挨拶もきちっとしますし、全校が集まるような集会においても、無言できちんと運営ができます。よく褒めていただくのは制服のスカートの丈です。本校の女子は誰も短くしません。制服をきちっと着こなす、それが校風というか、伝統になっております。仲間意識によって、良き校風が受け継がれていると思っております。3つ目は文武両道ということで、部活もすごく頑張ることです。400名を切るような規模の学校ですが、府下大会、近畿大会、陸上競技個人や卓球団体では全国大会にも出場していますし、吹奏楽部の関西大会で金賞を受賞するというレベルであることも、大きな成果の1つでございます。(中略・今時の子ども「テレビよりインターネット」「隠語」「コミュニケーション能力の欠如」について)本校は小中で文科省指定の英語の先行研究を3年間取り組み、昨年12月に研究報告会を開催しました。平成32年度から小学校で、翌年から中学校で実施される新学習指導要領が目指す英語授業とはどういうものか、授業のビデオを観ていただきたいと思います。(ビデオ視聴)いかがでしたでしょうか?このように、小学生でも英語を使って恥ずかしいがらずにコミュニケーションします。時には手振り身振りで。私達が子どもの頃には考えられなかったのですが、今はネーティブの先生にも普通に積極的に話しかけます。本校で大切にしてきたことは子ども同士の英語でのやりとりをする場面を増やすことでした。その活動を通して、聞き手や周りがしっかり聞いてくれないと、また聞き取ろうとする努力をしないと、恥ずかしがらずに安心してコミュニケーションができないということを学びました。 英語はツールですから相手に聞こうとする姿勢がなかったら、コミュニケーションは成り立ちません。これこそが、コミュニケーション能力向上の基礎になるのではないかと思っています。中学校では先生がずっと原則英語で授業を進めています。3年後にはどこの中学校でもこのような授業が普通になっていくのではないかと思っています。東宇治高校との協働研究でしたので、報告会の当日に高校の授業も本校で公開してもらいました。ALT と高校生が英語で会話しながら時々笑いが起こります。何で笑っているのか、私にはさっぱりわからない状態でした。小中一貫校の成果と利点を生かし、これからも小中学校の先進的な研究が進められるよう精進して参りたいと存じます。今後も、宇治黄檗園をよろしくお願いいたします。ご清聴ありがとうございました。

職業奉仕はロータリーの根幹か?

2018.1.25 地区職業奉仕委員長中島健皆さんこんにちは、1月は職業奉仕月間ということで吉田委員長の方から職業奉仕について話をせよということで卓話をお引き受けすることになりました。今日お話する内容というのはいわゆる職業奉仕として皆さんが期待されるような、多分内容ではありません。まずタイトルが職業奉仕はロータリーの根幹か?というこれは職業奉仕を馬鹿にしたようなタイトルで、自分としても非常にこれは自虐的なタイトルだと考えています。1年前、ロータリーの友1月号に関東のほうのパストガバナー、本田博己さんという方がこのタイトルで投稿されています。最初、それを見たとき、私はこれ何ということを言うんやろ、この人はと思ったんです。最近のRI のあり方とかを見ていますとどうもちょっと職業奉仕という言葉の意味をきちんと整理しないと非常に混乱するというふうに思い始めまして、そういうふうに考えていきますとこの本田さんの考え方というのが非常にすっきり来る。地区の職業奉仕委員長としまして昨年7月にクラブの職業奉仕委員長さんを集めまして研修会をやったり、或いは8月9月10月、京都福井奈良滋賀で新会員さんを対象に職業奉仕の話をさせてもらったんです。その時に私が申し上げていたことと今日の内容は若干ずれます。これはどういうことが転向なのか、じゃなくて、これは所謂変節ですね、そういうふうに整理できるかと思います。まず最近ロータリーのベテランの会員、日本のロータリーですね、シニアーリーダーがつぶやかれていることですね、RI と日本のロータリーとの意識のギャップを示す例として、 RI は人道的奉仕に傾く傾きすぎている。それから会員増強は人頭分担金を取るためだ。或いは2016年4月の規定審議会の決定による柔軟性の導入はロータリーの原則を崩すのではないか。そしてまた、RI は職業奉仕を忘れている。こういうつぶやきの声が聞こえてくるんですね。これに関する答えはちょっと私の方から申し上げられない。今日は職業奉仕の話なので職業奉仕に限定して話をします。今から五つほど質問を挙げています。このいい分にイエスだという方は挙手をお願いします。1・職業奉仕はむつかしい2・職業奉仕がロータリーの根幹だ。3・ロータリーはアイサーブである。4・シェルドンの「最もよく奉仕する者、最も多く報われる」は職業奉仕を表す言葉である。5・ロータリはボランティア団体ではない。ありがとうございます。実はこの答えは、答えというのか、最近の RI といういうのを考えますとこれはみんなNOになるんですね。私もこれは多分 NOだろうと、いろいろ勉強するとそういうふうに傾いていきました。ロータリーはボランティア団体かということで、ちょっと最近のロータリーのテーマをみますとまず2017-2018年度、今年です。ロータリーに変化をもたらす。昨年、人類に奉仕するロータリー。それからその前、世界へのプレゼントになろう。それから2年ほど飛びますとロータリーを実践し、みんなに豊かな人生を。もうまるでロータリーが世界を変える人道的奉仕を行う慈善団体だと言っているのと同じなんです。地区のほうは2018-2019年度が間もなく動き始めようとしています。ちょっと1月の中旬に国際協議会がありましてガバナーエレクトがみんなサンディエゴーに集まりましてRI 会長から今年度はこういう形で行くよと言う話、いろんなセミナーを受けてガバナーになる勉強をして帰ってこられます。そこで新しい2018~19年度の RI 会長のテーマというのが出ました。ご存知ですか。Be Inspiration.インスピレーションになろうという、ちょっとわからん日本語訳がインスピレーションになろうと言ってますので、そういうテーマだそうです、来年。大川さん頑張ってください。それを受けて今週末、1月27日に第1回の地区研修セミナーがあります。ガバナー補佐とか、地区委員長とかが集められてガバナーの来年度の方針を聞きます。そして、そこから1ヶ月後、2月の終わりに今度は第1回の地区合同委員会がありまして全地区の委員会が一堂に会議をやって、その後、各地区の委員長が今年度の方針を発表します。その後、大川さんが3月中旬にペッツ、会長エレクト研修セミナーに行かれます。それから、クラブの理事さんとかは4月中旬、来季の地区研修セミナー地区協議会が国際会議場で行われます。そこで地区の方針がすべて徹底される、そういう流れになります。Be Inspirationというテーマを受けて中川ガバナーエレクトが今度どのように話しされるか、楽しみなんです。ロータリーはボランティア団体かと言うお話で、これはビチャイラタクル元 RI 会長、この方はわりと心情的に日本のロータリーであったり、或いは日本の思想、奉仕を大事にするとか、そういうところに心情的に非常に近いのですが日本のシニアのリーダーを中心にラタクルさんを尊敬されている方が沢山おられます。そのラタクルさんが言っています。ロータリーは全員が報酬なしによりよい人間社会の実現のために働く奉仕団体のボランティアであるということなんです。そういうことでロータリーがボランティアになっているということです。ここからが本題に入ります。ロータリーのモットーと言いまして、第2モットーが「最もよく奉仕する者、最も広く報いられる」第1モットーが「超我の奉仕」Service Above Selfですね。第2モットーは職業奉仕、Vocational Serviceを表している。第1モットーと奉仕の理念The Ideal of service というのが人道的奉仕であったり社会奉仕を表す。知っているという方が圧倒的に多いんです。果たしてそうなのかということです。初期のロータリアンは二つのモットーを奉仕の理念の意味を示す同義の言葉として理解し、二つのモットーを一体のものとして見ていた。シェルドンが1921年、エジンバラ大会で発表したスピーチの原稿、ロータリーの哲学ではモットーを一つのモットーとしてService Above Self  He Profits Most Who Sevice Bestと一体化した形で示していまして、ロータリーのサービス哲学の真髄をこの一つのモットーの中のService Self profit という三つの概念の本質とそれらの関係を説明することによって浮き彫りにしようとしたというのがあります。それから、その2年後、決議23―34、奉仕理念の定義です。このロータリーのいろんな文章がある中で唯一公式に奉仕理念、奉仕の理想ですね、これを定義しているのが23―34なんですね。ロータリーは基本的には一つの人生哲学であり、それは利己的な欲求と義務及びこれに伴う他人のために奉仕したいという感情との間に常に存在する矛盾を和らげようとするものである。この哲学は超我の奉仕の哲学であり、これは最もよく奉仕そのもの、最も多く報いられるという実践的な倫理原則に基づくものである。で、結局、そのロータリーの奉仕理念というのは利己と利他の調和の哲学であるということになるわけです。もうちょっとわかりやすく言うと2つのモットーを1つの主張として捉えるとその真意というのはサービスを自己の利益や都合を優先させよう。それから利益はサービスの結果である。相手の為に最善のサービスをすれば結果として最大の金銭的な利益と大きな精神的な満足が得られる。功利主義的な思想じゃなくて他者のために尽くすことが自らの幸せである。奉仕の理念の究極というのは利己と利他の矛盾なんかではない。利己と利他が完全に一致する。他人のために一生懸命やればそれは回りまわって自分の幸せにつながりますよというのがロータリーの奉仕の理念なんですね。だからこの奉仕の理念、“The Aideal of Service”というのは超我の奉仕と最も最もよく奉仕する者、最も多く報いられる。この両方が一つになってロータリーの奉仕の理念、奉仕の理想ですね、これを示しているという、そういうお話なんですね。だから、その第2モットーは職業奉仕をあらわす、そういうモットーではないということなんです.サービスとプロフィットの関係これはシェルドンの1921年のスピーチで出てきたことなんですがサービスが原因で結果が profit 、利益だ。で、そのサービスは正しい質、これは商品の品質であったり、値段であったりとかいうことですね。正しい量というのは豊富な品揃えであったり、豊富な商品量。それから行動様式というのは従業員の接客態度であったり、そういうのがサービスだということです。それが結果として利益、物質的な富というのはお金とか、或いはもの。それから仲間からの尊敬。そういうのを受けて自尊心。この辺が原因と結果の関係でシェルドンがいう“He Profits Most Who Serves Best”の意味なんですね。で、この時ですね、サービスをどういうふうに使っているかというとシェルドンは”Business Method” 正しい事業の方法としてこのサービスの意味を使っているんですね。それがシェルドンのお話なんですが1910年に全米ロータリークラブ連合会で初代ビジネスメソッド委員会の委員長に就任します。で、この時に初めてシェルドンはロータリーのところで“He Profits Most Who Serves Best”というこのフレーズを発表したんですね。このビジネスメソッド委員会というのが職業奉仕委員会1927年にできるんですがその前身であるというふうに言われています。今、そのサービスという意味、最初、シェルドンが使った時は正しい事業方法というそのぐらいの意味だったんですが今のロータリーにおいてはロータリーのすべての奉仕部門を通じてそのサービスをその最も広い意味でとらえ、使うようになっています。どういうことかというと人々の助けとなる社会に役立つ価値を提供すること。世の為、人のために尽くすことというのが現代におけるロータリーがいうサービスの意味なんですね。ということになります。で、じゃ、その職業奉仕、今、ここまで話をするのにシェルドンの紹介をした時もすべてその職業奉仕という言葉は使いませんでした。職業奉仕という言葉はいったい何時できたのかということです。それはベルギーオステント国際大会の目標設定計画というのが1927年に作られます。その時に初めて奉仕部門、Avenues of Serviceができるんですね。だからそれまでのロータリーというのはですね、もちろん社会奉仕とか、いろいろやっていたんですけども、初期のロータリーでは活動は例会に集まって、例会で皆さんと食事をして、いろいろ話をすること。それから例会の外で何かすること。その二つ分類で済んでいたんです。ところがだんだんとその活動が多岐にわたって複雑化するにつれて各々の活動の調和を図る必要性が高くなった。ということで奉仕部門というのができた。それはどういうことかというとクラブの管理運営を奉仕活動の実践に対応させ分類整理するというのが目標設定計画の目的なんですがこのとき初めて四大奉仕「クラブ奉仕、職業奉仕、社会奉仕、国際奉仕」というのができるんですね。だから職業奉仕という言葉が生まれたのが1927年のオステンド国際大会なんです。で、それはどういうことかというとクラブ活動の枠組みのために職業奉仕という言葉ができたんですね。だからシェルドンが言っていた“He Profits Most Who Serves Best”というのは職業奉仕じゃやなくて”Business Method”なんですね。クラブの活動を四つの奉仕部門に分けてこれに沿ってそれぞれ委員会を構成する。これによってクラブの組織と奉仕活動に整合性を持たせることができ、運営が円滑になった。以降、奉仕活動の実践に対応したクラブ運営の枠組みとして定着したということです。だから、もともとクラブ管理運営のための枠組みが4大奉仕部門。その後、ロータリーの発展や活動の変化に伴って枠組み自体が変わっても何の不思議もない。実際2010年の規定審議会で青少年奉仕が加わり、現在では5大奉仕となっています。2004年10月 RI 理事会で CLP が決定された。私が入会する前の年なんです。そのCLP に基づく部門別委員会構成が推奨され始めた頃、4大奉仕があるのだからCLP は不要であるという声が日本では非常に多かったんです。が、考えてみるとこの4大奉仕というのは90年前の CLP なんですね。だから現在のロータリーの奉仕活動の多様性とか、そのようなものに応じて5大奉仕にした。だからそれが今の CLP だということですね。それで今、現在そのロータリーの5大奉仕部門の一つとして職業奉仕というのがあります。標準ロータリークラブ定款第5条ですね、ここに奉仕の第一部門であるクラブ奉仕は何々しなさい、行動しなさい。アクションということを行っています。それから第3部門である社会奉仕は取り組み“efforts”という言葉を使っています。それから4番目、国際奉仕はクラブの活動であったり、プロジェクトであったり、プログラムであったり。そういう言葉を使っています。5番目、青少年は活動、プロジェクト、プログラム。そういう言葉を使っていますがずっとですね、職業奉仕のところだけクラブで何かやれとか言うことはなかったんですね。それが2016年4月の規定審議会立法案16の10で奉仕の第2部門を改正する件というのが採択されまして、今、当クラブも採用している5大奉仕部門のところにこのマーカーで示している、そして自己の職業上の手腕を社会の問題やニーズに役立てるためにクラブが開発したプロジェクトに応えることが含まれる。要は自分の職業上の技能とか、そういうのを使って奉仕活動をやりなさいと言うことを職業奉仕のところで定義したわけですね。この改定によって5の部門すべてがクラブの活動の枠組みである。 RI が言う職業奉仕というのは所謂その活動のための理念とか、倫理とかじゃなくて活動のためクラブが何かするための枠組みなんですね。では世界のロータリーが考える職業奉仕というのはどんなのかというと奉仕プロジェクトの1小委員会としての職業奉仕ですね。職業奉仕入門という RI のテキストがあります。そこに書いてあること。行動しようとして職業に関連する親睦活動グループに参加したり、新たにグループを設立する。奉仕プロジェクトで職業スキルを生かす。地域社会でロータリアン以外の職業人とのネットワークを広げる。求職者を対象としたキャリア相談を行う。若者を対象とした進路指導を行う。これが、だからRIが言っている職業奉仕、クラブがやらないといけない職業奉仕の活動であるとこういうことを言っているんですね。あと、2013年版の手続き要覧の89ページに職業奉仕月間の定義が載っています。地区行事でのボランティアの表彰。ロータリー親睦活動への参加の推進。職業奉仕活動、またはプロジェクトの実施。未充填の職業分類に焦点を当てた会員増強の推進。ということで全然この皆さん、そして私も考えていた職業奉仕とはかなりかけ離れているんです。ですから世界のロータリーは自分の職業上のスキルを生かした奉仕活動は個人が行うものであれ、クラブが行うものであれ、すべて立派な職業奉仕だといってそれを活発に実践しているんですね。だから今年度の RI会長賞もこういうことに関して表彰するよと久しぶりにそのRI会長の言葉から職業奉仕というのが出てきたんですが内容はこういうことだったということなんですね。で、日本の職業奉仕論というのは職業倫理論、ただそれを軽視しているかというと決してそんなことはなくロータリーは今も昔も職業倫理を大事にして登場する集団である。1915年全職業人のためのロータリー倫理訓、道徳律です。それからロータリーの目的、職業上の高い倫理基準を保ち……というのがあります。それからロータリーの行動規範。個人として、または事業において高潔さと高い倫理基準を持って行動するというのが謳われております。次のことが今日一番言いたかったことです。職業奉仕ではなく奉仕の理念を語ろう、奉仕の理想を語ろう。職業奉仕という言葉で奉仕の理念の職業への適用や自身の職業観について語ることを一旦止めてみる。それからクラブ活動の枠組みである5大奉仕部門の第2部門である職業奉仕の活動に対してのみ職業奉仕という言葉を使う。そうすると割とRI が言っていることがすっきりとなじむんですね。何でそうなのかというと奉仕の理念が、これがロータリーの根幹だ。奉仕の理念“The Ideal of Service”という言葉でロータリーの理念について議論を深めていきましょう。なぜなら奉仕の理念の奨励、育成がロータリーの目的だからということになります。2017年6月のRI の理事会で衝撃的なことが決まっています。要は地区の委員会構成で職業奉仕委員会と青少年委員会を廃止する。廃止して、そして社会奉仕委員会にその機能を任せるという、そういう理事会決定があります。これが行われるのが2019年の7月。ですから佐竹さんがガバナーになられる年度になるんですがそういうことを推奨している訳であって、必ずしもそうしなければならないということはないんですがとにかく世界のロータリーというのはそのように今動こうとしている。2019年4月の規定審議会でいろんなことが決まります。その中にはひょっとしてあっと驚くようなことがいくつか出てくるんじゃないかと思われます。ただ大事なのはRI はどんどんそういう方向に行ってしまう。もうロータリは見捨てなあかんというような話ではなくて世界で第3番目のロータリーの人口が多い、ロータリアンの多い国ですので、要は自分らが発信して日本人が大事にしてきた職業倫理とか、そういったことを規定審議会に挙げて、それをもっと大事にせよ。もっとそういう方向に行こうよというふうなことを言わないといけない、そういう段階に来ているのかな。この1年感じました。以上です。どうもお粗末でした。

ランドスケープから庭園まで

2017.12.14 宇治市植物公園園長・造園家・農学博士曽和 治好どうも皆さん初めまして、宇治市植物公園の園長の曽和と申します。よろしくお願いいたします。今日は大分寒い中で、雨まじりの中で、寒いなと思って来させていただいたんですがこちらの会場に来させていただいたら、すごい暖かい雰囲気で、すごくお誕生日のお祝いであるとか、奥様の誕生日までお祝いされているということで非常にあったかい雰囲気の中でお話させていただくこと、大変光栄に思います。よろしくお願いいたします。私の名前は曽和治好と申します。現在、宇治市植物公園の園長をさしていただいておりまして、いろいろな活動をさしていただいております。先程紹介いただいた通り積水ハウスで働いておりまして造園ランドスケープの仕事をさしていただいていました。スカイビルがかなり一番その当時では大きな仕事になりまして、私自身が設計をしたわけではありませんが吉村元男さんという造園家とそれから原広司先生、京都駅を設計した先生で、建築家でそのチームの中で造園の担当をさせていただいて街の中に緑の空間を作り出す。そういう仕事もさせていただきました。現在は植物公園というところで園長をさせていただいておりまして、皆さんよくご存知だと思います、温室があって、タペストリーがあって、秋のゾーン、春のゾーン、駐車場、レストラン、そのような植物園をいかに面白い場所にして行くのかということで活動しています。フラワーブリッジであるとか、うちの一番メインの樹はシダレザクラ、春咲いている様子です。このように春は本当には華やかな様子でありまして、それから温室ですね、温室の中には熱帯植物がありまして、今ちょうどあったかい時期になっております。それからフラワタペストリー、日本最大の花と水のタペストリー、それからこれは碧生と真ん中のカスケールの空間ですけども、こういうふうな成形式の、ヨーロッパ風の庭園の。こちらにハウチワカエデなんですけども、これは春に撮った写真です。ちょうど今、紅葉をいたしましてまあ、新たな宇治市の紅葉の名称を作れたらいいなと思って今は頑張っております。今日はそういう中でまず庭園についてのお話をさせていただきます。それから庭園からランドスケープへと繋がっていく話を少しします。まず、庭園と言いますと先程お茶をいただきながらお話させていただきましたが我が国は西暦600年頃、650年とか670年ぐらいの飛鳥時代に庭園ができておりまして、これは説明会の時に樫原考古学研究所が作った、その当時の飛鳥京跡苑池と言う庭なんです。飛鳥時代にもすでに池が合って、それから蓮の花を植えて中に島があったり、それから噴水まで作っていたという例があります。これは別の人が描いた絵なんですけども、ここに酒舟石という石がありまして、そこから水が飛び出していたという例があります。そこらへんが日本庭園のルーツになるだろうと言われています。遺跡なんですが外交舞台というか、やはり昔から政治的な部分にはこういう庭がありまして、庭というのは外交の場所になっていくというふうなことがいわれています。平安時代、この辺一帯、平等院なんかもこの時代になってきます。寝殿造り庭園という豪華な庭が平安時代の雅の庭が作られました。池の中に中島があって橋があって、それを渡っていく。前にせんだい(前栽)そういうものがありまして、そういう雅やかな庭というのが平安時代に発展していきます。これは福井県にある紫式部公園、平安時代を再現しようとしたものです。こういう絵巻物みたいなものを表現している庭と考えていいんじゃないかと思います。この時代にはすでにハウツーメイキングカーデン、作庭期ですね、庭のハウツーものがこの時すでにできているということで、世界でもかなり早い時期にこうやって庭を作るのだと出ているんです。この中で10種類の滝の落とし方が出ていまして、もう、平安時代にすでに10種類の滝の落とし方に名前をつけて出たという、そういう意味では世界の日本が先進国であるといえるのではないか。さらに自然式庭園が鎌倉時代になりますと皆さんご存知の、外国人が一番喜ぶ庭の一つがこの金閣寺の庭だと思います。こういう別荘庭園ができたり、もう一つが禅宗の庭ということで竜安寺の石庭ですね。これは何に見えるか、いろいろ議論がありますが海があって、島があるというふうなものなのか、ある一つのバランス、美しさを象徴的に表したものであるとか、いろんな考え方があります。ある意味、哲学的なというか、宗教的なこういう庭ができていく。水戸黄門が贈ったと言われるような手水鉢もあったりして、これはどうも枯山水というのは水墨画のような、こういう世界感を表している。抽象絵画に近づいてくる豪華絢爛な庭がどんどん日本では一般化していく中で.こういうどんどん局地に行くと、そうするとだんだん省略が始まって、より本質的なものを求めていく中国の山水画のような水墨画みたいなものが色彩をまずなくしていって、それから質感をなくしていくとこう言う一つの世界観ができてくる。そういうものが多分、枯山水と言うものを作り出す、まあ、一つのきっかけになっているんじゃないかと思います。で、次に江戸時代になりますと代表的なところで江戸城の庭園ですけども大名庭園というものができてきます。大規模でそれから堀があり、池があり、そこをめぐっていくというふうな庭の形式ですね。例えばこれは金沢の兼六園、今、雪つりがされていますけども巨大な池がある。これが実は面白いのは高台の一番高いところにこんな大きな池を作ってあるというのは金沢の街の中で一番高いところにこういった大きな池を作って、何Kmもの先の川から水を引いて来ているというところにまあ、当時の大名の権力の大きさというのがわかってもらえるんじゃないかと思います。もちろん京都と言いますとこの桂離宮ですね、世界的にも有名な公家の庭なんですけど、池を作ってその周りをまわってという庭園構成になっています。これは例えば、雪舟の天橋立図のような、不思議な絵と言われていますが空から飛んで見下ろしているような視点になっているというのがまあ、この当時、飛行機で空を飛べへんのに何で見下ろしたような絵が描けたんだろうと不思議さがあります。大名庭園にもこういう大きな池を見下ろして、海なんかを見下ろして、そこの名勝をめぐっていく。そういう空間構成になっている。これは近江八景の瀬田夕映、広重の絵なんですけれど、こういうふうなものに大名庭園は繋がっているのではないかといわれています。それが次に、これはだいぶん近くなって来まして、明治時代になりますと自然風景式庭園という、一つ有名なので行きますと山形有朋の無鄰菴というものがありまして、ちょうど紅葉の時、東山の中にこういう流れがありますが、これは田舎の村の、実際どこにでもあるような風景を作って行こうというふな、空から見下ろした広い海の風景ではなく、本当に身近な風景を作ろうとしたということで、例えばこの西洋の風景画の影響.こういう身近な村の中にきれいに流れている小川みたいなもの、実寸大であらわそうとしているのではないか、まあ、写実的な風景への回帰というのが言えると思います。さらに昭和になりますと先程の有隣の庭には、友禅会館にあったものを岡山へ動かしたものなんです。このような西洋の抽象絵画みたいなもの、こういう絵画を日本庭園に結びつけて、それから現代的な日本庭園を作ったという、その時代時代の技術、そういうものがまあ、自然の表現であると言われているような庭に非常に今、影響を受けているのではないか。こういう庭をヨーロッパとか、中国とか、いろんな所へ行きますとアメリカでもそうなんですけれど、日本の庭はすごいと言われます。それはなぜかなと言いますと例えばヨーロッパですとイタリアというのがやはりルーツの国になります。ギリシャとかローマとかがあった国、ああいう国でもせいぜい庭園形式はルネッサンスぐらいからなんです。ですから、飛鳥時代からずっと庭園の系図がこうやって繋がって発展して、その時代時代に合わせて新しい形式の庭を生み出してきたという日本の世界の歴史の冷蔵庫といいますか、正倉院からずっと引き継がれていますけれど、それに対して私は中国庭園の研究家といろいろ共同研究する機会があります。向こうはやはり支配民族が変わると全部破壊しちゃうので中国は確かに素晴らしい庭園形式を持っていましたがそれが全部破壊されてしまっているということで、今、その古い庭がどうあるかというのを発掘しようとすると大変らしいです。そういう意味で日本が庭園文化が世界一だと言われるのはそういう継続性という1000年を超える継続できる民族である、その凄さが多分、今、アメリカやヨーロッパに世界全国の中で評価されているというのはそういう部分があるのではないかと思っています。こういう庭もですね、今みたいに庭園式的な、歴史的な見方というのが一つあります。私が今、着目していますのはそういう庭が何であんな綺麗なのかな、京都の庭は世界一きれいと言います。平等院の庭も今、本当に綺麗に手入れされています。フランスのベルサイユ宮殿に行ってもあんな綺麗じゃないんです、実際回ってみると。その綺麗な原因は何なんだろうと考えるときにやはり管理をしていく技術というか、庭というのは何百年も引き継がれていきます。その間に毎日掃除をしている人、剪定している人がいます。それはビジネス用語ではランニングとか、ランニングコストとか言われますけども、そういう意味で言うと庭園というのはランニングコストの集積代というふうに言える。そのランニングコストに今までどれだけエネルギーを積み重ねてきたのか、その庭の美しさになって表現されている。その表現するものの一つとしてこういう掃除の道具というのがあります。これは手ぼうきという道具なんです。私は大学時代にですね.この京都の庭を勉強して一番びっくりしたのはこの手ぼうきという道具だったんです。日本全国で普通の庭ぼうきはあるんですけども、こんな小さなほうきなんて見たことがなかったんです。長野の植木屋で私ずっと5歳ぐらいから造園に関わってきました。その辺のことは京都新聞、随想 「山城に植木屋の息子に生まれて」という記事があります。それ庭掃除は芸術」もありますので見てください。掃除が芸術的レベルまで高まっているというのが京都のこの地域の特徴ではないかと思っています。手ぼうきは京都の庭師の掃除道具で一番仕上げに使うほうきなんです。竹でできた小さなほうきで、これを最近使う人がだんだん若い人なんか減ってきました。皆さんご存知かと思いますが最近落ち葉を掃除するときにブーと言わせて掃除機の逆の、リーフブロワーと言いますがそれでばーっとお掃除している風景をよく見ると思います。あれが京都の庭でやると観光客が何が起こっているんだと驚かれます。わざわざ飛行機で飛んできて京都の綺麗な庭を見に来たのに何でこんな騒がしい音がするのかといいます。やはり、こういう道具は大切な道具だなと私思いまして、自分でこの竹箒の作り方を再現してみようということで竹の穂づくりからこのような一つ一つ竹の穂を束ねてほうきをつくるという活動を始めました。ちょうど久世橋の南側のところにそういうほうきを作る業者さんがいたはりまして、昔は14件ぐらい竹箒業者さんがいらっしゃったらしいです。もしかしたら、今日、ここにいらっしゃる方の中でそういう竹ぼうき屋さんをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。今はもう2件ぐらいに減ってしまってもう80何歳になって、もう、あと何年京都産のものがつくれるかという状況らしいです。そういうものがある意味、絶滅器具種になりつつあるんです。ですからこういうものを我々の世代の人間が引き継いで行くことを考えないといけないだろうということで、My手ぼうきを作ろうということで、自分らでつくれるんじゃないかというふうな活動を始めまして、手ぼうきの作り方、教材を作っていろんな人に訴えかける活動をしています。このように若い人に手ぼうきを作って掃除をして、体験してもらうということもやっています。手ぼうきの音とか、ハサミの音なんですけれど、先程のブーという音が本当に京都の音に似合うか、それとも、竹でシャシャシャと掃いている音が似合うかというとやはり竹の音が似合う。庭というのは実は見る目だけじゃなくて、そういうこと、そこに聞こえてくる風の音であるとか、庭師が掃除していることとか、ハサミでカチンカチンとやっている事とか、そういうところまで楽しむような感性に、日本人の感性というのは高いところまで行ってたんじゃないかなと私は考えております。こういうことを無鄰菴の庭園で手ぼうきづくりのワークショップを展開したり、いろんな、まあ、日本全国を飛び回り、若い人、小学生からいろんな人に「手ぼうきって面白いよ」という作る活動をずっと展開しております。あと、造形大学の授業でも造園の仕事に就く人は多いので手ぼうきを必ず全員作るようになりましょうということで竹を使ってみんなで手ぼうきを作るという授業を展開しています。で、先程の新聞で庭掃除は芸術というのを書いておりますのでこれでまた私の意見を読んでいただいたらと思います。京都の庭師は掃除ができてこそと言います。川崎幸次郎さんという松下真々庵の手いれをずっとやっておられる造園会社の宣託されるものは、庭師は掃除ができてこそ京都の庭師になれるんやとおっしゃってまして、そういう掃除は技術かというのを和というふうに考えるんですけども、やはりこれは技術レベルまで行っているのと違うかというのが私の持論であります。そのような掃除まで素晴らしいレベルにある庭園というものがヨーロッパではそういう日本の庭園文化ってすごいなというところに今評価が高まっています。なんでこんな掃除が芸術やてことを、今までの造園学会というのがありまして、大正時代からずっと続いていますが、誰もそういうことを今まで指摘がないのです。長い学会の歴史の中でも。なぜかというと多分私が思いますには学者の先生方が実は実際掃除したことないんちゃうんかなと、みなさんホワイトカラーの方が多くて、だから掃除を研究しようという人が出なかったんじゃないかなということがありまして、そういう意味で私は植木屋の息子として造園に関わっておりますのでやはり植木屋の視点で見ると、現場の視点で見ていくと、その素晴らしさというのが見えてくる側面もあるんじゃないかと思っています。こういう活動度を京都で財務省というところから京都新聞社賞というのをいただいたり、まあ、数々の7年間の連続受賞というのをさしていただいて、そういう活動で庭をテーマにしたもので受賞というのも沢山さしていただきました。こういうものをベースに竹のほうきを作っているだけではだめだろうということで実は、なぜ竹というのは大事な素材だと言いますと山であるとか、環境であるとかというところに実は繋がっているんです。現在のプラスチック製品などどんどん使われるようになって竹製品、例えば竹ぼうきとか、竹のザルであるとか、竹のいろんな生活の用具があったと思います。それがどんどん使われなくなって来ている。それで竹林が荒れて山が荒れる。山が荒れると鹿が出てきて、イノシシが出てきてえらいことなってますというのが日本の今の山の自然環境の問題点であると思うんですけども、まあそういうところにちょっと竹を使ってですね、竹林も綺麗にしていくという、まあ、要するに植木屋が自然素材を使って掃除して綺麗にしていくと山も綺麗になっていく。そういう自分たちの仕事の仕方をちょっと変えるだけで実は自然というものに繋がっているということで天橋立で有名な宮津市と一緒に協力しまして竹の学校というのをやったんですね。これは外国人の方も来ていただいてワークショップをやりまして、これが放置竹林と言われているものなんですけども、竹林が荒れまくっているわけです。宇治市の中にもたぶん竹林をみんなきら切らなくなって倒れて荒れてる竹林があると思います。これを見て、これは何とかしなくてはいけないねというようなことで、研究者とアーチストとデザイナーとかが集まってその竹を考えようという国際ワークショップを造園的な視点からやって行こうということでインターナショナルワークショップバンブーアートというアイバード(IBART)と名付けた活動なんかをやっております。イタリア人に来てもらって、西京区の洛西にある竹の料理店で、竹を割ったところに豆腐を入れて、食べれるという料理屋さんなんですけども、そういうところの味覚とか、そういうものを体験しながら竹の現状を見て、それからみんなでいろいろ現状をどう考えるのか、ディスカッションしながら竹をテーマにこういう作品を作っていく。アフリカ人も来ていたんですけども、アフリカにはアフリカの丈があるんですけども、まあ、そういうようなことで日本の庭師さんとアフリカ人イタリア人が一緒になって作品を作るというような事をやっております。竹で椅子を作って日本の現在を竹の椅子に座って見つめてみよと言う作品ができたり、もちろん、これは若い庭師なんですけども、竹を使って手ぼうきを秘一緒に作ろうというような活動をやったり、で、そういう成果を地元の宮津の方たちに来ていただいて、研究発表として京大の学生さんなんかが来てもらって発表したり、地元に行ってデモンストレーションしたり、それから地元の小学生に竹でほうきを作ってみようという活動をしたり、さらに天橋立を自分らで作った手ぼうきで掃除してみようというような活動に繋げていって、天橋立は日本三景と言われてまして、日本の三つの一番きれいな景色の一つやと言われてます。そういうところを我々が掃除をするということで綺麗にできないかということで小学生と一緒に集まって掃除大会をやって、みんなで天橋立を綺麗にしていく。しかも宮津で採れた竹を使って掃除して行こうというような、そんな活動をさしていただいております。竹の国際化とワークショップの活動をずっとこの植物園園長になる前の活動として造形大学の教員としてやってきた活動なんです。このときに集まってくれたいろんなアーティストであるとか、研究者であるとか、そういうメンバーが集まってくれたり、京都市内でやったワークショップでみんなで一緒に竹箒を作ってその時の記念写真なんですけども面白いのが竹ぼうきを作ると出来上がったらみんな試しに使いたくなるんです。お掃除をしたくなるんですね。小学生も作ったらこれで掃除してみようと掃除してくれるんですね。家に帰って玄関を掃いたり、ベランダを掃いてお母さんの掃除を手伝ってみてはと話したり、小さい竹の枝が余ってしまってその小さな竹で作って.それで何をするのと聞いたら消しゴムの掃除に使うねんと言ってミニ竹箒を作ってくれたり、そういうことでこういう竹を使って掃除をするというのは単純な肉体労働的なことで考えるのではなくて実は技術的なものであったり、遊びであったり、生活のシーンの一つを一つ変えたり、環境を解決する一つのものとして植木屋の技という道具が実は環境づくりに繋がっているのではないかというような活動をやっています。こういう活動をしている中で、私は植物園の園長としてさせていただいておりまして、今一番考えないといけないキーワードは一つは新しい公共、公共というのは明治時代から始まってきまして、この公というのはもしかしたらお公家さんというのも公かなと言う研究者もいたんですけども、まあ、御かみが何かやってくれるのが公共というふうにずっと受けとめられていた側面があると思います。それが実は今の新しい公共というのは自治体だけが公共じゃなくて、例えば NPO であったり、市民であったり、企業の方であったり、いろんな人がいわゆるステークホルダーと言われているような方々が集まって一つの目標に向かって活動していくのが新しい公共であるというふない言い方がされています。そういうことでは例えば梅小路公園に水族館ができたり、鉄道博物館ができたりとかいうふうな、そういう新しい公共事業が京都だと、京都市の博物館がロームの美術館に変わったとか、企業と公共が協力し合いながら作っていく公共なんかもできています。で、もう一つ、これは企業活動をされている方なんかは CSR から CSV 言う話でいろんな議論を日常的にされていると思います。企業の側からの考えとしては CSV ということで、その企業の新しい商品とか、利益を追求していく活動が実はその地域の活動、一緒に地域の新しいまちづくりを一緒になって企業の活動を回転して行こう、地域と企業活動が実は一体化して、どちらも win-win の関係に育てて行こうというのが CSV という概念です。こういう全然別々の方向なんですけども、実はものすごく似た話じゃないかと私は感じております。要はその公共も企業も一緒になって地域と言うものと一緒になって何らかの目標を一つにしながら地域を活性化して行こうと考えるのはこの二つのキーワードじゃないかなと思っています。そしてそういう中に私がやってきました地域の、例えば竹林をどうしようという話であったり、この地域の美しさ、ランドスケープ、風景というものを美しくしていくことで観光地としての魅力を増して、それは竹ぼうきで掃除するということと多分その美しい風景を作るという所に繋がっていると思います。こういうものを共有しながら、例えば植物公園も地域の皆さんと一緒になって何とか一つの目標を公共の施設として持ちながら、未来に向かって進んでいく。そういうことを大きなキーワードとしてこれから活動させていただきたいと思っております。ぜひ今回ご参加いただいているみなさん方にもこういう地域づくりといいますか、ぜひ我々の植物公園の活動なんかにもご助言いただき、ぜひ様々な面で助けていただいたらと思います。これを機会にぜひ皆さんよろしくお願いいたします。今日はありがとうございました。

会員卓話 臼井龍介 石津祥治

2017、12.7「母の背中」臼井龍介皆さんこんにちは。今日は時間をいただきましてありがとうございます。まず始めに昨日、ええとこ連れてってもらいまして、どうしても今日のスピーチがあるので早く帰らせてくれとお願いしていましたが最後までかまっていました。で、考えることなく卓話に臨まないといけないのかということで、今日は大変不安です。2ヶ月ほど前に藤森プログラム委員長より12月の最初に話をしてくれと言われた時に予備で書いたものがあるのでそれを読ませていただきます。プログラム委員長はきっちり、かっちりした人でいろいろメンバースピーチの構成マニュアルというのがありまして、一応それに沿ってお話させていただきたいと思います。まず、私的な面ということでこの職に就いたきっかけはなんですか。私は小さい頃から親の職業は何をしていたかというのは実のところあまり知りませんでした。今考えると小中高校になっても多分知らなかったんじゃないかなと思います。そうですけども、何かおかしいんですけども、親の会社に行くのかなというのは何となくぼんやりですけれど、まあ考えていたように思います。それで、私、学校の方はよくさぼる方で、大学の就職ゼミで進路相談がありました。案内プリントが家に来てました。まん悪く、親に見つけられ「わし行く」と言われました。学校行事なんて一回も来た事がないと思います。小学校の運動会からずっと来たことがないのに何を思ったのか、これはわしが行かねばと言われ、やばいと思いました。大学はほとんど行ってませんでしたので絶対怒られるわ、それでも仕方がないから一緒に行きました。そしたらゼミの先生と親子が座って僕の成績収得単位を見て、こんな単位を取ってない人は初めて見ましたと言われてドキドキ。これ卒業できるかな、みたいな話をずっとしていたのを覚えています。それでその時にこの人はもうちょっと最後まで授業に出ないといけませんね。ちょっと就職活動はできませんね。その先生が私の助手をやれと言う話をされていました。うちのお父さんが「いや、先生に迷惑かけられない」とそんな話をしていたので、もしかして、僕、もてるのかなと思って、ちょっと勘違いしていたことがあります。まあ、そういういきさつはありましたけども、まあ、当然帰ったらお父さん激怒したはりました。お母さんはビビッて、ちゃんと卒業できるのやろうとか言って泣きそうでした。が、これはちゃんと継続的にされているものだからちゃんと卒業できますということで何とか無事に卒業させていただきました。 日常の業務、日々の仕事と生活ですが私の日常の業務というのは朝7時ぐらいには会社に行きます。また、誰も来ていないので、その時に自分のやらないといけない仕事(これは電話がかかってくるとちょっと仕事が進まないので)朝早いうちに片付けます。社員の人が来る頃は社員を捕まえて文句を言うてるだけなんで結構会社はでは嫌われています。わりと寄り合いとか、何とかの会に出ないといけないので週に2、3回あって、懇親会もあるのでだいたいそれに出て、帰宅するとうちの娘には酒臭いと怒られてます。 この職業でよかったこと。前回、私の職業でお話しておりましたけどもうちの実家は中京の二条で旅館をしておりましてお母さん、おばあちゃんが旅館の仕事をしてはったんです。そのため僕をわりかしほったらかしで、1人でいてました。で、なかなか寂しいもんで、お母さん、おばあさんのそばにへばりついて旅館の邪魔をしているのか、手伝っているのかわからない。よく張り付いていました。お客さんの方からは、昔はよう、お菓子屋さんとか、おもちゃ屋さんとか、まあいろんな方が出張なんでしょうか、来られてたんで僕はよう女の子に間違えられて、かわいいな、なんてお人形をいただいたり、お菓子をいただいたりしていました。そのお人形をわりと一緒に寝ていました。今でもいとこからお人形にも名前がついていたらしくてぽっぽちゃんと言いますが、ポッポちゃん元気かと今でも冷やかされます。そんな中でお客さんがうちの母とかおばあさんの方にまた来月来ますしとか言ってくれたりします。それは母、おばあちゃんがお客さんに行き届いたおもてなしをしている。子供心にそういった母の背中を無意識に見ながら育ってきました。気づかいのご愁眉というか、褒められる、喜ばれるというようなことを傍にいてて、身についたような気がします。褒められたり喜ばれたりすると嬉しいものでもっと褒められるようなことをしたいなというのが根底にあって、仕事をしているのかなと思います。この職業でよかったというよりも働くことというか、何かすることによって人に褒められるとか、褒められるというのはとても嬉しいことだな。それを生きがいに仕事をしています。だからどの仕事がどうということでは僕の中ではありませんし、まあ、今の仕事をやっていましてお客さんに怒られることは当然あります。でも一度失敗したことは同じような轍は踏まないように日々頑張っているつもりです。この仕事で嫌だったことは見当たりません。今後の目標や夢は今51歳です。あと何年働くかわかりませんが60までというとあと10年ぐらいあります。今やっている仕事の形を3年そこそこでもうちょっと整えて、10年後ぐらいにまでには自分の目標としているところに到達したいなと思っています。それに合わせて社員のかたも20歳から60歳まで勤めていただけるとしたら、40年あるわけで、私は少なくとも10年はいますので、その間に今20歳代の社員を2、3人育てて次の世代にバトンタッチできたらと思っています。この業界は、今は自動運転が世界的に動き出して来ています。路線バスや貨物運送、高速での利用方法など様々これから変化していくと思います。その中で交通行政、死者数の減少、環境汚染の問題、整備不良の問題を預かっています。そういう部門の社会的責任を果たすように頑張らなくてはと思っていますし、その辺のところを考えながら、気づかいながら人のためになるような提案をして行こうと思っております。ありがとうございました。「私のスタイル」石津 祥治皆さんこんにちは。皆さんの貴重な時間をいただきましてありがとうございます。私、この鳳凰ロータリーに入らしてもらった時には不動産管理という職種でした。確かに不動産管理はしているんですけども私は宅建の免許もなく、ただ自社の管理をしているだけです。なんか気の悪い感じがいたしまして、会長に変えられるか?日頃やっている農業にできますか?出来るでという話ですので、では農業に変えてください。で、私日頃やっている農業という職種で札に書いております。農業は何をしているかというとまあ、確かにろくな仕事もあまりできてないんです、実は。蒔くだけは蒔くんです。トラクターで畝を立てて種を買うて蒔くだけは蒔くんですけども、そのあとがちょっと問題なんですね。ありがたいことに私の奥さんと2人で農業をしとるんですけども、2人にしては多いんですよ。できないんです、多すぎて。それで何とか今年も雨が多い中、何とか早い目に蒔いた場所がありまして、大根と今大きなっているのはネギと、で、そろそろ早くしないとあかんなというのが水菜ですね。それが今大きくなっています。あと花菜がちょっとあります。これを2人でやるというのはなかなか苦痛でございまして、全量を裁くということは今までしたことないです。こっちにちょろちょろ、あっちにちょろちょろとやって、結局、半分以上3分の1ぐらいしかできてない状態でなんです。そんなんでいいのかという感じなんですけども、私のスタイルはこういう感じなんです。で、機械代とかに農業は高くつくんで、やはり機械がないと今の農業はできません。ですから3分の1しか収穫をしていないところで、その機械を農機具屋さんに勧められたりとか、またオークションで買うんですけども、それを買うたりするとまたその間に取りに行かなあかんとか、オークション したらやりとりをやらないかんとか、その間仕事ができません。私は仕事よりもそういうやりとりが好きなんです。毎日楽しんでやらしてもろてるわけでございます。で、農業をもっとしっかりせいうことなんですけども、私、実は資料としてお配りさしていただきました大阪ブルーリボンの会というこのリーフレットなんですけども、私、これに入っておりまして、そこで理事をさしていただいております。私はまだここに入らしてもらって4.5年ぐらいですかね、まだ歴史は全然ないんですがお前ちょっと理事してくれへんかっみたいなことを頼まれました。私実はご存知のように断ることができないという性格なんです。はい!わかりましたいうようなことで、で、こういう運動をやっているんです。今日はこの鳳凰ロータリーで卓話さしてもらうのにええのかなと思いながらも、これは政治的な問題ではないと私らの大阪 ブルーリボンでは唱えておりますので、まあ、問題ないかなと。実は今年のワイン例会をサボらせていただきまして私は11月の15日から新潟の方に行っていました。それはなんでかというと横田めぐみさん、中学一年生のときに拉致された。皆さんご存知だと思います。それで、それが11月の15日なんです。その日に向こうで救う会みたいなものがありまして、そこが大きく大会をするということで、また横田めぐみさんが拉致されて40年になります。このリーフレットを見ていただきますとめぐみさんの 写真ですね。これはものすごく暗い感じのめぐみさんが写っていますけども、実はこの時は中学校一年生の4月の入学式やったんです。なぜこんな暗い顔をしているかと言いますと風疹にかかられたんです。お父さんが結構写真が好きで、横田滋さんが、それでずっと子供の頃からお撮りになられていて、で入学式に出席できないということで、風疹の病上がりで、いやいやいやいやと言うてるのに無理やりお父さんが連れ出して校門の前で、桜の前で撮したということです。ネクタイもバッチもすべて新品の状態のときの写真です。その4月に入学されて、そして11月の15日の夜の6時~6時半のその間に北朝鮮に連れ去られた、拉致されたということです。その現場を見に行こうということで40年前の現場を見に行ったんです。まあ普通の住宅街でありまして、で、中学校から自宅まではだいたい500m ぐらいでしょうか。そこからまだ奥の方に海岸があるんです。その海岸から連れ去られたということになっています。可愛らしい可愛らしくて、写真は暗い感じのイメージがあるんですけど、実際は違うんです。書道がすごく上手いんです。お母さんの早紀江さんはもともと書道の先生でこういう拉致の問題がなかったら私は書道の先生をしていただろうということをおっしゃっていました。賢い、できた、ハキハキとしたお子さんみたいだったんです。私はその11月15日の時に新潟へ行かしてもらって、その大会の時にめぐみさんの同級生と会いました。もう53才です。同級生の仲間で拉致問題の話し合いをやっているそうです。その話し合いで意見が分かれるそうです。実際は新潟に来られたのは小学校6年の2学期なんです。結局、新潟には1年ぐらいしかおられなかったんですがこの同級生はもっと長くいてたような感覚があるということを言っていました。5年生の時に引っ越しされて来たのではないかとおっしゃっていましたけどもね。でも実際は違うんですね。ですからそれほどにものすごくフレンドリーな賢いめぐみさんだったということです。15日、学校からの帰り道、6時といえば真っ暗です。バス通りでは車が走っていますが大きな道からちょっと横へ入るともう全く人がいない。そこで多分さらわれたのではないかという現場に行ってきました。15年前に小泉内閣の時に5名の拉致被害者が北朝鮮から戻ってこられました。その中に志村さん、蓮池さん、一番後ろに1人でお帰りになられた曽我ひとみさん。この人とは前回の時にお話を聞かせていただきました。めぐみさんより1年後、曽我さん、地村さん、他の4人の方は1978年の1年後にさらわれています。 ひとみさんは無口な方です。向こうでは24年間、日本語をしゃべるなと教育されていました。で、ひとみさん曰く、24年間あまり日本語をしゃべるな、必要な時はいいけれど、話はしてもいいけれどということでほとんど日本語でしゃべれなかったんですね。でも日本語を聴くこともできて、読むこともできて、書くこともできるんですがやはり24年間というのは長い年月でありまして、しゃべることができなかったということでした。で、記者会見のときに何か言ってくれということでしたが日本語をしゃべれない、話せないということです。今、もし横田めぐみさんが40年目、40年過ぎて日本へお帰りになったらおそらく日本語は多分忘れたはるのと違うかなと思います。ぶつ切りの話ばかりで申しわけなかったですけれど時間となりました。ありがとうございました。

「薬剤師という職業」

井上 佳子今回の卓話のタイトルは「薬剤師という職業」ですが、私自身の今に至る経験をお話させていただきます。私は両親が薬剤師であり、とりあえず、薬剤師の国家資格をもっていれば、なんとか、女性でも独りで生きていけるという両親の勧めもあり、特に研究をしたい等の強い思いもなく、薬学部に進みました。その当時、今ほど、医薬分業率が進んでおらず、調剤薬局も多くなかったので、就職は製薬会社にし、MRをしていました。そのころ、どんどん、病院の門前や、医院・診療所の門前に調剤薬局が開設され、MRとして、Drの訪問に加えて、調剤薬局も訪問することも仕事でした。その訪問先の調剤薬局の薬剤師さんは狭い空間で、どんどん増えていく処方箋の薬を作るのに、精一杯で、あまり、楽しそうに、活き活きとお仕事をされているように見えなかったのです。(あくまでも私の主観です)そんな中、私は、結婚を機に会社を退社しましたが、結婚生活も長く続かず、また、独身に戻り、実家の薬局を継ごうか迷いもって、生きていく唯一のすべである調剤(保険)薬剤師として、6年前から働きだしました。6年前にやっと、薬剤師の資格をちゃんと使って仕事をし始めたわけです。昔、大学を選ぶ際、薬剤師の国家資格をもっていればなんとか生きていけるという両親の意見を痛感している次第です。まだまだ未熟な調剤(保険)薬剤師ですので、実家以外の薬局でいまだに勉強させていただいていますが、今は、薬というきっかけを通じて人と人が通い合う、地域に根差した自分なりの薬局をしたいという気持ちです。私がMRをしていた約15~20年前の時代とはちがい、幸い、薬剤師の活躍の場がどんどん広がっています。特に今は、患者さんのご自宅に伺い、お薬の管理をさせていただくことで、その患者さんの人生に関われることの意味合いや重みを感じています。私は薬剤師という職業を通じて奉仕することが自分の一番の居場所であり、やりがいです。《medical representative》医薬情報担当者。薬 についての知識や情報を医師や薬剤師に提供する製薬メーカーの営業担当者。

「宇治鳳凰ロータリークラブ会員を守る漢方薬!」

2017.11.9公益財団法人京都府暴力追放運動推進センター 事業課長 上原忠晴 様 歴史ある宇治鳳凰ロータリークラブさんに呼ばれまして大変光栄に思っております。できることなら1302回目のボージョレヌーボーの会には呼んでいただきたかったと思っております。私、ボージョレ大好きでございます。ただし来週来るとは言っておりませんが。実は先程紹介にもありましたけども3回目なんです。前2回は現職警察官で警察本部にいる時にこちらに来さしていただいて覚せい剤を持ってきたりしたんですけども今日はちょっと覚せい剤持ってくるのを忘れまして4年前に警察本部でお酒と女性問題でクビになってしまいまして、もうやめたら家でのんびり朝寝朝酒でゆっくりしようかなと思ったら警察本部が「頼む、まだおってくれ」と言われまして、一応65歳まで、来年までで契約が切れるんです。実は、後2年ほど先まで私は全国公演に回っておりまして2年先まで予定が入っております。なかなか辞めれないんです。みなさん方の資料の中に、実は来年6月8日のロームシアターでの暴力追放大会というのがあるんです。実はこれは検察庁と日弁連主催の全国大会なんです。日本全国の警察官、弁護士、一般の方も来られます。ここで登場するのが実は特別ゲスト、私なんです。別に来てくれと言っているわけではないんです。1時間ほど講演をさしていただきます。入場無料で記念品も差し上げますのでまあ、ちょっと聞いてやろうかと言われる方はロームシアターに来て私に声をかけていただいたらいいんじゃないか。また、その時はその時で面白い話をさしていただきます。今日のテーマが特殊詐欺、振り込め詐欺なんですけども、みなさん方そうでしょう、女性の方を除いて、携帯電話に出会い系サイトに登録しました、次のガイダンスに従ってください。女性が大好きで出会い系サイトを今後も利用したい、登録料を払うという方は1番。いや女性は嫌いやからもう登録を解除して欲しいと言われる方は2番。そんなん電話で登録した覚えはないと言われる方は3番。弁護士の先生か、親戚に相談してからまたあとで連絡しますという方は4番。あなたは何番ですか。一番です。あなたはだまされる方ですね。とりあえず質問しましたのでこれは記念品、ティッシュペーパーとバンドエイドです。暴力団に殴られた時に怪我したら早く治るというバンドエイドです。もし治らなければ僕の電話番号を教えておきます。電話してください。お前にもらったバンドエイド効かへんやないかと電話してください。今言った振り込め詐欺の手口で最近多いんです。音声ガイダンスで流れてくるんです。自然に流れてくるもんですから対話ができないですね、音声ガイダンスですから一方的に流れてしまう。皆さん大概、そんなん身に覚えがないということで3番を選んで3番をプッシュされるんです。これが悪いんです。1番2番3番4番、どれをプッシュしても同じ人間が出てくるんです。百戦錬磨の詐欺師ですから当然、1番は会員登録すれば10万円振り込んでください京都銀行に。解除するんでしたら半額の5万円を振り込んでください。身に覚えがないと言えばきつく言われるし、弁護士に相談すると言ったらまた弁護士料かかるし、ああだこうだと向こうは百戦錬磨の詐欺師ですから、同じ人間が出るんです、1番から4番までどれをプッシュしても。正解は何だといえばそういった電話がかかってきたらすぐに何もせずに切ってしまうというのが正解です。そんなことはよくあるでしょう。家に訳のわからないセールスが女性の可愛らしい声でガイダンスが流れる。わけのわからない電話はすぐに切ってしまうということだけを覚えておいていただいたらいいんじゃないかと思います。最近、政治家の不倫や芸能人の不倫がよく流行っていますけども、私の不倫相手、松坂慶子。皆さんご存知でしょう。愛の水中花。僕は今から一曲、愛の水中花を歌おうと思ったんですけども、まあ、食事がまずくなる、下痢したら困るんでCDを流さしていただきますけども、松坂慶子さんの歌を替え歌にしたもの、京都府警察本部で替え歌にしたんです。詐欺の水中花、今からちょっと3分ほど流しますので聞いてやってください。 5分25秒~9.51まで歌この歌がヒットすれば松坂慶子さんと私と年末の紅白歌合戦に出場してデュエットする予定でおりますのでその時はテレビを見ていただいて拍手をお願いします。振り込め詐欺、特殊詐欺と言うんですけども必ずしもお年寄りがかかるというもんでもないんです。実は何年か前に女子大学に寮に行って講演をしてくれと学長さんに言われまして寮の方に夜7時行きました。寮には一回生だけなんですね、2回生、3回生4回生はアパートとかマンションに出てしまいます。地方から集まってきた女子大生がいっぱい集まるんですね。そこの食堂で100人ほどおられる中で振り込め詐欺の講演をしたわけです。なんでかなと思ったら今は若い人が引っ掛かる詐欺も流行っているんですね。ただ被害届が出ないんですね。なぜかというとさっき先程言いましたように出会い系サイトに登録されましたから登録料を払いなさいとか、解除するんであれば3万円という金額を指定するんです、犯人が。この3万円がミソなんです。みなさん方ならそっと払うでしょうけども女子大生3万円、2万しかないな、友達に1万借りて3万にして振り込んでおいた方が安全やなと思い込ませる、犯人が。3万を振り込んでから1週間ほどで気が付くと「おかしいな、詐欺違うかな」と思ったときはもう遅い、振り込んだ後ですから。で、ここで問題になるのは3万円という金額、女子大生でもすっと払える金額であり3万円は被害届を出さないんですね。だれも出さない。なぜか。被害届を出しに行ったら調書を取られて、被害届書かされて、五分や10分では終わらないんですね。大概1時間ほど事情聴取されて。それやったら3万円ぐらいもういいわ、いい勉強になったと思ってほとんど被害届は出ない。そのようにして若い女子大生が引っかかるから大学が地方から出てきた女性が京都に行ってそういった詐欺にあって京都のイメージを悪くしたらかわいそうだから女子大生が引っかからないように教養してあげてくださいということで1時間しゃべってくれと言われまして、私、朝までおってもいいんですけども。いやいや9時になったら帰ってもらったらいいです。男子は入ったらあかんのです。そうですか。その女子寮の場所をくっきりと覚えていますから必要な方ありましたらお教えしますから。お年寄りの被害といいましたら「命てんでんこ」、東北弁なんですね。自分の命は自分で守る。自分の家族は自分で守る。そういう方言なんです、この命てんでんこ、津波、大震災から来た教訓の言葉なんですけども、皆さん方含めてなんですけども人間は90%は地震があっても何もしないんです。なんやい、地震かい、 布団を被って寝ているだけなんです。今日は地震の話ではないんですけども、例えば振り込み詐欺の先程も電話がかかってきた。私は絶対被害にかからん思う人は人間の90%はそう思っているらしいです。そんな電話絶対自分で撃退できるとかね、思っているらしいですね。そういう人ほど被害にかかる。統計的に言うと90%の人は、なぜか言ったら警戒心がないんです。わしは被害にかからん、大丈夫、そんなん電話かかってきてもと思っている人は普段何にも考えていない、警戒感がない、残りの10%はいやどうしょうかな、そんな電話がかかってきたらどう回答したらいいかな。いろんなところで学んで、いろんな知識を常に思っているから詐欺に引っかからない、詐欺に引っかからない、10%の人は。逆に、わしは絶対詐欺にはかからんという90%の人の内の70%が大きな被害にかかっているんです。年寄りの人も若い人も含めて。ですから自分の命は自分で守るということをよーく考えていただきたいと思います。誰が守ってくれるんや、ここで武蔵坊弁慶が登場するんです。武蔵坊弁慶てご存知でしょう。五条大橋のところに弁慶と牛若丸のかわいいらしい銅像が建っています。あれは前回のオリンピックのときに五条通りが整備されて、そこに弁慶と牛若丸の銅像を建てたんですけども、あそこで戦ったんじゃないんですね。隣の松原大橋というところで戦ったんですけどもオリンピックの年に五条通りを整備されたんでそこで銅像を建てようかということで、でこの武蔵坊弁慶なんですけども東京スカイツリーはムサシの634m、東京地方は武蔵の国と言いますね。これをずっと長年、私はこれをテーマに講演を4、5年さしていただいているので東北のほうへよく講演に出かけます。中尊寺に武蔵坊弁慶さんのお墓があるんです。そのお墓に勝手に私は名前を使っているので、ちょっとお詫びのしるしに100円だけちりんと入れて、それはもう1万円を入れてもこの人喜ばないですからね、亡くなっていないから、せめて名前使用料でございます。100円をおいてずっとここ4、5年武蔵坊弁慶のテーマでしゃべらせていただいております。やんないやこれ、反社会勢力との断絶は武蔵坊弁慶ってどういうことだ。〇むさしのむ、無理難題を要求されたとき、電話もそうです。クレーマーもそうです。皆さん方、商売されておりますからクレーマーなんかは特によくあると思います。無理難題が来るのに決まっているんです。しつこくね、要求をされた。さてどうするか。大阪あたりから皆さん方の会社、あるいはこの宇治のお店に来て訳がわからないことをぐだぐだぐだぐだと言って来た場合に「お詫びの謝罪」という言葉をちょっと頭の片隅に覚えておいてください。お詫びは遠いところからわざわざうちの会社のために来ていただきありがとうございます。さらっとしたこのようなお詫び。謝罪というのは罪という文字を書くんですけども、罪を認めたらだめなんです。お前んとこの会社の受け付けの女の態度悪いやないかい。ああすみません。あいつ、いつも態度悪いんですわ。認めてしまうとだめなんですね。それはやはり自分ところの社員ですから、社員を守ってやるという意味で罪を認めずに、分りました。それでは調査の上、回答させていただきますというんです。調査の上、また回答させていただきますから失礼ですがオタクの電話番号を教えてください。大概クレーマーは090……携帯番号の電話番号を教えるんですね。携帯電話は悪いけどもうだめなんです。固定電話にしといてください。なぜ固定電話がいいかというと警察に被害届を出した時にスムースに捜査しやすいように携帯電話はとばしの携帯とか、誰のものかわからないですから移動するから携帯電話であって、ですから固定電話番号を聞くことによって、どこの誰であるかがはっきりするわけです、NTT に紹介すれば。ですから後々の操作がしやすいから皆さん毅然と「すみません、携帯電話ではなく固定電話を教えてください。」固定電話にあなたが要求されている事の回答を調査の上、お知らせします。無理難題を要求された時の話ですよ。〇むさしのさ、「最高」の結果を出していただきたい。最高の結果というのは金を払ってしまってはだめ。振り込め詐欺でもそうです。金を払ってしまってから気が付く。詐欺と違うかな、被害届を出さなあかんな。金は戻ってきませんからね、どんな問題でもそうです。振り込め詐欺でもそうですし、恐喝でも何でもびびってしまって金を払ってしまってからでは取り返しがつかない。本なんかの斡旋もそうなんです。金を払ってしまってから警察に相談に行ったりしてもなかなかこじれて捜査がしにくくなりますから早いうちに手を打っていただきたい。で、最高の結果というのはまず、金を払う前に相談しなさいという話なんです。〇むさしのし。しっかりしたメモ、録音を取っていただきたい。しっかりしたメモって、メモというのは大事なんですよ、皆さん。殴られた、けられた、もの取られた、だまされた。これぐらい、3万ぐらいやったらええかと泣き寝入りした。やっぱりけったくそ悪いから、やっぱり被害届を宇治警察署出そうかな。1ヶ月ほどしてからすんません、お巡りさん1ヶ月ほど前にね金取られたんですわ。1ヶ月ほど前なんて、いつの話やいな。忘れました、1ヶ月ほど前ですわでは被害届を受け付けてはくれない。正確な、時間まではいいが何月何日にどこでだまされたかということを少なくとも最低限、それは犯罪を構成する必要な要件になりますですからその時にメモ、メモが生きてくるんです。メモをしておけば公判、裁判になっても重要な証拠になりますから私はきちっとメモを執っておりました。これは大事なことです。メモを取るということは大事なことです。録音も大事なんですよ。隠しどりもいい、机の下に隠しどりするのもいいんですけどもこれを活用されるんでしたらクレーマーに活用するんでしたら机の上に録音機を置いてスイッチを入れて、すみません、それではあなたがおっしゃっているクレームをこの録音機に向かってしゃべってください。100人クレーマーがいたら全員が言うことは「何で録音するんにゃんこら」絶対いますね、これは当たり前ですね。それから声を上げておどかしてやろうと思っているのに録音されたら困るから、なんで録音するんだ。切れスイッチを!絶対こう言うんです。その時に皆さんは「いいえ、これはわが社の社長に正確に報告する義務がありますので録音させていただきます。はいどうぞすおっしゃってください。」これでいいんです。そうするとトーンが下がって、「また出直してくるわ」と帰ってしまうんです。電話がかかってきてもそうなんです。電話のクレームもよくあると思うんです。電話の向こうに録音機があるかどうかは見えませんから録音機がなくても「すみません、あなたの要求されていることを今から録音させていただきます。」録音機はないけども焦ったらだめ。鍋の蓋をポーンとただいてカンというでしょ。スイッチが入りました、録音機の。どうぞしゃべってください。相手はどういうか。「またかけ直します。」もう二度とかかってこない、そんなもの。あそこに電話したらすぐ録音しようるから、いらんこと言われへんな。証拠が残ってしまいますからね。録音機を上手に使っていただきたい.20.28企業の方はそうなんですけども、末端の職員さんが何か失敗した。これくらいの失敗ならいいかな。黙っておこう。社長に殴られたらかなんしでは企業はあかんし。ささやかなことでも常に報告する義務、特にクレーマーとか、そういうわけのわからない失敗なんかは報告する義務をつけておけば、聞いたら笑い話みたいな話なんですけども、放っておくとそれこそ街宣車がきたり、社長が知らんところで街宣車が回っていたり、なんやの、これ一体では遅かりしになってしまいます。こういった癖をつけておくということは大事なことです。〇で、これを守っていただいて登場するのは武蔵坊弁慶の坊弁慶なんですけども坊は私が現在勤めております暴力追放センターというところ、正確には京都府暴力追放運動推進センターで会長は知事なんです。ここで私、現在勤務しております。退職してから4年になります。〇弁はこの字のごとく弁護士、もし弁護士の先生に知り合いがなければ暴力追放センターには5人の顧問弁護士の優秀な先生を抱えておりますのでもちろんみなさん方にそうそうたるメンバーですので顧問弁護士を持っておられる方はおられると思いますがもしなければ私どもに言っていただければ紹介もさせていただきます。〇弁慶の慶は警察の警なんです。ですから暴力追放センター弁護士警察と宇治鳳凰ロータリークラブの皆さんと一つの輪を作ってしまえば、もうできたようなもんですけどもね、輪を作ってしまえばこれほど強力な担保はないという話なんです。わけのわからんクレーマーからあーだ、こーだ、ぐだぐだぐだぐだ言われて、冷汗タラタラタラタラかいて、どないしようかなと1人で考えても「絶対」に解決しません。絶対に1人で悩んでは解決しません。なら、嫁はんに相談しようかな、まあ、奥さん素人やから相談したところでお父さんどうしょうと2人で悩むだけ。そんなこと悩んでいるんでしたらここにいち早く連絡していただければ今日の資料の中に8930という電話番号が入っておりますので、やくざがゼロという番号です。私の今日乗って来た車は8930、あとで蹴とばさんようにお願いしますけども8930なんです。うちの事務所ももちろん8930なんです。私が退職した時に銀行の暗唱番号が8930にしたんです。銀行の人が言っていました。何ですかこれ。いやいやいやいやええんや、これにしといてな。そこら中で私の暗唱番号を教えているのや。自分の暗証番号を人に教えたらあきまへんでと銀行の人いってましたけどね。そんなんで、こういったところに電話連絡して悩みを解決していく。先ほどいいましたけども相談が早ければ早いほどこじれて、こじれて、こじれてしまったらそれこそ弁護士の先生に頼んでもお金がかかります。早い相談ほど早く済むから安くつきます。もちろん警察は金は取りませんけども、ややこしいことになるとやはり時間もかかってしまうからああ、これはおかしいなと思ったらやはりこういうところに早く相談するということお勧めするということ言うわけであります。暴排三段活用。暴拝、暴排、暴廃。これは学校でも習ったことがないような、これはすべて暴はいという文字なんですけども一番上の暴拝は暴力団を拝むという文字なんです。暴力団を拝むってこれはなんやこれ。例えば私が警察学校にいる頃ですけども民事不介入の原則というのを教えられたんです。警察は民事問題に入ってはいけない。みなさん方ご年配の方いろんなことで警察に相談されて断られた経験があると思うんです。それー社長、民事問題やから警察は手が出せへんですわ。民事問題、金の貸し借りやとかね、男女間のトラブルとか、親子げんかとか、大概、民事問題でそんなん警察に持ってきてもらってもかなわんですわ。30年40年前はそんなことで追っ払われた。警察学校でも我々はそのようにして教えられた。民事問題に介入してはだめだ。ところが今は違うんです。もうそれは死語なんです。忘れられたらいいです。死語になっています。そういう言葉を警察官は言ってはだめ。どんな問題でも金の貸し借りであろうが男女間のトラブルであろうが、男女間のトラブルで殺し合いになっている例がいっぱいあります。親子げんかでも殺し合いになりますから。民事不介原則原則。そんな言葉を言ったら絶対だめ。警察学校へ教養に行って警察学校で講演というか、授業を持たせていただくんです。若いおまわりさんに教えるんです。「現場引き分け論」というのを教えるんです。なんやというたらお金を100万円借りています。で、サラ金屋さんが夜中に取りに来ました。怖いから家の人が110番した。制服のお巡りさんが2人ドドドドッと来た。サラ金のおじさんは言います、やさしい声で。「何しに来たん」。わしはこの人に100万円貸しているから取りに来ただけや。何かわし悪いことをしたか。何もそこらへんのものを蹴っ飛ばした訳でもない、割った訳でもない。何もしてない。金を返してくれと来ただけですわとやさしい声に言う、サラ金のおじさんは。片や家族の人はもうびびってる。そこで昔のお巡りさんは今でもそんなお巡りさんがいるかもしれませんがシッポ巻いて帰る。「ああそうか。あんた金返さなあかんで、さいなら」「今日は何も誰も殴られてないし、物も壊されてないし、今日は帰るわ」帰ってしまったら「だめ」ということを新米のお巡りさんに私はいつも教養するんです。絶対に、怖いから110番しているんやから、そこで私は現場引き分け論というのを使うんです。まず、そのサラ金業者を呼んで、別室に呼んで、お前この夜遅くにグダグダと大きな声出すから110番されるんや。今日はもう帰れ!わしが来たからには帰れ!お前、帰らなんだらわしも帰らん。ずっと居るというと、まあ今日はしゃあないな、ほんならおまわりさんの顔で帰るわ。帰ってしまったらもうしめしめ。で、家の人には「あんなところに100万円も借りたらあかんやろ」せやけどどこも貸してくれからどうしようもないから借りたんやろうけども、今後は弁護士の先生に相談して利息のやり直しをしてきちっと弁護士さんを中に入れてやったほうがええ。そうするとあいつらは来んようになるからということで両方を引き離してそういうふうにコンコンと説教して帰りなさい。これを現場引き分け論、両方とも別れさせてしまう。ですから、今は民事不介入の原則、金の貸し借り、ほんともう、そういうことは言わなくなったんですが昔は金の貸し借り、男女間のトラブル、おまわりさんが相手にしてくれんからどこへ持っていったらいいんや。暴力団の所へ持っていく。知り合いの暴力団の所へ持っていって暴力団を拝むという話になるんです。これの典型的な、最近では吉本興業でありました、吉本興行、今、連続テレビ小説を今やっていますけども島田紳助さんが右翼に脅かされてどうしようもなくなって私に相談してくれたら対処してあげたんですけども、暴力団山口組極真連合会の橋本弘文という会長がいるんですけども、その会長に相談をしたら一発で解決したんです。なぜなら、脅かしているのは右翼なんですけどもSS 右翼なんですね。右翼問題、世の中にもちろん真面目に考えている人がいっぱいいるんです。同和問題も真面目に一生懸命考えて取り組んでおられる方が世の中にいっぱいいるんです。そういう人は悪いことはしません、真面目に考えている人はね。で、そういった島田紳助を落としたのは暴力団をバックにしているSS 右翼ですから当然、暴力団の組長が島田紳助を愚かすのはやめとけと言ったら、それで一発で終わってしまった。ですから島田紳助さんの記者会見で私は2人の人に救われました。A さん B さんに救われました。これは暴力団の話なんです。暴力団を拝み倒して大阪府警取り調べの人に聞くと1000万から払っているらしいですね、相談料として。島田紳助さん金を持っていますからいいんですけどもこの話を皆さんテレビを見ておられると思いますが私はよくテレビに出るんです。今度テレビに出たら拍手だけお願いしたいと思います。ほんわかテレビというのを見ておられるでしょう。10チャンネルです。あそこに何日も何日も追っかけされて、それでしまいに大阪読売テレビ本社まで行って公演さしていただいて、結局、その私のところがお蔵入りになりました。なんでやなとデレクターに聞いてみたら島田紳助の悪口を言うたらあかん。読売テレビは島田紳助さんにものすごい儲けさしてもらっているんです。数十億というお金を儲けさせていただいているんです。島田紳助さんを崇拝する芸能人はいまだにいっぱいいるわけです。育ててもらった芸能人がいっぱいいるわけです。それをテレビの収録で悪口言うたらあんた殺されますよ。殺されることはないやろけどももうテレビはカットになってしまって出れなくなってしまったんです。それにもめげず今年の6月1日にはもっと違うテレビ局、関西テレビの警察24時というヤラセ番組に出ました。今度出るときはちゃんと連絡します。で、暴力団を拝む時代は終わったという暴拝なんです。今はそんな時代ではないんです。今、暴力団はものすごく少なくなっています。なぜか。縛りがきついからゴルフもできないし、銀行口座も持てないし、車も買えない。百貨店で買い物もできない。百貨店協会が暴力団と取引いたしませんとなっていますから。ただ、わからなければ高島屋へ入っていってのこのこ行って買い物して帰ってくる。これはどこにもセンサーがあるわけではないからこれはチェックしようがないんですけども、物を送ったり送られたりする暴力団、得てしてそういうことをするんですね。そのときに身分を書かなくてはいけない。山口組の誰々と書いたら、すみません、お客さん、こういう方との取引はうちはお断りなんです。こうなってしまうんです。今はそういう時代です。ですから若い子で今、暴力団になろうと言うやつは1人もいません。もう高齢社会になっています。暴力団もいつか消えてなくなるでしょう。真ん中の暴排は暴力団を排除しようという活動を、私がやっている活動なんですけども、全国転々と私は言いましたけども、珍しいんです。警察を辞めてから警察24時に出た人も珍しいんですが現職が大体出るんです。辞めた人間がのこのこ出ているのも珍しいし、日本全国北海道から九州まで来年の10月4日佐賀県まで予約が入っています。なかなか辞められないですけども、これを一言で言えば暴力団排除活動になるんです。暴力団を排除しようという活動を私は取り組んでいろんなところで暴力団とのつき合いはやめましょうと言うことを大きな声で叫んでいるもんですから人が心配して、上原さんそんなことばかりやっていて暴力団にねらわれへんか。私は財産も何もないんで暴力団は金目当て、金が目当てですからお金のある皆さんは狙われますけども私は財産も何もない。狙われる要素がない。暴力団の悪口を言っているだけでございますから。で、これが暴排活動。一番下の暴廃は私の勝手な希望的観測ですけども暴力団が廃絶したらいいという暴廃。暴力団がなくなったら将来的にみなさん方の大切なお子さんやお孫さんがまた将来涙を流して暴力団に不当な要求をされて警察や暴力追放センター弁護士の先生に相談に行かなあかんような時代が繰り返されるようではだめなんです。みなさん方の大切なお子さんやお孫さんが安心して暮らせるようにするためにはみなさん方の心の中でこの真ん中の暴排だけを叫んでいただいたらいいと思います。いろんなところで不当な要求を受けたり、暴力団におどかされた時に先程いましたけども、このやろうと思って皆さんケンカの強い人がいるかもしれませんけども、よし、こんなやつには負けんと手を出して喧嘩すると相手に 負けます。百戦錬磨、喧嘩も強いですし、どうしようもないから喧嘩はしたらだめ。心の中で暴廃というのを叫んで私の事を思い出して、よし相談してみようかというんで暴追センター弁護士、警察、特に私のところに電話をいただいたら難しい話でしたら弁護士の先生と相談して適切なアドバイスをさしていただいております。決して間違ったアドバイスはいたしませんので早く相談するということだけ覚えておいていただけたらいいんじゃないかなと思います。というところでいい時間になりましたのでこの辺で終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

幸せ創造商店街への道

2017.10.19宇治橋通商店街振興組合理事長佐脇 至皆さんこんにちは、ただいまご紹介いただきました、ただいま宇治橋通商店街振興組合理事長をしております佐脇でございます。本日はお招きいただきましてありがとうございます。そして、過分なプロフィール紹介ありがとうございます。宇治橋通商店街の理事長ですけれど、登記的には代表理事と言う、これが正式名称です。代表理事とは言いにくいので商店街理事長というふうに呼ばれております。今日、こちらにお伺いさせてもらって本当に知っている顔が沢山ございまして、昨日藤森純ちゃんに電話をしてどんな方がやはるのと聞いたら、佐脇さんの一番近くやったら太田電気の太田さんやでと言われて、あんたそれ歴代理事長やん、太田さんは第2代目理事長でして、私にとっては大先輩で、商店街の礎を築かれたお1人方でございまして、しょうもないこと言えへんなと思いながら今日はここにやって参りました。まず商店街の中ほどでスーパーアプロさんの前の方で暮らし工房、家具のサワキという、いわゆる業種は家具店です。まあ、家具店に見えない家具店、インテリアショップ、雑貨とか食品も少々扱っておりますし、洋服も扱っております。少々変わったお店をやっております。本日はちょっと30分ということで短い時間なんですけども、まず三つのトピックでお話を始めさせていただきます。宇治橋通商店街振興組合とは一体なんや.どういう歴史でどうなったんやというところと私が理事長に就任してからどういうことをして、どうなったかということ。時間があればこれからの商店街の展望とか、ビジョン、その辺りのお話をさせていただきます。あまり面白いお話はできませんのでその辺をご了承いただきたいと思います。商店街の場所は皆さん宇治の方なのでほぼご存知だと思います。宇治橋からお旅所まで約800m の商店街でございます。最初、成り立ちは室町時代と言われております。地場産業のお茶、茶商さんが中宇治の方に集まられて、そこからいろんな商店が出来て、商店街になったと聞いております。商店街振興組合という法人になったのは昭和53年です。それ以前はどうだったかと言いますとその頃の商店は今よりも多くて100店舗以上あったように聞いております。小学校の頃の記憶です。振興組合の前は長い商店街なので派閥ではありませんがそれぞれがちょっとグループにわかれたそうです。いろんな重鎮の方に聞くとショッピングリーグという名前のグループがあったらしいです。何店舗かでそういうグループを形成して共同販促をやったりと、やっておられました。そのショッピングリーグに入れなかったというか、入らなかったというか、そこは、ちょっと私は事情がよくお知りませんが、そういうお店があって、そちらはそちらでうさぎグループといって私のところもそこに入っていました。小学生ながらウサギのマークの入った看板がそれぞれのお店についていたのだけは覚えていて、一体何やろなとは思ってました。そのウサギグループの中でまたそれは販促をしていたという、二つにわかれていた時期があったそうです。それではいけないということで今のふなえさん、千葉さんの先代がこれは一つにならんとあかんでということで宇治橋商店街近代化連盟というのを作られました。それでまあ、一つの団体というか、商店街として組織的に動く時には動きましょうということで昭和53年に宇治橋通商店街という正式な登記をして法人となりました。私で5代目でございます。私が就任したのが平成25年です。商店街の役員は2年任期で、私は今で3期目でございます。もうそろそろいいかなと思っています。次の方を見つけないとどうも降りられないみたいですね。もう少し頑張らんといけないみたいです。私が理事長になった経緯というのは全理事長が中西さんです。その方がちょっと体調を崩されまして、入退院を繰り返すということが当時ありました。今はすごく元気になられています。その当時、私は副理事長をやっていまして会長をサポートしていました。平成25年、総会の時、もう入院をしなければいけないということになりまして副理事長の私がすべて代行するということになって理事長からはそのままあんた代わってえなとお話をいただいて、これはもう仕方がないなというか、理事長、病気の中で無理をしてもらうのもどうかと思いまして、ここは いい機会かなということで「やります」と返事することになりました。やるからには前理事長が作ってこられた商店街をさらに盛り上げるというか、いろんな形でそれを進化させねばいけないなと言う思いがありまして、前理事長はその商店街、電柱がいっぱいありましたのを全部地中化してすっきりとさせました。商店街を歩いていただくと空を見ていただくと電柱は見えずに「そら」が見えます。前を見ていただくと、宇治川の方を見ていただくと山が見えて非常に景観のいい商店街になりました。これに至るまで実は10年の歳月がかかっておりまして、宇治橋通商店街というのは市道ではなくて府道でございます。京都府の持ち物なんです。なので京都府との折衝なので、さらにややこしい問題が出まして、これが市道でしたらもう少し簡単にできたかもしれません。まあ、紆余曲折ありまして、10年かかってやっとあの形になったところで私にバトンタッチをさせていただいたということで、平成25年に私が就任しました。マップを見てください。それを見ていただくと実は3年前に作ったもので新店舗が載ってなかったり閉店したお店もあります。再版しなければいけないと思っとります。実は宇治橋通商店街新興組合の加盟店は現在61でございます。マップを見ていただくと80近くございます。何ででしょうか。加盟したいけども、どうしても入れないお店というのが実はありまして、実はうちの商店街会費がまあまあ高いのです。商店街としては月7000円、それが×12になると本当に小単価のものを扱っておられるところには非常に月7000円はきついもの、それはもう最もそうなんですね。で、私なんか理事長で、さらに高い9000円払っています。なんで沢山仕事する理事が9000円やねんと言って前理事長に詰め寄ったことがあります。いや、これは決まりやから。そんだけ責任があるから払いなさいと言われました、払っています。そういうわけで結構高いんです。これを何とか非加盟店さんにとっても商店街にかかわって欲しいなと私の思い。それはずっと思っていましたので、私が理事長になった時にマップ会員という、ちょっとハードルを下げて会費を下げたものを非加盟の方の所へお話しに回りました。そうするとそれやったら入る、いいよと言っていただくところがちらほら。ただこれを今の加盟店に言ってしまうと俺んとこもマップ会員でいいわとなるとこれはちょっと具合が悪いです。まあ、こっそりとそれぞれに回らしていただいて、マップ会員ということでハードルを下げて、そのうちに関わってもらって商店街の加盟した時のよさを感じていただくと入っていただけるのかなと言う期待も込めて実はそのマップを作りました。そのマップを見ていただくと4ヶ国語が表示されております。ご存知のように今、インバウンド、すごいことになっています。連日、中国、台湾欧米の方が宇治へ押し寄せていただいています。このマップを作った当時はまだそこまでではなかったんですがこれからインバウンドは重要ではないかという話もありまして、私も宇治市の観光推進計画の推進委員をしておりまして、計画を作っている議員なのでここはもう4ヶ国語で行こうということで実はこのマップ、非常に高くついております。で、そこまでの財源は当時なかったんです。ちょうど地方創生で国の補助金がありまして、それに応募させていただいていろいろ審議がありまして、紆余曲折がありまして、何とかマップを作ることができたんです。しかし、このマップを更新するのは非常に高額な物が発生するので今はちょっとどこかに安くする方法はないかということで新しいマップの検討をしております。そんなわけでそちらには加盟店、非加盟店が混在をしていまして載っています。遠くからこられる方にとっては新興組合の加盟店、非加盟店もあまり関係がありませんので、そこは私の思いとしてはすべてのお店が載っているマップというのができれば宇治橋通商店街だけではなく、近隣の表参道商店街、そして川向こうの源氏タウンの商店街、さらには塔の島会さん、すべてが入ったようなマップができればエリアとしては理想ではないかなと思っています。もう1種類のマップをお持ちしています。それは3商店街がマップに載っています。今年の春に府の補助金をいただいてエリアでちょっとイベントしょうやということで作ったマップです。で、そんな感じで マップ の方はできたらその方に目差したいなと思っています。私が理事長になった時にまずやろうと思ったのはマッップですね。お手元に理事長所信というのがあります。今日のタイトルにもなっていますけども幸せ創造商店街、これも私が副理事長の頃から思っていたことを理事長になった機会に所信というか、方針、理念のようなものを決めなくてはいけないのかなということで書かせていただきました。ご一読いただければなと思います。それから方針と重要な部分、何をしたら商店街は良くなるのかということをいろいろ考えまして、いろいろ項目を自分の内であらいだしまして、たまたま東京へ出張に行く新幹線の中でその作業を始めました。東京に着いた頃に8の重要項目ができました。私の中では船中八策ならぬ車中八策と言うふうに自分の中で言っていますが紹介したいと思います。まず最初に重要だなと思ったのはやはり情報発信、情報をどれだけ沢山の情報を発信できるか。今、情報発信というのはけっこう手頃で無料でできる時代でございますのでこれを強化しなければいけない。そして、2)連携ですね。いろんな団体さんと連携し、いろんな地域、行政もそうなんですけども連携を強化したい思い。それから3)イベントを今までやっていました。今まで以上にもっとワクワクできるイベントに進化させる。4)どんどん増えてくる観光のお客様への対応をご強化しなければいけない。5)組織力の強化、役員間だけでなく、それぞれのお店間もきずなができればもっと良い組織になる。6)それぞれのお店の教育というか、例えばインバウンドが多いのでインバウンド勉強会、今 SNS 時代なので SNS をやったことのない人に、お店にやって欲しいということでその勉強会の開催。7)景観保全、歴史的地域になっていますのでそれをどのように考えていくのか。8)頑固な財政基盤。この8つの項目に分けてそれぞれどうして行こうかと考えました。私が思っている商店街の理想はイベントがあってすごく賑わう商店街。イベントをしてにぎわうと商店街活性化できますねと行政の方なんか言われます。そうではなくてイベントはもちろん重大なんですけど、やはり静かなるにぎわいということでと普段人がそんなに爆発的にはいないんですが絶えずそのお店も万遍なく人が入っている。それが理想の商店街なのかなと思っています。でも、それをするにはイベントも必要と私」は考えまして、イベントは今までやってきたものよりももっとワクワクできるようなものが何かないかということで、イベントをいろいろと変えて行きました。過去のチラシには自分の個を出して行こう。それによってお客様が近親感を持っていただけるかなと思っています。このチラシはどういう訴求の仕方ができるのかなということでいろんな所を調べたり、いろんな商店街を見に行ったりしました。大阪に空堀商店街があります。この空堀商店街の周りにはすごい古いお家とか、古民家があってそこをうまく改装してカフェに成っていたり、そこを若者が回遊しているゾーンがありまして、そこへ行ってぶらぶらしておりまして、いろんなカフェに入ったりしたときにすごい変わったチラシが置いてあったんです。店主の似顔絵があって、それがマップだったんです。で、これは誰が作っているんですかと聞くと町おこしのすごいプロみたいな方がおられてということを聞いてすぐその方の名前を聞いて、 Facebook で検索すれば出てきました。すぐメッセージをその方に送って会いたいということで1ヶ月後にその方に会いに行きました。藤田ツキト君といいます。デザイナーなんです。商店街が大好きで、商店街の仕事が大好きというクリエイティブデザイナーの方に出合いまして私の思い、で、商店街の現状を彼にお話したら、ぜひ手伝わして欲しいと行っていただきました。そこにあるチラシは彼と一緒にデザインを起こして考えたものです。理事長になってからそれが定番でイベントがあるごとに彼には手伝っていただいて、どんどん理事長を前面に出そうとクリスマスにはサンタになったりしてこれを続けるとお客様も私の顔も覚えていただいて商店街を歩いているとあら理事長さんと声をかけられることもとありますし、まあ、それはそれでよかったのかなと思って、こういう形で続けていきたいなと思っています。そこにクラフトビール夜市のチラシがございます。もう3年やってまして、夏のイベントを今までやっていましたが夏は暑いのでもうやめようというて秋に移行しまして、わんさかフェスタ、今週土曜日に迫っていますが秋に移行しました。花火がなくなりまして夏は寂しいですしという声もありますし、花火の代替のイベント、お化けのイベントがあったのをご存知だと思いますがその時に商店街としてはそれにコラボして何かやりたいなという私の思いと、個人的にクラフトビールが大好きなのでこれはもう私の独断でクラフトビールで行こうということで役員の方たちもそれで了承していただいて好きなものはいろいろつながるもので、クラフトビール業界の方々とは結構つながっておりまして直ぐにじゃやろうということで関西一円のクラフトビールの社長さんたちが賛同していただいて、そういう事業を行いました。おかげさまでそちらのイベントの方はぜひ来年もやってくれ。毎年やるためにぜひ来年も来年もというふうに言っていただいておりまして、まあそんなにすごい、大きなイベントではないんですけどもレピーターが非常に増えてきたイベントであるなと私どもの中では思っております。そういうイベントをぱっとやると普段商店街に来ない方がこられて、あー商店街やいうことで、それで認知をしていただいて普段も来ていただければ静かなにぎわいが創出できるのではないかというふうな仮説を私の中では作りました。なのでイベントは非常に重要視をしております。なのでイベントも何もない場所にはなかなか、それこそ、すごい魅力的な何かが沢山あるあるんだったらいいんですけども、まぁもちろん平等院さんがあってということもあるんですけども、地元の方も来ていただきたい。もともと宇治橋通商店街というのは地元の方のための商店街ですので、まあそういう方の掘り起こしというか、そのためにもうイベントは必ずやらなければいけないと思っています。で、情報発信なんですけども、先程も言いましたけどもSNS が本当に誰もが簡単にできるように.誰もが簡単に情報が発信できる時代になって、ここは徹底的に情報を発信しようということでFacebook、 Twitter、もちろんホームページ、ここは非常に重要視してやっております。うちの商店街のFBを見ていただくとだいたいわかると思います。今、「いいね」が1400を超えまして、宇治市さんのFacebookにほとんど近づいたぐらい「いいね」をいただいておりまして、やはりイベントの告知をすると大体一つのページに閲覧が大体3万~4万、多い時は5万ぐらいのビユーがあります。で Facebook を見て来ていただいてた方も結構いらっしゃいます。今 Facebook って無料なんですけども実は、あれは有料の広告が可能で、エリアを絞って、男女を絞って、年齢絞って、思考を絞って、すべて絞り込んだとこころへ有料でバーンと送る、すごいダイレクトに送ることができるんですね。これを実は使っていまして、まあそんなに高くもつかずにできるんですけども、それをイベントの時は必ずやるようにしています。そうするとそのターゲット層が反応しているかどうかも全部見れますので、そうすると Facebook を見て来ていただいたりと言うことも非常に最近、実は増えておりまして、有料と言っても本当に何万もかかりませんので価格が設定できるので上限を設定すればそんなに高くかかりません。非常にSNS の広告というのは今後も有効なのかなと思っています。FBをやってますとメッセージ機能がありまして、いろんな方からメールをいただきます。結構、海外の方からメールをいただきます。特に中国、何を書いてあるのかわからないですけどもこれはまた今スマホで翻訳機能があるのでだいたい何を言ったはるのか、わかるのでもう大体で返します。例えばデンタサイクルがありますかとか、どこがおいしいお店ですかとか、いうふうな一番多いのは台湾の方ですね。台湾の方が商店街のFB の方にいろいろと問い合わせがあったりといったこともございます。情報発信に関しては昨年秋のわんさかフェスタ、もうすぐ、10月21日にあるんですけども、昨年ですね、ちょっと早い目に乗っからんなあかんなと思ってですね、ポケモン GO、皆さんもご存知と思います。ポケモン GO が昨年の夏ぐらいからずっと始まってポケモン GO を使ったまちおこしというやり方がちょっとずつ、そういうことをやられる地域が出てきまして、いっぺんポケモン GO を使ってみようということで、ポケモン GO と言えばアメリカのナイアンティックが考えたあの任天堂さんなんですけども、たまたまナイアンティックさんを知っている企業と家の商店街、私はいろいろちょっとスマホの開発とかで繋がってまして、やっていいって聞いたら、うんうんうん1回聞いてみると言われまして、ナイアンティックとかポケモン GO とかの正式なものは使っちゃだめなんですけどもいいですよということで実はやりました。そうすると、それをSNS で発信するとどえらいことになりましてですね、去年は名古屋、横浜からわざわざ、わんさかフェスタのためにこられた方がいまして、ただそういうことをすると今結構、掲示板とかで結構叩かれたりするんですね。商店街が何やっとんねんみたいな、2ちゃんねるとか、いろんな掲示板があるんですけど、まあ結構叩かれて叩かれてナンボかなと。叩かれるとまたそれはそれで有名になれるし、いいかなと思いながら去年はそれをやりました。終わってからも「ポケモン GO 宇治」って検索すると宇治橋通商店街というふうに検索は出てくるぐらい一時スゴかってですね、そのことが Yahoo!の全国版のトップニュースに出まして、そうなると宇治橋通商店街という名前がどんどんひとり歩きを、良いも悪いも1人歩きを去年はしまして、そのわんさかフェスタはもう本当に去年の秋は歩くスペースもないくらい、ほとんど満員電車の中状態でちょっとやばいなと思いつつもまあ、非常に好評も得ましたし、宇治橋通商店街振興組合という名前がママちょっと認知を、特に若い方ですね、認知をしていただいたかなと思っています。今年はですね、お茶の京都博のイベントが今月21日ございまして、それとコラボということで、今年のテーマWith ですね、21日に同じく秋のわんさかフェスタもやるんですけども、ちょっとお天気の方が心配なんです。私は、実は理事長になってからイベントいろんなことをやってきたんですけども、実は雨で中止になったことはまだこの方一度もないんですね。まあ、自称晴れ男と他の方にも佐脇さんがいるから大丈夫やでとか言われているんですけど、今回初めて雨がやばいなと思いながら21日を待ちたいなと思っています。ということで情報発信が大変大事だということでこれからもどんどん発信していきたいですし、商店街の情報ももちろん発信するんですけど、私の理想としては個々のお店も商店街のページで発信したいなと言うふうに、結構それをするとここの店は紹介して、こっちの店は紹介せえへんのかみたいな話になったりするんですけど、一つのすごい店があるとそこに来るお客さんは来るので、どんどんやりたいと思っていますし、加盟店の皆様にはSNS で紹介して欲しかったらいってくださいといっています。そうすると個々のお店を商店街としておすすめをしますのでという活動もやっております。もう発信し続けたらどんどんどんどん広がっていくのかなと思います。そうしてもう一つ、連携。もう一つ力を入れている連携なんですけども、いろんな団体で勉強しているんです。特に強烈に連携しているのは京都文教大学さん。お手元に小さいリーフレットがございます。これは学生といろんなことを10年間、学生たちとずっとコラボをやっていました。10年間は事業の一環としてやっていました。その10年が過ぎ、私が理事長になった時にその事業は終わったんですけども学生の方から手を上げてくれて、佐脇さんと一緒にやりたいという学生が出まして、サークル作りますからやりましょうということで当時9名から始まったんですけども、あれよあれよという間に今は49名、ひょっとすると加盟店の数をぬかすのではないかと言うぐらい勢いの大学生が商店街にわざわざ来て僕らと一緒にいろんな活動をして、イベントの時は彼らの知恵やいろんなことを提案して一緒に今やっています。昨日も彼らと夜遅くまでイベントの打ち合わせをしていましたが地域創生のイノベーションはよそ者、若者、馬鹿者が作るというふうなことは皆さん聞かれたと思います。今は沢山いろんな方が宇治橋通りに出店したいという飲食の方とかいろんなお店の方が、よそ者がちょいちょい来ておられましてですね、若者は京都文教大学さんと一緒にやっている若者が沢山おられます。新しいものがいろいろと生み出されておりまして、じゃあ馬鹿者は誰だということで、これはもう理事長自身がばかものになればいいのかなと思っていまして、盛り上がればなぁと思っております。時間が参りました。そんなわけですみません。とりとめのない話になってしまいましたが宇治橋通商店街、いろいろとワクワクできることを沢山していって、普段静かなにぎわいを創出して、皆さんお買い物していただけたらなと思っております。皆さんも宇治橋通りの方でお買い物をしていただきたいと思います。この辺で終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

こんな事をやってみませんか

 2017.11.30素人郷土史家 素人経営コンサルタント茨木輝樹 皆さんこんにちは。ただいまご紹介いただきました宇治田原から参りました茨城でございます。某食品会社の営業をやってまして、定年になって,また宇治田原へ戻って参りました。今日は鳳凰ロータリクラブの皆様のトップの方のお集まりにうかがわせていただきまして誠に恐縮しております。先程は豪華なランチをいただきまして重ね重ねありがとうございます。神田さんとのお付き合いは先程本人からお話がありました。小さい時からの友達ということでございます。今は私、宇治田原の歴史を語る会というのをやっておりまして.宇治田原で誰も知らなかったことが次から次にわかってきまして、それについてはテレビとか新聞紙にも取り上げていただきました。最近でも一件、京都新聞にデカデカ載せていただきました。そういう一銭にもならない仕事、活動を毎日やっとります。また近々、大きい目玉の郷土史(宇治にも関係する)ニュースが来年の新聞に出ると思います。お読みいただけたらと思います。早速ですが今日は「こんな事をやってみませんか」ということで最初は宇治田原の著名人のお話をさせていただく予定でしたが神田さんといろいろお話している中で会社勤めしている時の出来事をいろいろお話したら、ああそれは面白い。それをやってよって言われまして、それで急遽「こんな事やってみませんか」と言うタイトルで話させていただきます。お手元に資料があります。これは京都新聞の投書欄にあった記事です。たまたま見つけまして、これは立派な会社ですわ。百均のお話もそうですし、メーカーもこういうクレーム対応、我々食品会社におったらクレームというのはわんさかあります。それで、皆様のお仕事の中でもかなりクレームがあったりするんじゃないかと思い、こういうクレームについて今日はちょっとお話させていただきます。クレームに一番、とにかく「すぐ対応する」ということです。クレームというのは会社の職種によって違うと思いますが食品会社の場合は夜のご飯を食べる前に電話がかかってくるわけです。晩ご飯を食べる前と言ったらもうお腹が減っているからとか、もう髪の毛が入っていた、石が入ったためか、そういう食品会社へのクレームというのはすごいものです。私の勤めていた会社も今はもう減っていると思いますけども、我々が20代、30代の時はかなりクレームがございました。例えばどこかの何々を買ったら石が入ってた。こういう話はすぐ皆さんに伝わるんです。女性というのはすぐそういう事があったら近所の人に喋りまくります。そして聞いた人は「あそこ、やめとこうか」ということになります。3年ほど前に経験したことなんですが、我々小学校、中学校の時の同窓会をあちこちでやりますけども宇治のあるところで同窓会をやりました。真冬というのにぬるいお酒が出てきました。それで幹事がこんなぬるい酒はあかんというたら今度はもう舌が火傷するぐらい熱いお酒が出てきたわけです。それでみんなが怒ってしまってもうここの店は絶対行かんとこ。毎年そこ行ってましたがそんなことがあって、そうやって客を失うわけですわ。だから顧客1人を捕まえるのは難しいですが5人10人なくすのも簡単なことなんです、今の時代。それがテレビとかで放送されたらますます減っていきます。それから逆に一つよかったところ。くら寿司、皆さんご存知だと思います。この間そこへ行って昼、赤だしを飲んだら、いつもよりちょっとぬるいんです。それで女の子に「ちょっと今日の赤だしぬるいね」といったら現場の方が飛んできて、「いやいや申しわけございません。すぐ取り替えます」と言ってちょうど私半分ほど飲んでいたんですがいやもう結構ですと言いました。それで一件落着したと思っていたら、今度レジでお金を払う段になったらその方がまたレジのところで「きをつけ」をして申しわけございませんでしたと挨拶をしていただきました。だから、こういうところがあるならまた行こうかなと言う気持ちになるんですよ。だから皆さんのお店でもそういう経験がおありじゃないかなと思います。だからそのためにどうするか、こういう話はあまり経営コンサルタントは教えてくれないのですね。ともかくすぐ対応すること、これが一番です。で、電話で済む要件と相手のお宅へ訪問しないといけないとか、いろいろあります。今日は皆さんに言いたいのは私が務めていた会社が大阪にありますがやはりクレームがあった場合にすぐ対応するということで会社を定年になった方、OBなんかをあちこち配置していまして、何かクレームがあったらどこそこの何とかさんへすぐ行ってくださいとこういう電話連絡をすれば早い時で30分ぐらいで相手さんの家に行くわけです。そして相手さんが「やあ、メーカーからわざわざ来てくれた」ということで一件落着というケースが多々あります。それともう一つ、クレーム処理というのはメーカーが挨拶に行ったら、手土産を持って行きます。今は専門の社員がいますからいいんですが我々若い時は自分たちでクレームのお客様の所へ行く時には手土産を何か提げていくわけです。ところがそれに味をしめてあちこち電話する人がいます。実際に今もいます、聞いてみたら。それで、そのために大阪ではそれなりの食品会社が何社か毎月1回会合しまして、それで特別の問題な人、例えば山田花子さんという方が宇治市のどこそこに住んでいる。山田明子さんがこういうクレーム言ってきました。そうすると他の会社がうちもその人がいます。うちにもその人がいます。そういうケースが多々ありました。それで昨年、その人が警察に突き出された記事を見ました。そういうケースもありますから皆さんの中でもそういう経験をされている方がいると思います。対策として宇治の中で結成され、クレーム係が集まって話し合われたらいかがかなと思います。このクレーム処理は大変なことなんです。それとテレビなんかで各会社がコマーシャルを出しています。そのメーカーは普段、車なんかに看板を出していません。例えば味の素であるとか、アサヒビール、キリンビールとか、そういう会社の車には名前が書いていません。名前を書いているのがコンビニのセブンイレブン、そしてローソン、ファミリーマートだけです。これはなぜコマーシャルしていないか。皆さんはご存知ですか。悪質な客がいるんです。どこそこで昼寝しとった、こういう話がメーカーに電話がかかってくるんです。そしたらメーカーとしても大変恥ずかしいことです。もう一つ、事故をした場合、ものすごく目立つわけで、看板をあげていると。アサヒビールやから金を取ったレ、味の素の会社から金を取ったれ、こういうことになりますからどこのメーカーも社用車には小さく名前が入っていますがデカデカと宣伝していません。気をつけてみていただいたらほとんどの会社がそうです。もう無地の車で走っています。今は食品会社を含めて大企業はみんなそういう実態になっております。このクレームに対する訪問の件は今お話しましたようにとにかくすぐ対応するということが一番の条件でして、クレーム対応の0120をつけていらっしゃる会社もございますけども、皆さんの会社でもそういうところには専門の方がいらっしゃると思いますがクレーム担当を直接1人誰か専任でおいていただいたらいいのではないでしょうか。経費が苦しい中かもしれませんがクレームで客を失うというのはもう最大の困った出来事でございます。次は誕生日のお祝い、これも効果があるんです。皆さん今でもお中元とか、お歳暮を送られている会社があると思います。これは今の時代そういうことをやめて顧客でも立派なお客さんがいらっしゃいますね。そういう方の奥さんを捕まえるわけです、お客様の奥さんを。それで奥さんの誕生日に社長ではなくて奥さんの誕生日にお花を持っていくわけです。それも社長直々に。相手さんは!しゃはります。あれ、うちのお父さんはあそこの社長とこんな親しい間柄かなということでびっくりされます。というのは会社では社長であっても家へ帰ればそのお父さんと子供は平社員です。お母さんが社長です。おじいさん、おばあさんは会長です。だから会社で偉そうに社長ってやっているけれど家に帰ったらやっぱり嫁さんのお尻に引かれているわけです。その嫁さんの機嫌を取るためにやはり相手さんに花を持っていく。ただその花も日頃の、日常の何気ない会話でうちの嫁はん、例えば青いバラに興味を持ってましてというような、さりげない会話で相手さんの嫁さんの好みを聞くわけです。花が嫌いという奥さん100%いらっしゃいません。どこの奥さんも花が好きです。それで、もらったら喜ばれます。我々会社にいる時にある社員がこの提案をしまして、それからずっとこれをやっていました。ものすごく効果があります。これはぜひ皆さんやっていただきたいです。あんたとこの奥さん誕生日いつやとか、どんな花が好みだとか、それは面と聞けませんので普段の何気ない会話でそういうことを掴む。これね、ぜひやってください。間違いなく成功します、はい。それの前提となるのが社長や企業のトップが行くということです。そして会社でも従業員の誕生日のお花、何かを送られているところもあると思います。その時は本人よりもやはり奥さんに何か差し上げていただきたい。旦那より奥さんにプレゼントすることがどれだけ効果があるか、これは実際やっていただいたらよくわかります。私は、これは自信を持って今日皆さんにおすすめします。次に会社訪問者、工場見学者、結構皆さん工場を経営されている方でしたら新規のお客さんが工場見学に行く。或いは旅館、ホテルを経営されている方だったら団体さんが事前にその幹事の方が下見に行かれる。そういうケースが多々あると思います。その時に赤いカーペットを、赤いカーペットをバ-ンと敷くわけです。で、我々、普通カーペットと言ったら国会議事堂を思い浮かべます。これはなぜ赤いカーペットが効果があるのか、私も勉強しました。これは赤いというのは太陽の赤、血液の赤、それから火の赤、こういうものを見ると人間は心の底からフアーと気分が高揚してくるわけです。だから古来、外国でも赤いカーペットというのは神様が通るところであり、高貴な方が通られる道ということで外国でも日本でもやはり赤いカーペットというのが昔からあります。だからお宮さんはいまだに赤をやっています。ですので、一度赤いカーペットを敷いていただいて、それなりのお客さんが来れる時に敷かれたらどうでしょうか。これも効果がありますよ。国会議事堂以外で普段、赤いカーペットの上を歩く人ってまずないでしょう、我々の日常生活で。それなら一度経験してみたら、やあ、すごいもんやな。私は会社で何回か歩き(お客さんのいらっしゃらないところで)ました。やはりね、気分がファーとなってきます。これもぜひ皆さんやってみてください。それと俺は今日どこそこの会社へ行ったけども赤いカーペットの上を歩かしてもらった。あんな生まれて初めて、いいもんやわ。こうなると思います。これもぜひお願いしたいと思います。お礼状の件ですがこれが業種によっていろいろ出し方がございます。私が勤めていた食品会社では新規取引で新しい会社を訪問した時には先日は云々かくかくでいろいろお世話になりましたという事でお礼状を差し上げます.私が九州へ新婚旅行に行きました。そこのホテルから毎年手紙が来ました。一口で言うとまあ、元気で暮らしているか、お子様は産まれましたか。そしてその時のエピソードは書かれています。私の嫁はんが私と一緒に風呂に入るのはいややと言って風呂に入らなかったんです。それで私がそこの旅館の仲居さんにその話をちょっとしたんです。そしたら、そのことを覚えていてくれて、あの時、奥さんこうでしたけども今は一緒にお風呂に入っておられますかというような手紙が書かれているわけです。それで嫁さん、こんな事も書いてあるぞと言って笑い話になりました。やはり子供が生まれてから5,6年ぐらい手紙が来ました。結局はまた子供さんも連れてうちのホテルへ泊まりに来てください。そういう文章でございました。私はそういうことはものすごく大事であるとあるなと思います。食品会社や旅館の方は特にそうなんですが手の爪、これは綺麗にしてください。私がちょうど24、5歳の時ですね。スーパーのダイエーの全盛時代です。で、こういう企業の集まりがあって私も参加していたらその当時の社長が皆さん手を見せてというわけです。手を出せばお前はだめだ、お前もだめだというんです。何が、爪が伸びているんです。食品会社に勤めていてその爪はなんだ.汚い。テレビでも調理人が刺身を切っているところ.見ても汚い爪で料理している。あれを見ると食べる気がしませんやんか。私は今でもそれを気にしています。気をつけています。特に女性はね、男の顔を見るよりは爪を見るという声が多いです。爪は綺麗にしてください。私が勤めていた会社では食堂に爪切りを置いていました。例えば私が食べていてちょっと伸びてるなと横の人が注意をしてくれる。やはりお互いが爪を綺麗にする習慣をつける。これは何も食品会社だけではなくてどの業種さんでも同じだと思います。爪を切るなんてなんでもないことです。これも絶対やっていただきたい。まあ、簡単にいろいろ申し上げましたけども、私の今日、申し上げたいことはこう言っところでございまして本来ならこれは経営コンサルタントだったらこういうお話はしないと思います。これは我々が経験してきて成果を上げたことを今日皆さんにお話をしていまして、もっと深く入っていけばまだまだいろいろしゃべりたいことはあります。で、私の勤めていた会社には成功事例というのがございます。その成功事例をずっと貯めているわけです。で、これをやらなあかん、あれをやらなあかんという様はもう最終的には基本に戻るということになるんです。ごく当たり前のことが当たり前にできてなかった時代もございまして、昔30年、40年と今と比較しますと今は昔のようなことはありませんがただ怖いのは消費者の悪口ですね。あこのスーパーの店員は態度悪いわ、店員さんの態度が悪いというのはすべての人がという事ではなくて、1人でもそういう方がいらっしゃったらあこのスーパーは悪い。あそこの酒はぬるかったという言ったら今日もぬるいんかいなと思われる。結局、一つあったことがもう全てであるようにみんなに思われますので特にそういう面では気をつけていただきたいと思います。お客さんを失うのは簡単です。これも私事ですがグルコサミンをご存知でしょうか。私は大正製薬のを持っていました。定期的に毎月送ってくるんです。クレジットカードで支払いをしていました。クレジットカードの期限がいついつ切れますから新しいカードの有効期限を教えてくださいと通知が来ましたが気がつかずに放置していたらいつの間にかそのグルコサミンが来なくなりました。で、大正製薬になぜ来ないのですかと尋ねたらおタクさんのカードの有効期限の連絡がないから送るのをやめましたということです。向うにすれば俺の金がないから止めたのかと思われるけれども、そうしたら、そのために定期的に取る前に電話とか住所とか全部登録していますやんか.そうしたら電話1本であんたとこ、まだ有効期限の連絡がありませんがどうなっていますかと一報ぐらい言えばいいでしょう。それすらない。一方的にパサっと切られたからこんな会社だめだということで皆さんご存知でしょうか、大正製薬のリアップ、頭にずっとつけていましたがもう腹が立ってもう、それもやめました。だから、自社で一つでもそういうことがあると次から次、そのように波及してくるわけです。そして私はどこでも好きなことをしゃべっていますからお前、大正製薬のもの、リボビタンデーというのがあります。それが好きなやつが私の周りにいます。「お前な、リボビタンデーなんかもう飲むなって」結局そうなってしまうんです、ちょっとしたミスから。だから皆さんも気をつけていただきたい。そういうクレーム言うたらまだキリがない。上新電機、これはまあ、皆さん、上新電機さん関係ございませんよね。いやもう上新電機さんで私、パソコンのプリンターのインキを買うために空箱を持っていってこれと一緒のくださいと言って、帰って入れようと思ったらサイズが合わない。それでおかしいと思って2、3日してから 上新電機行きました。上新電機どないいいました?レシートはというわけですね、実は。それでいつ買いましたか?こうこうや。これ空箱を持ってきて説明したから、その時の担当者を呼んでくれと言うたらそれはできません。こういうことですわ。それでね、上新電機にね、いやそりゃあね、レシートなんかね、そんなもんすぐ捨ててしまう。で、その担当者なんで呼べないのですかと尋ねたら会社の規則です。その担当者、俺に担当してくれた担当者呼べばわかるはずなんやけどね。呼べません。それじゃもう結構ですいうて。そしたらヨレヨレの服を着てかばんを下げた人が俺のところ来るわけですわ。どういう事ですか、店長なんです。店長が万引きを見つけるために何か変な格好してかばんを下げて店内を歩いているんですね。私も知らなかったです。いや、それはそれで会社の方針でいいと思いますがこれは誰がみても店長には見えないです。そんな姿をして万引きを見つける。そういうことをされていましたがパソコンのインキを買う時にそういうトラブルがあってそれ以後上新には行かなくなって、他の連中にももう上新電機は行くなよと言っています。いろいろ変な事を申し上げました。時間が来ました。これで失礼させていただきます。ありがとうございました。

ガバナーアドレス

2017.10.10ガバナーアドレス2650地区ガバナー 田中 誠二改めまして皆さんこんにちは。ただいまご紹介ございましたように国際ロータリー2650地区の2017~18年度のガバナーを拝命します田中誠二と申します。1年間どうかよろしくお願いをいたします。さて、ご案内の通り、私は6月11日で還暦を迎えさせていただきました。人生の60年という大きな節目を迎える中、ガバナー職を拝命させていただきました。1年間自身の使命を全うするよう、意思と覚悟を持って取り組ませていただきたいと思います。どうかよろしくお願いいたします。さて、今日は宇治ロータリークラブさん、そして宇治鳳凰ロータリークラブさん、この二つのクラブの合同公式訪問例会の開催ということで早朝より市内から楽しみに出て参りました。まずは2クラブとも共に2年間連続して合同での公式訪問、例会開催のご理解をいただきましたことを改めて御礼を申し上げます。宇治ロータリークラブさんは2年後に60周年、そして宇治鳳凰ロータリークラブさんは2年後に30周年をお迎えになり、それぞれクラブでは創始の哲学や想いを大切に、先達ベテランロータリアンの皆さん方々のご努力でクラブの発展に尽くされ、現在に至るまで50名近い会員を維持されながら地域に根差した奉仕プロジェクト、或いは奉仕の精神を国際的にも広げる卓越したお取り組みをされていることに改めて敬意を表し、感謝を申し上げます。さて、まず始めに、ガバナーの公式訪問の役割について、皆さんにご紹介したいと思います。まず一つ目はロータリーの会員の皆様方の最大の関心事について詳しくわかりやすく説明せよという役目であります。それはとりもなおさず今年度の国際ロータリー、イアン・ライズリー会長の年次テーマであります「Rotary: Making a Difference (ロータリー:変化をもたらす)」の言葉に集約されたライズリーRI会長の想いと、今年度国際ロータリーの運営の構想について、今日はそれを中心にお話しさせていただきます。このRI年次テーマを受けて地区スローガンを「愛着と誇り」に定めさせていただきました。後半は、「愛着と誇り」のスローガンに基づく私の想いと1年間の地区運営についてアドレスいたします。二つ目の役割、これは皆さんご存知の通り、私たちロータリアンは日々の例会や奉仕事業への参画を通じて、ロータリアンとしての奉仕の志、心を磨き高めることを大きな使命としています。もっと一歩踏み込んで言うならば、ロータリーは、多様な実業人、職業人の集まりでありますので、職業を通じて私たちは地域社会に日々貢献し、それぞれの職業を高潔なものにし、倫理を重視しながらそれぞれの仕事の道徳的水準を高める努力をしています。このことに加えて私たちは、ロータリアンとして奉仕の精神を磨き、心を高めることのみならず、具体的に地域の課題に対してソリューション、問題解決を提供する。或いは地域の具体的な助けの声に手を差し伸べる形で奉仕事業を組み立てるといった具体的なアクションを引き起こすことが求められています。換言すると磨いた奉仕のマインドを行動に移し、奉仕活動を実践展開すること、ぜひ、奉仕事業に参加くださいということを私はみなさん方に啓発する役目があります。既に、私が申しあげる前に2クラブともに奉仕事業については、我が地区に97クラブある中で、卓越した奉仕活動を実践いただいています。例えば宇治ロータリークラブさんは先日も洛南タイムスに取り上げられましたスリランカの子供たちに食育の事業を展開しながら地域の課題である栄養の改善と普及活動に取り組んでおられます。私も存知あげませんでしたが、スリランカでは若い世代の糖尿病、これに悩む方が非常に多く、食生活の改善を通じながら地域社会を豊かに健康にして行こうという取り組みはまさにライズリー会長が提唱される「人々の人生をプラスに変え、地域に変化をもたらす活動」であろうと思います。また西 宇治 地域の助けを求める声に応じて、中国からの帰国子女の方々に対する様々な支援活動を宇治ロータリークラブさんが一生懸命になって地域と連携して日本語の能力の向上、識字の向上を含めた大きな貢献をこれまで長年されていることは大変素晴らしい地域に根差した奉仕プロジェクトでもあります。さらに、宇治鳳凰さんでは、我が国で初めてウミウの人工ふ化に成功したことに着目され、これを大きな地域経済の目玉にし、そして子供たちにとっては郷土愛や地域の誇りにつなげていく奉仕事業を展開されています。このウッティーの支援事業、これは3年間限定でやろうという枠組みの中で、ロータリーの支援が終わった後も地域が自立して、この郷土の宝を大切に育み、そしてこの事業を持続可能な地域の発展、創生につなげていこうという大きな志の下で展開される奉仕事業の取り組みだと私は思いました。このように、2クラブともに親睦と奉仕を大切にして、これらを連携・融合させることで、クラブの発展につなげて行こうという想いが藤井会長、切地会長の所信からかいま見ることができます。それぞれのクラブの志が奉仕の人の和の広がりとなってクラブの発展にこれから大きく貢献し、私たち2650地区にもプラスの影響を与え、変化をもたらすことに繋がるものと確信します。改めてライズリー会長のプロフィールについてお話しします。イアン・ライズリーさんはオーストラリアのご出身です。オーストラリアをご存知の方は地図を思い浮かべていただきまして、メルボルン市と言うオーストラリアで2番目に大きな街があります。そこから20分ほど北東に行ったところにサンドリンガムという街があります。そのサンドリンガムロータリークラブのご出身で、奥様のジュリエットさんも実は同じくロータリアンでガバナーの経験者でもあります。サンドリンガムロータリークラブは、会員数が27名で、比較的小さな規模のクラブからRI 会長が輩出されました。ライズリー会長は自分のクラブのことを次のようにおっしゃっています。クラブ会員数の多寡に関係なく、世界の地域の課題を解決するために、或いは、地域からの助けの声に応じて手を差し伸べるために、ダイナミックでインパクトのある奉仕事業を世界のロータリアンのネットワークを上手に活用しながら企てて、実践できることがロータリーの醍醐味であり、良い点であると明言されました。ガバナーになるにはいくつか関門があります。ガバナーノミニー及びガバナーエレクトの2年間にわたって RI から指定される研究会、研修会、或いはセミナー、諸行事に必ず参加することが義務付けられます。この間に改めてロータリアンとして資質を高め、ロータリーの知識を深耕することに努めよと命令が下るわけです。ガバナーになるための勉強の機会の集大成が、毎年1月に米国カリフォルニア州、サンディエゴという軍港の町で8日間にわたり開催される国際協議会への参加です。これがガバナーエレクトとしての最後の研修会、セミナーとなるわけです。ここには全世界540の地区からガバナーエレクトが集まり、その多くはご夫婦お揃いでの参加ですから大体1000名規模のコンベンションです。ご夫婦と言っても539のうち103名のガバナーエレクトは女性でいらっしゃいますので、その場合はご主人方のご同伴でした。国際社会ならではと思ったのは、夫婦が正式な婚姻の関係でなくても、パートナーとしての登録が許されるという、そういう仕組みでありました。話が脱線しましたがこの539のガバナーエレクトが世界中から集まった国際協議会の席上、最初の全体会議でガバナーエレクトのライズリーさんの肉声を聞くことができました。それから何回か全体会議、そして分科会、或いはランチ、ディナーもラウンドテーブルで、ディスカッション形式でパワーランチ、或いはワーキングディナーと称してまさに8日間ロータリー漬けの日々を送らせていただいたわけです。  ライズリー会長の複数のアドレスの中で重要な視点をいくつか紹介したいと思います。ライズリーさんはロータリーの集会は全世界どこに行っても共通点があります。それはロータリーの会合にはロータリアンの良き心の香りがするとおっしゃいました。会場に特に特別な匂いや香りは実際はしないんですけれどね。  ただ昨年は皆さんよくご存知の通りアーチ・クランフが1917年にアトランタの国際大会で世界に良いことをしようということでロータリー財団を建立しました。最初に申し上げたようにロータリアンとしての私たちの務めは奉仕の心を磨き、高めることのみならず、その行動、具体的な気持ちの証として奉仕事業に参画する。奉仕を組み立て実行していくこと。これも私たちの大きな役割であるということを申し上げました。アーチ・クランフが建立したこのロータリー財団は100年にわたり世界中に人道奉仕を中心に奉仕事業を展開してまいりました。ポリオ撲滅運動もそうですし、識字率の向上や水と衛生、母子の健康、疾病の予防、地域の経済発展や紛争の解決等様々な観点から奉仕事業を世界中のロータリーネットワークを使って運営をしてきたのがロータリーです。 その実績の後押しをしたのはいうまでもなくロータリー財団であるということは衆目の一致するところではないかと思います。そしてこの本日の例会もそうですけれど、みなさん方の良き心、奉仕を通じて地域社会をより豊かに、そしてそれがひいては世界の平和と繁栄につなげていきたいと言う一人一人の志がその良き心としての香りをかもし出したのではないかと思いました。さて、 ライズリーさんの「Rotary: Making a Difference (ロータリー:変化をもたらす)」このメッセージは大変シンプルであります。それは私たちの奉仕活動を通じて人々の人生をプラスに変える。そしてそのことが私たちの地域に、国に、そして世界に変化をもたらし、やがては私達ロータリアンの一人一人の心の中にプラスの変化、これはより良き人生を歩んでいるという実感、或いは奉仕事業を通じて少なくともこの人たちの人生を、おこがましい言い方ですがプラスに変えたねと言う実感。そのプラスの良き心の充実感がクラブにあるからこそロータリアンは長年これまでもこれからも地域をクラブを愛し、それぞれの発展に尽力する、そういう変化をもたらす。そういう一年にしたいというのがライズリー会長の想いであり、願いであります。そのように見ると私たちはロータリアンとして少なからずロータリーに入って自分たちの人生がプラスに変わった。これは人との出会い、そして様々なこととの出会い、それぞれのクラブにおいて、ロータリアンとしての充実した奉仕と人としての成長の実感が共有されるからこそ、これまでクラブに所属することが楽しくて、そしてそれが次なる奉仕への気持ちに繋がっていくのではないかと思います。ライズリー会長は、私達ロータリアンが地域や世界にプラスの変化をもたらして来たからこそ、私たちのクラブ、ロータリーの存在価値は高められたとおっしゃっていました。さて、ロゴをご覧ください。実は私、国際協議会に行くまではこのロゴに対してあまり関心を寄せてはいませんでした。ライズリー会長はじめスタッフの皆さんは、国際ロータリーの年次テーマを広めるために1年間の思想設計、コンセプトである年次テーマの概念をマーク、ロゴに表現することに大変力を注ぐとおっしゃいました。今年度のロゴについて少し触れさせていただきたいと思います。余談ですが、毎年、このような「ロゴ」を作成するのに大変な時間と労力が傾注されます。そしてそれはそれだけ大きな意味合いが込められているということです。丸の中に高さの違う円柱があって、そしてそれぞれに色合いをつけて、居並ぶような形で位置しています。これはとりもなおさず人種の壁、或いは国境、言葉の違い、或いは国の社会体制やジェンダーの違いがあるかもしれませんがそれぞれの異なりをロータリアンが認めながら相互に敬愛して力強く奉仕の理想に向かって、高みを目指して全世界で活躍している様子を示したのがこのロゴだそうであります。200の地域、国にまたがり、123万人の国際組織であるロータリーが、その年次テーマをわかりやすく会員の皆さんに伝え浸透させるために、自分たちの思想設計をロゴの中に凝縮させて、造形化することに心血を注ぐという手法に対して、改めてなるほどなと腑に落ちました。このように考えてみると皆さん昨年のアメリカ合衆国ご出身のジョン・ジャーム会長のロゴを覚えていらっしゃるでしょうか。或いは2年前のスリランカ出身のラビンド・ラン会長のロゴを覚えていらっしゃるでしょうか。ご紹介しますとライズリー会長年度のロゴは、この円柱でしたけれども、前の会長、お二方に共通するのは、地球儀をモチーフにしたロゴでした。ジョン・ジャームさんはアメリカ出身ですので、世界地図の中心には北アメリカ大陸が大きく描かれています。日本は多分その裏側に位置するはずですから全く見えません。  ラビンド・ランさんはどんな世界地図、グローブだったかというと中央に大西洋です。我々日本人になじみのある地球の地図というのは太平洋が真ん中です。だから日本はちょうど真ん中に位置します。ラビンド・ランさんは大西洋が真ん中で、右がヨーロッパ、アフリカ大陸、左が南北アメリカ大陸で日本はちょうど裏側にあってこの年のロゴも見えませんでした。これは何も国際ロータリーが日本パッシングをしているという事ではなくて、改めてライズリー会長は、ロータリーも世界も人が中心で、真ん中であることを私たちは忘れてはならないと仰っているように私は感じました。といいますのも2016年の規定審議会の結果を受けて様々な柔軟性がクラブにもたらされることになりました。これは定款に例外規定を設けてクラブが柔軟性を発揮できるように細則でその例外を定めることができるようになりました。ちょっとおさらいになりますけども、例会は月2回以上でいいよ。或いは会員の資格は従来の正会員、或いは名誉会員に加えて法人会員、准会員 、家族会員を設定しても良いし、ローターアクターも二重会員として在籍することが細則で決められるということになりました。また、会費や入会金に関しても、これまでは平等の原則であったものが会員資格に応じてとってもとらなくてもいいし、入会資格に応じて変えてもいいと言うことになりました。これをもってライズリー会長は、2016年の規定審議会の結果を受けて、どのようなクラブの仕組みにするか、クラブの運営に変化をもたらすかは、これは所属するロータリアン、そしてクラブが決めること。RI がああしてくれ、こうしてくれということは一切ありませんと言うことをおっしゃいました。それからもう一つ重要なことは、ロータリー112年の歴史の中で、全世界123万人の会員、そして35000以上のクラブ、これを繋いできたもの、これは改めて「倫理の重視と超我の奉仕への献身」。繰り返しますと「倫理の重視と超我の奉仕への献身」。これはこれからも今までも変わりがないロータリーの普遍的な原理、プリンシプルであることを強調されました。そして私たちの言葉で言うとまさに不易流行の視点で、ぜひクラブの柔軟性は様々いろんな形で反映はできるけどもロータリークラブとして倫理の重視、超我の奉仕への献身、これだけは変えないでください。これが私たちロータリーの中核的な、普遍的な精神であり、これからも新しい世代に対して伝え育み、守るべきものというふうに明確におっしゃったのが大変印象的でありました。最近のRIのシニアリーダーや歴代RI 会長のアドレスの中で、超我の奉仕への献身と倫理の重視について、ライズリー会長ほど強調された年度はなかったと記憶しています。人道奉仕の重点化に向けて積極的に奉仕プロジェクトを企て、設えて、やり遂げることに加えて、公共イメージの向上、クラブの基盤の強化等の戦略的優先項目を中心に取り組んでいくことは、各クラブ、地区ともにたいへん重要な領域ではあります。そして、守るべきものは守り、変えるべきものは変える中でロータリーの普遍的な精神であります倫理の重視、超我の奉仕への献身が改めてRI 会長のアドレスの中で強調されたことに対して私は少なからず大変感銘を受けた次第でありました。大いにインスパイア、触発され、やる気になりました。今まではいろんな迷いがありましたけれども、やはりロータリーはこうなんだ、これでいいんだという確信に満ちた想い、ロータリー観を描けるようになったわけであります。改めて1923年のセントルイスの国際大会で採択された社会奉仕の声明文に描かれたロータリーの基本理念を思い出しました。ロータリーとは基本的には人生哲学で私たちの心の中には二つの気持ちがある。一つは自分自身の利己的な気持ち。もう一つは、一方で世のため、人のために尽くしていきたい。日本語で言うと利他的な気持ちを大切にしたい、この利己的な気持ちと自他的な精神、この二つの二律相反する気持ちの対立軸、相克(そうこく)に対してこの迷いを和らげるのが超我の奉仕だと決議23-34の中では解説をされていました。さて、これは超我の奉仕を理解するのに大変わかりやすい声明文だと私は解釈しています。超我の奉仕、Service above Selfというのは大変難しい概念ではありますけども、私はこれを自分の人生の座標軸を自分軸のみならず世のため、人のためという広く社会、世界に座標軸をおいて、常に職業や奉仕活動を通じて地域社会に貢献する姿勢を持ってロータリアンとして取り組んでいくことと理解しています。その取り組みの原点がこの超我の奉仕であろうと実は私は思っております。そのように考えるとロータリー112年の歴史の中で私たちは超我の奉仕や倫理の重視を謳ってきたけれども地域社会、或いは世界の情勢はどうであるか、ライズリーさんはこのようにもおっしゃいました。今も昔もずっと道徳の危機、或いは紛争の危機、これは終わらない課題で、だからこそ地域社会に私たちロータリークラブが必要ではないかと強調されました。つい最近、日本においても世界で活躍する上場会社の倫理にもとる不祥事がありました。こうした事案、事件を見るにつけ、私達のロータリーの精神はこの時代だからこそ地域社会に必要ではないかと思いますし、ロータリーの哲学は、社会が求める規範意識ではないかと改めて思う次第であります。ライズリー会長はクラブの自治、自立、自主性、これが守られてこそ、そして実践されてこそロータリーの発展があるともおっしゃいました。そういった意味でこれから、ライズリー会長が提唱される持続可能な発展をクラブに反映させるという視点で、60周年、そして30周年を目指されるそれぞれのクラブのみなさん方が会長を中心にぜひ未来志向でこうありたいという理想の未来像を描いて、ロータリーは単年度制ではあるけれど、会員増強や奉仕事業を中長期の観点から少なくとも直前会長、会長、会長エレクト、会長ノミニーの4世代が連携して構想され、取り組む必要があるのではないかと思います。最後になりますけども、22世紀を迎えるとき、ロータリーは、それぞれのクラブは、存続できているのだろうか?私たちは今、まさに真価が問われる時代を生きています。80年後、自分たちは生きていないから関係ないというのではなく、将来を見据えたダイナミックな視野を持って私たちの活動を見直し、どのようなクラブにしていきたいのかを考えていく必要があります。ロータリーの奉仕の精神を次世代、さらに次々世代に伝えていくために、ともにさらにもう一歩踏み込んで考えていきたいと思います。是非、様々な観点からこれからのクラブの発展について、クラブに所属するみなさん方が若い世代、或いはシニア世代、老壮青、男女、バランスよくそれぞれのロータリー感の違いはあるけれど、考え、行動していただきたいと願います。私たちの人生にとってロータリーは何を意味するのか、我々にとってロータリーは何なのかを考え、それぞれのロータリー観を温め、そして自分たちの仕事、地域、クラブ、それぞれに愛着と誇りを持ちながら是非、クラブ内でロータリアン同士がその思い談論風発いただきビジョンを描くことで素晴らしい2017-18年度を築いていただきますことをお願い申し上げて私のアドレスとさせていただきます。本日はご清聴ありがとうございました。またちゃんちゃんこをありがとうございました。