俳句の楽しみ

2019 2.21

俳句のユネスコ無形文化遺産登録に向けて

株式会社 京都ホテル 代表取締役社長 

福永法弘(京都ロータリークラブ会員)

失礼いたします。林様よりご紹介いただきました京都ロータリークラブの福永と申します。私、京都ホテルの社長をしております。皆様いつも、京都ホテルオークラを、そしてからすま京都ホテルをご利用いただきまして誠にありがとうございます。御礼申し上げます。今日はそのホテルの話とか、京都の観光の話、そんな話ではございません。私の趣味か仕事か、どっちが本業かよくわからないぐらいの時間を使っています俳句の話をちょっとさせていただきます。

私は20代の頃から俳句をやっております。もう40年以上になります。俳句は年寄りの趣味という風に思われがちですので、今63歳と6ヶ月になりまして、やっと年齢相応の趣味になったかなと思っております。

さて、中高年の三大趣味ということが世間では揶揄的に言われております。一つはカメラ、そして俳句、もう一つは寺めぐりだそうです。

カメラは何となく芸術家のような気分になれる。俳句は何となく文学者気分になれる。寺巡りは、これはあまり言いたくはありませんが、そろそろお迎えが来るかもしれないのでだんだんそちらの方の覚悟を決めるための準備をする。それがすなわち中高年三大趣味です。

で、今日はそのうちの俳句の楽しみということでお話をさせていただきます。そして特に、実は私は俳句をユネスコの無形文化遺産に登録しようという協議会の理事をやっておりますので、その話を中心にさせていただこうと思います。

まず、俳句を語る資格があるのかということですがちょっと肩書きだけを紹介します。

私は公益社団法人俳人協会の理事をしております。俳句の団体は日本で4つほどございますが、そのうちの最大規模の協会の役員を今6年ほどやっております。協会の正会員は1万5000人ほどです。その他、賛助会員といたしまして、いろいろ結社が入っております。俳人はだいたい、結社というものに所属し、俳句活動をしておりますが、それが大体20万~30万人ぐらいおられます。

そして、今日の主題でございますところの、ユネスコ登録に関しては、俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会の理事をやっております。

俳句そのものは「天為」という結社で活動しております。主宰は東大学長、文部大臣などを歴任された有馬朗人先生です。ノーベル賞の候補にも何度かなったといわれておりますが、昔は、日本政府があまり力を入れてなかったので、残念ながら取れませんでした。1500人ぐらい会員がおり、私は今、そこの同人会長を務めております。

それから私、個人的に石童庵という、小さなグループで俳句を中心とする活動をしております。

仕事の傍らいろんなものを書き留めるのが趣味でございまして、さすがに30年、40年やっていますと結構たまっているものですから、何冊か本を出しております。句集は3冊、俳句とエッセイが4冊。小説や評伝などもございます。転勤族でしたので北海道、鹿児島、千葉、東京などを点々としながら、書き続けてまいりました。いろんな新聞に連載も持ちましたが、今ちょうど京都新聞にも「季節のエッセイ」を連載中です。その他小説で賞を取ったこともございます。

俳句がらみで一番の自慢と言うべきは「歳時記」だと思っております。これは角川書店が大歳時記というのを10年ぐらい前に改訂しまして、私はその時に季語の解説者の一人として参加しました。どの季節にはどういう季語があって、それはどういう解釈をするべきかという解説文を書いたのです。歳時記は俳句の根本だと思っています。

以上のような感じで、仕事の傍ら、俳句を中心とする文筆の方にも力を割いておりました。

本題に入ります前に、まずは一句、私の俳句をご紹介したいと思います。これは4年ほど前に出しました第三句集、『福』という句集に入れている一句です。

父母(ちちはは)の旬なる昭和福寿草

もうすぐ平成も終わりますけども、これはそれよりもっと前、昭和を偲んでの一句です。私の父親は裏千家の大宗匠より一つ上の大正13年生まれで、昭和63年に亡くなりました。従いまして、その人生が全く昭和と重なるということであります。父母は昭和という波乱の時代を、旬な人生として生き抜いたという意味です。この句はあちこちで褒められまして喜んでいましたところ、母親が半ば怒って言うには、「私はまだまだ長生きする。私の青春はお前の父親が死んでからだ」とか何とか言って、カラオケだ、ダンスだと遊び歩いております。昭和どころか平成ももうすぐ終わりますが、まだまだ健在でございます。

大宗匠は96歳、今年、年男で大変お元気でございます。私の親父が生きていたとしても、こんな風に元気で暮らすことが出来るのだろうかと、ふと考えることがあります。33年前に亡くなりまして、つい先週、墓参りを済ませてきたばかりです。広島で原爆に遭い、残念ながら60歳で脳腫瘍を発症しまして3年ほど寝たきりの後に他界をいたしました。様々な思いを込めて作った句です。

今日は、俳句をユネスコの無形文化遺産登録しようという運動を始めておりますので、その話を簡単にさせていただきたいと思います。

よくユネスコの世界遺産と無形文化遺産とを混同される方がおられますが、ちょっとこれはモノが違うんです。世界遺産というのは1972年に条約ができまして192ヶ国が参加していますが自然遺産、文化遺産、複合遺産と三つの分類があります。基本的にはこれは有形固定資産なんです。自然遺産は皆様よくご存知の屋久島とか知床など、それから文化遺産は例えば京都ですと清水寺などが入っています。富士山はかつて、自然遺産で登録申請をしたところ上手くいきませんでした。かなり開発が進んでいるため、自然遺産とは認められなかったのです。そこで改めて、複合遺産ということで登録申請して認められました。富士山という自然と富士山信仰という文化、この二つをセットにしたものです。こういったものが、公式に登録された自然遺産、文化遺産、複合遺産なのです。海外にもいろいろございます。

その他に危機遺産という分類の仕方もあります。ポーランドの岩塩の採掘の穴なんかは今、中でテーマパークとか、遊園地化されています。しかし、いずれは侵蝕され滅んでしまうものなので危機遺産というわけです。それから負の世界遺産という分類もあります。広島の原爆ドーム、アウシュビッツの強制収容所、或いはアフリカの奴隷貿易の拠点、こういったものも世界遺産に登録されていますが、これらを負の遺産と呼びます。人類差別の撤廃や平和運動のために、それにとっての重要な象徴的な案件だということで認められているのです。そういうものが、世界遺産の中の負の遺産です。そしてこれらはみな有形固定資産です。

一方で無形文化遺産は、2003年に171ヶ国が参加して保護に関する条約が結ばれました。京都では和食が一昨年登録されました。その他にもいくつかすでに登録されているものがございます。基本的には無形資産でございまして、そして、世界遺産と違って世界という冠がついていないんです。無形文化遺産というのは、ある特定の地域、特定の民族とかで大事にその自己の文化遺産として保存されているものであれば登録して保護していこうというものです。日本の代表的なものとしては歌舞伎、能学、和食、こういったものがユネスコの無形文化遺産として保護対象ということになっています。

その他にも、いかにももう滅びそうだ、今何とか支援しないと滅びるという分類の、危機の無形文化遺産というものがございます。日本には今のところ登録されているものはありません。海外のものを一つだけ紹介しますと、モンゴル書道というものがありまして、もうほとんど作り手もいないようですが、あるいは、もしかしたらもうやっている人がいないんではないかなという状態なので認定され、保護の対象とされています。このようなものが無形文化遺産の中の危機遺産です。

我々は今、俳句を、このユネスコ無形文化遺産に登録しようという運動を始めたところです。

まずは、俳句がユネスコの無形文化遺産に認定される価値があるかということをちょっとご説明します。

①世界で最も短い詩形で、誰でも簡単に作れる。ルールは575の17文字であることと、季語を入れるというたった2つしかありません。皆さん多分、子供の頃、学校の授業か何かで一度は俳句を作られたことがあるでしょう。その意味では1億みな俳人です。ですがまあ、それは大げさとして、日常的、或いはそうではなくても年1回ぐらいは俳句に接しておられる人は、2000万人ぐらいはおられるんではないか、というのが我々の推計です。年賀状の端にちょっと書くとか、会話の中に芭蕉の句を引用するとか、そういったことです。我々のように日常的に結社というグループを作って活動しているコアな人が50、60万人から100万人ぐらいいますけれども、その周辺には2000万人ぐらいの俳句人口がいるのです。

②それから日本人の生活の隅々まで俳句が浸透している。これは新聞を開きますと、ほとんどの新聞に文芸欄があり、その中にはだいたい俳句のコーナーがあって、多くの人が投稿しておられます。週刊誌にもそういう欄がありますし、最近ではテレビでも、「プレバト」という番組で芸能人が俳句を作って添削を受け、ちょっとしたブームになっています。また、昨年でしたか、山科のロータリークラブでは記念行事として俳句の募集をやっておられました。それから私が以前いました㈱エアドゥという航空会社では、北海道と飛行機の俳句を募集して優秀作品にはチケットなどを賞品として提供するなどしていました。ちょっと皆様の周りを見回していただきますと俳句が、思いのほか浸透しているのがわかると思います。

③また、最近では、海外にも俳句が普及し始めております。ただ、海外ではちょっと日本とは違うんですが、ローマ字でHAIKU と呼び、2行、あるいは3行に分けて書きます。今、ソサエティ、いわゆる協会が、世界の50か国ぐらいにできていて、大体30ぐらいの言語でHAIKUが作られています。日本だけの文化だったものが今、世界に広がっている途中なのです。

④次に、俳句には、人生に対してどういう効用があるのかということです。「人生に希望を、日常生活に潤いを与えてくれる」ということを、俳人協会の名誉会長で前会長だった鷹羽狩行先生がかつて言っておられました。高度成長期、日常生活が非常に忙しい中で俳句を仕事の傍らやっておられる人が多くいた。俳句はそうした殺伐とした仕事人生に潤いや癒しを与えてくれたというのです。一つの例をご紹介しますと、私は北海道に7年おりましたが、その間、北海道の俳句史を仕事の傍ら調べてみました。昭和20年代、30年代、北海道はたいへんな俳句ブームでした。それはなぜかと言うと、過酷な労働を強いられた炭鉱で働く人たち、開拓の農民の人たちがおられたわけですが、日常ほとんど娯楽がない。そういう時に、酒を飲んで苦労を紛らわせるのではなくて、文化的な活動をしたいという欲求が沸き起こりました。そこで、北海道の炭鉱、或いは開拓農民の間で俳句が異常なブームになったのです。このように、「人生に希望を、日常生活に潤いを与えてくれる」のが、俳句の大きな役割だった時代があったのです。

現在、その鷹羽狩行名誉会長は88歳になられましたが、時代に合わせて仰ることが変わってまいりました。最近では「高齢化社会を迎え、人々に生きる力を与えてくれる」のが俳句だというのです。今、私は俳人協会の理事をしています。63歳です。しかし、会員の平均年齢は76歳から77歳くらいになります。平均ですから一番上の方には100歳を超えている人が沢山おられます。ですが俳句を日常的に作っていると頭が呆けない。また、俳句というのは1人で作って1人で楽しむものではありません。句会というのがありまして、明治30年頃に正岡子規が始めた方法なんですが、みんな匿名で俳句を出します。先生がどんなに威張っていても先生も匿名で句を出し、お互いに良いと思うものを選びあう。誰がどんな句を作ったかわからないままで選んでいるので、先生の句がひとつも選ばれないこともあります。民主的に運営されながらも、一方でゲーム性もあるので、適度に競争心が起こり心身の活性化につながるのです。また、吟行という形でアウトドアにて俳句を作れば、よく歩くので健康にも良い。そして何より、句会に参加することにより人と人との繋がりを維持することが出来る。これは少子化、高齢化が進み、人とのきずな、家族とのきずなが薄れてきている現代社会においてはとても大切なことではないかと思います。

⑤もう一つ、私の先生、有馬朗人先生は大変重要なことを言っておられます。俳句は自然を詠む文学であり、これは日本独特なものだ。いわゆるアミニズムといいますか、鳥獣、草木すべてに仏性を認め、悉皆成仏の世界観を有する日本ならではの文芸である。鳥や獣や花や木をたんねんに観察しながら、移り行く季節へ挨拶をする、それが俳句の基本であり、一神教のユダヤ教やキリスト教、あるいはイスラム教の様に相手を一切認めない宗教観とはまったく違う。ありとあらゆるものに価値を認めて、お互いに尊敬し合うということですから、これを世界に広めていけば世界平和に繋がるのではないかというのが、私の先生、有馬朗人先生が常日頃言っておられることでございます。

⑥そして、何よりも俳句というのは日本オリジナルな、日本発の文芸ムーブメントでございますので、ぜひこれを世界中の人にもっと広く知ってもらうために、ユネスコの無形文化遺産に登録したらいかがですか、と運動しているところなのです。

そのための推進体制が2年前に出来ました。一つはユネスコ無形文化遺産推進協議会でこれは俳句の4団体のほか30自治体ぐらいが参加しておりまして、名誉会長には中曽根康弘さん、それから名誉顧問は EU の総裁、大統領でありましたヘルマン・ファン・ロンパイさん、そして会長には、国際俳句交流協会の会長でもある有馬朗人先生になっていただき、発足いたしました。そしてもう一つ、役所を動かさないといけないので、現役の先生方にもご協力をいただき、議員連盟を1ヶ月遅れで作っていただきました。発起人には当時外務大臣だった岸田文雄先生、国際俳句交流協会会員でもある盛山正仁先生などにお願いし、伊吹文明先生や馳浩先生などにもメンバーとして参加していただき、錚々たる顔ぶれになっております。

さて、いくつか俳句をご紹介したいと思います。今、協議会に入っている自治体の中で、京都府からは、与謝野町があります。ここは与謝蕪村のお母さんの故郷だといわれています。もともとは加悦という町でしたが、合併により与謝野町になりました。「丹波の加悦という所にて」という前書きをつけて蕪村が作ったのが、

夏河を越すうれしさよ手に草鞋(わらじ)

という句です。蕪村は大阪四条畷あたりの出身だろうといわれていますか一切自分の故郷のことを語ったことはございません。その代わり自分の母親の故郷はとても大事にしておりました。母親の故郷で作った句がこれです。現在の俳人たちも、蕪村を慕って、この与謝野町を俳句の吟行先としてよく訪れます。そして今、句碑が30基ぐらいこの町にはあります。町がそこでハイキングロードとして整備しまして、町おこしの材料に俳句を使っている、そういう町でございます。

それから名誉会長の中曽根康弘先生の句碑ですが、これは広島の平和公園に建っております。昭和57年から62年まで5年ほど総理大臣を務められました。その間3回中曽根先生は8月6日の追悼式典に出席されました。私の父親も被爆者でしたので、私も列席したことがありますけども、中曽根さんがその際に作られたのがこの句でございます。

悲しみの夏雲へ向け鳩放つ

で、総理大臣を辞められた後、広島のライオンズクラブの人たちがこの碑を建立されました。

それから、ヘルマン・ファン・ロンパイというベルギーの首相でEU の大統領を務めた方に、名誉顧問になっていただいています。「HAIKU」という句集を出しておられます。ベルギーという国はとても複雑な国なので公用語が3つあります。そして、公用語じゃないけども世界共通語とでも言うべき英語がありますので、この4つの言語を使った句集を出しておられます。日本語で私が訳したのをつけます。あまりいい訳にはならないのが残念なので、これはむしろ、英語とかフランス語とかがよくわかる人は、そっちで味わっていただいたほうが良いでしょう。

Celui quil regarde Le soleil, la mer,

les etoiles Aime la paix (仏)

Who looks at the sun At the sea,

at the stars Love peace (英)

陽を海を 星を見る人 和を愛す 

一応575の形にして訳してみましたが、海外の人は俳句を作るときには、このように2行、或いは3行で表すというのが普通のパターンです。

それから私の先生、有馬朗人先生は物理学の泰斗でございますので、物理用語が出てくることもあるんですが、初日(はつひ)を見てビックバンを連想するという壮大な句がございます。

ビッグバンの残光にして初日影

このような句を作っている人たちを頭の方に戴いて、ユネスコへの登録運動を今、行っているところです。

世界には実は短詩系という文学ジャンルはものすごく少ないんです。ヨーロッパ人は、とにかく詩は長ければ長いほうが良いと思っている節があって、ダンテの神曲などのように、3日も4日も朗読しなければ終わらないような長い詩が優れているのだという観念があり、短い詩というのはヨーロッパにはほとんどありません。フランスに一行詩があるのが唯一の例外といえるでしょう。あと、ルーマニア、アイルランドにあることはありますが、もうほとんど廃れております。

一方で中国には五言絶句、七言律詩なんていうものがあります。短詩系の発祥の国と言っても良いと思うのですが、残念ながら、かの文化大革命の際に文化人が激しく弾圧され、さらに簡体字なるものが普及したために、今は中国で漢詩を作る人はほとんどありません。今でも五言絶句、七言律詩を作っているのはほとんど日本人です。韓国には時調というのがありますけども、これも作る人はほんの少数です。

ところが日本では、作る人も大勢いるし、様々な形の短詩形がございます。俳句や短歌のほかにも、皆さんご存知の川柳は一大勢力ですし、都々逸も広く普及しています。日本の短詩系文学が、中国の漢詩のように作り手がいなくなって滅ぶことのないよう、ユネスコの無形文化遺産として登録し、そして世界中の人に知ってもらい、世界中の人に俳句を作ってもらって、日本発の文芸ムーブメントとして世界中に普及することを願って、運動を進めているところなのです。

最後にもう一句。芭蕉の有名な句を紹介します。

古池や蛙飛び込む水の音  

この句は多くの外国の文化人、日本文学の研究者などにより翻訳され、世界中に知られています。

ですが、これまでの日本人の感覚にはなかったような訳し方をされています。大きな原因は、日本語に単数形、複数形の概念がないことによるものです。

日本人は長いこと、この句の蛙は一匹だと思っていました。芭蕉が提唱した侘び寂びの概念からすると一匹が適当なのです。ところが、これを外国語、特に英語に訳すときには、一匹か複数かが大問題になったのです。

カエルは一匹だったんだろうか、沢山いたんだろうか、そのことが論争になりはじめて、もう半世紀以上も経ちます。最近では、日本の俳人の中にも、多数いたと主張する人が出始めています。

一匹だと侘び寂びの静かな世界ですが、複数だと生命の躍動という全く別な景色が見えてきます。

しかし、なんとも平和な論争ではありませんか。口角泡を飛ばしても、銃弾は飛び交いません。論争大いに結構、こうした文学上の解釈の問題で論争するのであれば、戦争などけっして起きはしないということを、我々俳人は確信しております。

「俳句をユネスコ無形文化遺産に」という運動は、まだ緒についたばかりです。

いずれ、署名活動などを行う局面が来るかもしれません。そういった際には、ぜひご協力をお願いしたいと思います。

ちょうど時間が参りましたので以上で終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

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